続・幹から枝葉へ、枝葉から幹へ

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続・幹から枝葉へ、枝葉から幹へ

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

続・幹から枝葉へ、枝葉から幹へ

前回のエントリ*1を書いてから、「レイヤー化する世界」という本が出て読んでみた。俺自身別のエントリで感想書いているし、他の人も書いている。たとえば池田信夫とか(笑)。

*1:「幹から枝葉へ、枝葉から幹へ」 2013年06月05日 『ガジェット通信』
https://getnews.jp/archives/353106

「世界はフラット化しない – 『レイヤー化する世界』(池田信夫)」 2013年06月07日 『BLOGOS(ブロゴス)』
http://blogos.com/article/63773/

まあようするに「こんなこと、他の本にも書いてあるじゃないか」ということらしい。しかし残念ながら(?)今回は池田信夫批判ではない。

   *   *   *

本を読むこととはどういうことか?という話。これは前回のエントリともちょうどつながる。ネットにある情報というのは枝葉の部分が多いことは前回のエントリで書いた。検索エンジンでいくらでもヒットする。答えがすぐに見つかる。ただその答えを導き出した著者の思考は、枝葉だけだとなかなか想像できない。

フィクションでは拳法の師範が一番弟子に、免許皆伝の巻物をなかなか渡そうとしないというパターンがある。俺はもうこんなに強い。実力も師範より上だ。なのになぜ秘伝が書かれた巻物を俺によこさないんだ…みたいな。

ようは大事なのはその拳法の創始者が生み出した(巻き物に書かれた)ノウハウではなく、それを生み出すプロセス(思考)。生み出されたものをコピーする能力だけでは免許皆伝とはいかない。かつて創始者がしたように、ゼロからそれを生み出せてこそ、真の継承者たる資格がある。

つまり巻き物に書かれたことが無意味になってこそ、その巻き物を継承する資格があるわけだ。それでこそ創始者と同じ境地に到達したことになる。

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それなりにきちんと書かれた本を読むと、ある程度著者の思考が見えてくる。本当にかすかに、薄っすらとだけれど。著者がどういうプロセスを経てそういう結論に到達したのか。これがネットで情報を検索するのと、一冊の本を読むのとの違い。まあノウハウしか書かれてない本もたくさんあるけどね。そういう本は検索エンジンに淘汰されてしまうだろう。

しかし著者の思考が読み取れる本は、もちろん読み取る価値のある思考でないとお話にならないのだが、媒体が紙であろうがデジタルであろうが、決して淘汰されないだろう。

しかしそういう部分の重要性が現在のネットではあまり語られていない気がする。まあ上記の拳法の師範の話でいえば、大半は拳法の創始者の境地にまで到達しようとは思わないし、その必要もない。手っ取り早く技だけ会得すれば十分。

それはそうなのだけど、そういう「境地」というのは、ひとつの分野に留まらず、いろんな場面で役に立つ。だから別に拳法の師範になる気がなくても、機会があればそういう部分に触れておくことは、損ではないと思うのだよね。

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書かれていることを「なるほど」と納得するだけではなく、同じ事を自分がゼロから考え出せただろうか?と。もちろん持っている情報は人それぞれ違う。本を書く人は多くの情報を集めるだろう。その点は割り引いて、もし仮に自分が同じ情報を持っていたとして、はたして同じ考察・洞察ができたか?を考える。

もしできそうにないなら、なにが足りないからできないのか?その部分さえ補えば、自分も同じ情報が生み出せるはずだから、もうその著者の本を読む必要はなくなるだろう。

本を読む目的というのは、もうその著者の本を読まなくてよくするためなのだ。実際には一人の人間の思考を完全にコピーすることなどできないけれどね。

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ネットの話題だと、ついつい「正しいか正しくないか」という部分が中心となる。それはそれで意義のあることだけれど、結論だけをコピーしても人間はあまり賢くならない。それを生み出した思考の方をコピーしないと。

本を読むことが大事とよく言われるのは、そういうことなのだろう。結論を先に述べ、「そう考えるのはなぜですか?」と対話形式で思考過程を遡ることもできなくはないが、それはお互いの思考の深さが同程度でないと、なかなかうまくいかない気がする。

お互いの知識や思考力が拮抗していれば、差分だけを情報交換すればいいから、対話形式の方が効率がいいだろう。しかし両者の知識の分野や思考力があまりにもかけ離れていると、差分をとってもほとんど量が変わらないわけで。

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前回のエントリでは、学校の勉強というのはあまりにも俗世間からかけ離れたところからスタートするのでゴールが見えず途方に暮れることになると述べた。他人の考え方をコピーする場合は逆で、結論部分からスタートしてさかのぼろうとすると、相手の考えの全貌を知るためにあまりにも道のりが長く、途中で挫折してしまうことも多いだろう。

システム設計の方法にトップダウン、ボトムアップ、ミドルアウトというのがある。学校の勉強はさしずめトップダウンだろう。ハウツー本など実用的な情報重視のメディアはボトムアップといえるかもしれない。となると人間の思考方法を学ぶのはミドルアウトといえるのではあるまいか。ミドルアウトというのは中間部分からスタートして上下に広げていく手法だ。

思考そのものは直接は学べないから、トップダウンで学ぶことは不可能。しかし出された結論から相手の思考プロセスを想像するのはあまりにもゴールが遠い。ある程度相手の思考過程が語られている本を読むことで、そこからさかのぼって相手の根源的な思考方法を学ぶのが良いように思う。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年06月13日時点のものです。

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