作者の原体験が盛り込まれた辻真先『命みじかし恋せよ乙女 少年明智小五郎』
辻真先の新刊題名を見て、おっ、と思わず声が出た。
『命みじかし恋せよ乙女 少年明智小五郎』(東京創元社)である。副題を見ていただきたい。「少年明智小五郎」だ。そうか、その手があったのか、と思った。
ご存じの方も多いと思うが、辻には『焼跡の二十面相』(光文社文庫)『二十面相 暁に死す』(光文社文庫)という著作がある。前者では時計の針は1945年8月に合わされていて、戦争に敗れ、焦土に化した東京で、明智不在の中で小林芳雄が一人怪人二十面相と戦う、という物語だ。1932年生まれの辻は、1936年の連載開始にこそ間に合っていないものの、〈少年探偵団〉の単行本化をリアルタイムに追っていた。辻版〈二十面相〉シリーズは、そうした世代だからこその愛着が盛り込まれ、しかも小説からアニメ脚本まで幅広く手掛けるからこその遊び精神も横溢し、という楽しい読物になっていたのである。その辻が、少年時代の明智小五郎を出すのか、と期待したくなるではないか。
本作の視点人物は明智ではなく、「帝国新報」記者の可能勝郎である。この名字に辻作品の読者は反応するだろう。帯にも明記されているし、名前から察せられるはずだから書いてしまう。『仮題・中学殺人事件』(創元推理文庫)に始まる〈スーパー&ポテト〉シリーズの主人公・可能キリコと、その兄で『ブーゲンビリアは死の香り シンガポール3泊4日死体つき』(新潮文庫)で開幕したトラベル・ミステリー・シリーズで恋人の萱庭智佐子と共に主役を務めた克郎のご先祖にあたる人物だ。1919(大正8)年、彼が東京府荏原郡世田谷村の富豪・守泉邸にやってくるところから話は始まる。田園都市線の駒沢大学から用賀駅あたりの見当だろう。守泉家は旅芝居のなかむら座を招いて自邸で上演させることを発表していた。その取材である。
いくら富豪とはいえ屋敷の中で芝居などできるものかと思われるかもしれないが、途中に挿入される見取り図を見れば疑問は氷解する。守泉家には本寸法の舞台が設置されているのである。上から見ると珍妙な形をした建物で、「むの字屋敷」と呼ばれている。ひらがなの「む」に見えるのだ。横棒の部分が舞台である。序盤は屋敷の説明と、そこに滞在している人々の紹介が行われる。最初に鮮烈な印象を与えるのは、勝郎が出くわした佐々木カネである。まだ十代のくせにやけにませた少女で、男と女の営みについてあけっぴろげなことを言い、勝郎をどぎまぎさせる。実は彼女は、後に伊藤晴雨が寵愛した実在のモデルなのである。竹久夢二もまた、カネに懸想した一人である。
勝郎が屋敷に滞在しているうちに変事が起きる。いくつも並んだ部屋の一つで勝郎が女性の縊死体を発見するものの、人を呼んできたときには消え失せて、後には絞められた鶏がぶら下がっていた、というものだ。邸の人々は酔っ払いの見間違いといって笑ったが、勝郎は納得せず、「帝国新報」で探偵小僧と異名をとる明智少年が邸に到着すると一部始終を話して相談する。少年は、守泉家で何か変事が起こりつつあると見抜くのである。その言葉の通り、なかむら座の芝居当日に惨事が起きてしまう。
全体の三分の二近くになってからの事件だから詳細は省くが、不可能状況下の殺人であるということだけは書いておこう。この事件解決のため、警視庁から敏腕で知られる五十嵐警部が駆け付ける。明智少年はこの刑事と知力で渡り合い、犯人と見抜いた人物とも対決することになる。辻作品の中でも、展開される推理の粘度では上位に来る作品だと思う。その中に読者を驚かせようとする仕掛けまで盛り込んでいるところがさすがだ。
まるで怪談のように奇妙なことがいくつも起き、その果てに最後の事件がある、という流れの話である。それぞれの怪事には意味があり、要素を余すところなく綴り合わせられるかどうかが探偵の手腕である。上にも書いたように少年探偵対大人の知恵比べという要素が強い。大人とこどもの闘いでは常に後者に加勢してきた辻の姿勢はここでも一貫していて、読者は勝郎と共に明智少年を応援することになるのである。物語にはもう一つ、特殊設定がかませられているのだが、書かないほうがいいだろう。これもまた、こどもとこども、十代同士の連帯を描くための小道具になっている。
あまり説明するとネタばらしになるので慎重に書くが、〈少年探偵団〉のつもりで読むと戸惑うほど本作にはR15設定の雰囲気が漂っている。そもそも伊藤晴雨のモデルと知られた佐々木カネが出ているくらいで、初心な明智少年には刺激の強い場面もあるのである。性愛の要素もまた少年が大人の扉を開くためには必要な鍵の一つということだろう。稚気に満ちた遊びから淫靡な性の世界まで、すべてを網羅するのが辻真先という書き手なのだ。
辻の前作『迷犬ルパン異世界に還る』は私家版で、一年前のコミックマーケットで頒布開始という変わった流通の仕方となった。シリーズ・キャラクターの迷犬ルパンが意外な形で活躍する異世界ファンタジーである。同作の前年に発表された『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)は辻のNHKディレクター時代を元にした作品で、〈昭和ミステリ〉三部作の掉尾を飾ることになった。おなじみのキャラクターの一人、那珂一兵はおそらくこれで最後の主演ということになるだろう。辻には数多のシリーズ作品があるが、すべてに完結篇を書いており、別れを告げる相手も尽きたか、と思っていたのだ。
だが本作があった。『命みじかし恋せよ乙女』の根底にあるのは、辻真先自身の原体験なのである。詳しくは「あとがき」に書かれているので控えるが、名古屋市で過ごした少年時代に辻が親しみ、愛した物語や小説、随筆の要素が本作には盛り込まれている。あの名前は確か、そういえばあの人は、とファンには言わなくても通じるはずだ。たとえば前出の伊藤晴雨は辻の父であり、衆議院議員を10期務めた政治家であった辻寛一と縁の深い人なのである。還暦記念に出版された『辻寛一自選集』を見ると、晴雨の画展に足を運んだ寛一が、会場となった名古屋丸善支店長と撮った写真が掲載されている。生前から交流があったのだろう。名古屋市内にあったおでん屋「つじかん」は、〈スーパー&ポテト〉ものの一冊でSFミステリー『急行エトロフ殺人事件』(講談社文庫)にも登場したが、辻の実家であった。その二階には寛一の枕絵が秘蔵されており、真先少年をときめかせたという。その中に晴雨のものもあったかどうか。作家がこうした形で手の内を明かす機会というのはそんなにあるものではない。その意味でも興味深い一冊で、ぜひお手に取っていただきたい。
ずいぶん長くなってしまった。長くなったついでに蛇足をもう少し書く。最初に本の題名を見て声が出た、と書いた。「少年明智小五郎」だけに反応したわけではない。『命みじかし恋せよ乙女』の方にもだ。この文句は1915(大正4)年、芸術座公演の劇中歌として生まれた「ゴンドラの唄」の歌詞である。松井須磨子によって歌われたが、戦後世代にとってはむしろ、別の要素で知られている。黒澤明監督映画「生きる」で志村喬が歌うあの場面だ。「生きる」は一人の男の世界との別れを描いた作品だった。私がはっとした理由は判っていただけるのではないか。
辻さん、「ゴンドラの唄」にはまだ早いですよ。まだまだ出番を待っております。もう一幕、いや何幕でも。
(杉江松恋)
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