ストイックに「美」を追求する〜伊良刹那『海を覗く』
舞台は高校で、著者は17歳の男性。
そう聞くと、爽やかな友情や恋愛、若さゆえのこじれなどが、いまどきな言葉使いで瑞々しく紡がれていく感じを期待したくなってしまう。だが、そういう想像の範囲には、全くおさまらない小説である。三島由紀夫の影響を受けたという著者が、「美」を描写するために選ぶ言葉に、多くの人が驚愕するのではないか。
主人公の速水圭一は、美術部に所属する高校二年生だ。始業式の日に、隣の席に座った北条司の横顔の美に魅了される。ある日、速水が描いた海の絵を見たという北条が、「速水って海好き?」と話しかけてくる。これをきっかけに、速水は北条にモデルになってほしいと頼み、放課後の美術室で彼の肖像画を描き始める。
まずは、北条の美しさを表現する言葉の芳醇さと、ストイックに「美」を追求する精神のあり方に圧倒された。日頃、顔の美しい男性を見ても「めっちゃイケメン」「顔がきれいすぎてヤバい」程度の表現で満足している私は、半世紀も生きてきてどんな美意識と表現力を育ててきたのだろう。目の前にあるものの上っ面だけを、ただ眺めて消費してきただけではないのか。恥ずかしいような、自分を叱りたいような気持ちにさせられてしまった。
北条の美貌は学内でも評判になっているが、彼自身はそういう他人の視線には無関心である。その無関心さにも速水は美を見出していたのだが、絵のモデルになり観察されることを意識するようになった北条からは、「無関心の美」が喪失されていると感じてしまう。だが、美術部の女子生徒・山中にうるさく話しかけられ、微妙な表情で応対している時の北条は、再び無関心さを取り戻したように見えた。速水は、二人に会話を続けさせつつ肖像を描くことにする。
速水には周囲と適当にうまくやっていく能力があり、孤立しているわけではない。山中に対しては「雑多な感受性と恋愛映画のような脳味噌しか持ちえない女」という辛辣な視線を向けているが、それを態度に出すことはせず、普通に会話を交わしている。だが、芸術や美に対する思いを対等に語りあえるのは、自分と同じ「芸術家」である美術部の部長・矢谷(こちらも興味深い人物)だけだと思っている。制作が進むにつれて仲は深まり、北条の「美の根幹」につながる過去も知るのだが、想定外の出来事が起きてしまう。衝撃を受けた速水は、肖像画を完成させた後に、ある行動を起こすことを決意する。
速水も矢谷も……、めんどくさい奴だ。
「雑多な感受性」側の人間である私は、そうつぶやきたい気持ちになった。しかし、高い美意識と傲慢さの中に主人公をおき、自身のめんどくささと真摯に向き合わせ、妥協のない表現を追求しようとする若い作家が現れたことに、強く心を動かされている。これからどのような進化をしていくのか。著者の今後が、楽しみでならない。
(高頭佐和子)
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