起業家育成・学費実質無料で話題の「神山まるごと高専」2年目、東京の進学校を辞退し選んだ学生も。企業70社以上が支援する唯一無二の授業の内容とは 徳島県神山町
2023年4月、「モノをつくる力で、コトを起こす人」の育成をミッションに掲げて徳島県神山町に開校した高等専門学校「神山まるごと高専」(理事長・寺田親弘/Sansan(株))。教育界とは異なる起業家が主導した私立校であるため、設立から運営まで何もかもが手探りで進んだ。地域も巻き込み、各界から注目を集めた同校は、開校1年を迎えた今、どのような成果と課題が見えてきたのだろうか。
地域活性化で注目を浴びるまちに生まれた新たな教育機関
徳島市内から車でおよそ40分。神山町は自家用車さえあれば、都市部から比較的アクセス容易な場所に位置する人口約4200人のまち。特産は日本一の生産量を誇る柑橘類のスダチ。80%以上が山林に覆われた町域の中心を鮎喰川が流れ、その周囲に集落が点在する、一見すればよくある田舎町だ。
一方で近年において、企業のサテライトオフィスが続々と開設され、若者たちが営むショップ等もオープンするなど、地域活性化の好例として、メディアに「奇跡の田舎」と取り上げられることも少なくない。
そんなまちに誕生した神山まるごと高専は、文科省認可としては約20年ぶりに新設された高等専門学校。いわゆる「高専」は、1960~70年代にかけて、高度成長期の急激な工業化に対応する人材養成を目的として、全国に創設された。入学資格は中学卒業程度とし、主に工科系の課程を5年間履修する高等教育機関だ。
現在日本にある高専は58校。そのうち国公立が54校で、神山まるごと高専を含む私立は4校。高専生が対象の「ロボットコンテスト(通称ロボコン)」などを目にしたことがある方も多いだろう。卒業生の就職率は高く、その人材は産業界から一定の評価を受けているとも言われる。
とはいえ昨今の少子化や理数離れ、四年制大学への進学者の増加により、創設期の勢いに比べ、高専を取り巻く環境は変化してきている。そんななか誕生した神山まるごと高専の一期生の入試は、国内外から出願があり、約9倍という高倍率となった。
その狭き門をくぐり入学したのは44人。彼らは今、寮で共同生活を送りながら、時に壁にぶつかり、学業と神山町での暮らしを謳歌している。
旧神山中学校の校舎をリノベーションした寮「HOME」。3学年分の寮室と食堂、図書室などが入る(画像提供/神山まるごと高専)
「HOME」から鮎喰川を挟み対岸にあるのは、授業や研究の拠点となる「OFFICE」。町産材の「神山杉」をふんだんに活用した校舎になっている(画像提供/神山まるごと高専)
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唯一無二の授業内容で、卒業生の「起業家4割」を目指す
「これからの時代、自分でデータをつくり、自分でプロトタイプをつくり、そして提案するような、技術を持った起業家が求められています。それができないと社会のスピード感についていけないと思います。つまり『モノをつくる力で、コトを起こす人』です」と語るのは常務理事・事務局長を務める松坂孝紀さん。同校が描く卒業後の進路の比率は、就職30%、大学などへの編入30%、そして起業40%だ。
それを実現するべく、神山まるごと高専では「テクノロジー×デザイン×起業家精神」の3つの領域を、1学科で複合的に学ぶ。“テクノロジー”では、ネット社会の未来に対応した情報工学から電子工学で、モノをつくる力の基礎を養う。また“デザイン”は、つくりたいものを絵や言語などに具現化するため、デザインや映像、建築、ゲームづくりなどの技術を身につける。そして“起業家精神”では、ビジネスの基本や起業の方法、他人を巻き込むコミュニケーション力などを学ぶ。
東京出身の松坂さんは、東京大学卒業後、人材教育会社を経て、2017年に人事コンサルティング会社の子会社を起業。同時に企業や自治体の人や組織づくりプロジェクト等も推進する。2021年より神山まるごと高専の立ち上げに携わる(写真撮影/藤川満)
1コマ90分の授業は、一般的な座学中心ではなく、実験や演習に加え、ディスカッションやグループワークなど双方向的で実践的な内容を重視し、問題解決能力を育んでいく。
さらに毎週水曜日の夕方に開催される特別授業「Wednesday Night」では、第一線で活躍する起業家、経営者、クリエーターを招き、これまでの彼らの経験を語り、また食事も共にして、コミュニケーションを深める。この一年で24回開催され、合計50名のゲストが同校に足を運んだ。
大講義室で行われた「Wednesday Night」の前半。この日のゲストスピーカーは山口周氏((株)ライプニッツ代表)、山崎亮氏(studio-L代表)、坊垣佳奈氏((株)マクアケ共同創業者/取締役)の3人(写真撮影/藤川満)
「Wednesday Night」の後半は、「HOME」に会場を移し、ゲストと学生が食事や焚き火を共にしながら語り合う(写真撮影/藤川満)
「起業家たちと学生が接することで、この5年間で起業を身近な選択肢として捉えてもらいたい」と狙いを語る松坂さん。学生たちはゲストと名刺交換することで、卒業時には起業家とのコネクションも持つことができる。起業を目指す学生にとっては、またとないチャンスを得ることができる仕掛けだ。
私立でありながら学費実質無料を実現したスキーム
注目すべきもうひとつは、一人年間200万円の学費が実質無償という点だ。それには「家庭の経済状況に左右されず、世界を変える可能性を秘めた子どもたちの、誰もが目指す学校にしたい」という強い思いが込められている。
これを実現するにあたり、民間企業から一口10億円の出資や寄付を募り、それを運用して得た運用益を返済不要の奨学金に当てる仕組みを構築。この日本初の取り組みに、ソフトバンク、富士通、ロート製薬など、日本を代表する企業が賛同し、合計11社、総額100億円の金額が集まった。現在、一期生だけでなく二期生以降の学費無償化の目処もたっている。
資金を拠出した企業は「スカラーシップパートナー」として以降も連携していき、学生との共同研究や新事業の創造などに取り組んでいく。ほかにも物品やサービスを提供する「リソースサポーター」、実際に各社の強みのある領域を授業で提供する「プログラムパートナー」など、合計70社以上の企業が同校の運営を支援している。それほど日本の企業が同校に期待を寄せている表れと言えよう。
「OFFICE」の窓ガラスにはパートナー企業の会社名がずらりと並ぶ(写真撮影/藤川満)
進学校よりも魅力を感じて門を叩いた
現在の在校生は東京、北海道、徳島と全国各地から集まっている。なかにはロンドンの日本人学校出身の学生もいて、さまざまな思いを持って神山の地で全寮生活を送っている。開校当時は特にルールもなく、戸惑いがちだった学生たちも、会議を開くなどして、自分たちの主体的な考えに基づいた自治へ歩みつつある。
「一人になる時間はあまりないですが、毎日が修学旅行みたいで楽しい」と寮生活を語るのは東京都出身の市川和さん。一時は同室者との価値観の違いに悩んだというが、「今は吹っ切れた」と心境の変化もあった。
高校受験時の市川さんは、ICUや青山学院にも合格していたが、父親の紹介で同校の存在を知り、あえて神山まるごと高専を選んだ。「ICUや青山学院に進学すれば、安定した道を歩んだかもしれませんが、自分の心に正直になり、より楽しそうなこちらに決めました」
当初は具体的な目的があったわけではないが、現在はグラフィックデザインに興味を持ち、先述の「Wednesday Night」のチラシやEスポーツに関するフリーペーパーの制作に力を入れている。「この学校に入って初めてAdobeのソフトを授業で触れてみた時『これまでの勉強よりおもしろいことあるじゃん!』って思いました」と目を輝かせる。
そんな市川さんだが、もともとはバスケに打ち込むスポーツマンで、美術はむしろ苦手だった。「そのころはアイディアがあってもそれを具現化する方法を知らなかった。やり方さえ覚えれば、誰でもできることに気づきました」
広告代理業を営む父親の影響もあり、日ごろからデザインと起業が身近にあった市川さんだが、将来は起業よりも、まず就職して経験を積みたいと考えている。「デザインを続けていくかはまだわかりませんが、雇われる人の気持ちや仕事の姿勢を理解したうえで、いつかは起業したい。一方的な経営者にはなりたくないですから」
「自然が好きなので、神山は散歩をしていても楽しい。ただもう少し娯楽があれば嬉しいですけど」と神山の印象を語る市川さん(写真撮影/藤川満)
もっと社会との関わりを持ちたくて高校を中退
高知県出身の名和真結美さんは、国際バカロレアを実践する中高一貫校を高校1年時に中退し、神山まるごと高専への道を選んだ。国際バカロレアとは、世界の複雑さを理解し、それに対処する力を養う総合的な教育プログラム。「バカロレアに出会って、学びの面白さを知りました。でも学校の課題や勉強ばかりで、社会とのつながりを感じることができませんでした」
社会とのつながりを求めていた名和さんにとって、面白さと同時に違和感を感じていた中学時の学習環境、そして高校進級時、中学からお世話になった教員が、神山まるごと高専へ転任したことが契機となる。「学校外で起業家精神プログラムに参加して、そこで再会したその先生がキラキラ輝いて見えた。そこからこの学校のことを調べてみたら、『私がやりたいことができる!』と思いました」
「国際バカロレアプログラムを受けて、思考するクセがついてしまった。思考の旅とでもいいますか(笑)」と笑う名和さん。旅をするような感覚で、その時にやりたいことをやることを信条としている。現在、アートやファッションに強い関心を持ち、創作活動にも取り組んでいる。
「あ、あとロボット! これまで経験はなかったですけど、ここでプログラミングに触れてみたら、凄い面白くて!」。現在、名和さんは13人のチームでロボットづくりに勤しむ。目標はアメリカで開催されている世界的ロボット競技会「ファースト ロボティクス コンペティション」への参加だ。
「チームのなかでロボットづくりの経験者は一人しかいません。でも知らないテクノロジーをどんどん開発してくのが楽しいです。それが動いた瞬間が本当にうれしいですね。チーム内のコミュニケーションや資金集めには苦労しましたけど……」と語る名和さん。ハワイで行われる予選に出場するための資金600万円は、企業や地域の人から協賛金で集めることができた。今、ロボット製作に日夜集中できる準備は整っている。
現在製作中のロボットを前にする名和さん。寮生活には満足しているが、「まだまだ自治には至っていないので、みんなでアップデートしていきたい」と語る(撮影/藤川満)
テクノロジーだけではない、人との繋がりでやりたいことが見えてきた
「中学時代は、将来なにか特にやりたいことがあったわけではありません。たまたま父親に勧められてこの学校のキャンパスツアーに参加して、進学を決意しました」と語るのは静岡県出身の伊藤楽大さん。入学後、起業家や教員とコミュニケーションを取るうちに、徐々に「やりたいこと」が見えてきたという。
「いろいろチャレンジしている大人と出会えたことで、選択肢がものすごい広がった。今はその選択肢のなかから、農業が『やりたいこと』としてクローズアップされてきました」。静岡の市街地で育った伊藤さんは、神山の自然に触れたこともひとつのきっかけになった。
同校の理事が運営する農園に足を運んだり、周辺の草刈りの手伝いなどを経て、ますます農業にはまっていった。神山町特産であるシイタケの農家をはじめ、農業を通じて地域の人と関わりを深めていくことで「自分でやりたいことができる」と自信を持ち始めている。
その一方で悩んだのは、寮生活と偉大すぎる起業家たちの存在。「寮生活は自分にはあまり合わなくて、少し悩みました。それと『自分も起業家のようにならないといけない』というプレッシャーも感じました」
ふたつの悩みに押しつぶされそうになった伊藤さんを救ってくれたのは、同校のスタッフの存在。「時間が解消してくれたものありますが、話を聞いてサポートしてくれたスタッフさんのお陰で乗り越えることができました」と振り返る伊藤さん。目下じゃがいもづくりに興味を傾けているが、将来は自然関係の会社の経営を夢のひとつとして描いている。
伊藤さんが作物を育てている畑は、同校の敷地近くにある。農業以外にも美術や国語の授業が楽しいという伊藤さん。「なにより先生たちが楽しそうに授業をするのがいい!」(撮影/藤川満)
話を聞いた3人は、それぞれに充実した学生生活を送っていることが分かる。とはいえ遊びたい盛りの多感な世代。神山の自然に満足しているものの、カラオケやゲームセンターなど仲間と遊べる場所は少なく、都会的な刺激を直接受ける機会も少ないのも事実だろう。
さらに試験で60点以下の赤点となれば、進級は叶わない。難関を突破した力はあったとしても、今の環境に馴染めず、この先全員が苦労せず進級できるとは限らない。マイナス面や不安を上げれば切りがないが、少なくとも大半の学生が生き生きと過ごしているのは印象的だった。
起業家が創った学校だからこそ起業家が育つ大いなる可能性
「学校というものは基本的に安定を求めるものかもしれませんが、私達が大切にしているのは変化し続けること。今後時代が変わるたびに私達もスピード感をもって変化していくことが勝負かと思います」と未来を見据える事務局長の松坂さん。それは既存の学校のあり方や制度に抗い続けることでもあるという。
今、学生たちは何もかもが暗中模索だった入学時から、徐々に視界がひらけ、それぞれの道を歩みだしている。そんな彼らの将来に起業家たちも期待を寄せる。「Wednesday Night」にゲストスピーカーとして登壇した(株)マクアケ共同創業者/取締役の坊垣佳奈氏は語る。
「第一線で活躍している起業家たちが創った学校だから、同じようにできる人が生まれるはず。ここの学生たちは感じる力と考える力がある。それをもっと強くして、さらに自分の感覚を大切にして、やりたいことに情熱を注いでほしい」。社会にどんな変革をもたらす人材が羽ばたくのか、一期生が卒業する4年後、そしてその後も注視していきたい。
「Wednesday Night」の後半、坊垣氏らと学生が焚き火を囲んで語らう。坊垣氏は開校前から神山に足を運び、同校に注目していた(撮影/藤川満)
●取材協力
神山まるごと高専
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