信長の弟であり茶人の才にあふれた織田有楽斎を総合的に捉えなおす 「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」
東京・六本木のサントリー美術館では、「四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎」(3月24日(日)まで)を開催しています。この有楽斎(うらくさい)こと織田長益は、天文16年(1547)に織田信秀の子・織田信長の弟として生まれました。武将として活躍後、晩年には京都・建仁寺の塔頭「正伝院」を再興、隠棲します。
その正伝院内に有楽斎が建てた茶室「如庵」は国宝に指定され、現在は愛知県犬山市の有楽苑内にあり、各地に如庵の写しが造られています。正伝院は明治時代に「正伝永源院」と寺名を改め、現在に至るまで有楽斎ゆかりの貴重な文化財を伝えています。しかし、茶人・有楽斎として名高い一方、武士・長益には悲観的なイメージも伴っています。
天正10年(1582)に起きた本能寺の変では、二条御所に籠る長益の主君・信忠(信長の長男)が自害したにもかかわらず、長益は御所を脱出したことから、京の人々には「逃げた(男)」と揶揄されたと言います。
さらにその後、信雄(信長の次男)に仕え、徳川家康と豊臣秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わります。関ヶ原の戦いでは東軍として参戦、戦後も豊臣家に仕えましたが、大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主君から離れました。
展示構成は、第1章~5章まで。信長、秀吉、家康の三天下人に仕えて時流を乗り切り、晩年を京で過ごした織田有楽斎の心中には、どのような思いがあったのか。本展覧会では、2021年に400年遠忌を迎えた織田有楽斎という人物を、いま一度総合的に捉えなおそうと構成したものとなります。
戦国の世に生を受け、織田家の血筋として時の政治に利用されながらも生き抜き、茶人として大成した有楽斎。現在に伝わる有楽斎の茶風は、有楽斎の格式張らずにそのままの姿で客をもてなす心を体現しているとも言われているそうです。
■開催概要
会期:~3月24日(日) ※作品保護のため、会期中展示替を行います。
会場:サントリー美術館 東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
開館時間:10時~18時
入館料:当日券:一般1,600円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料
■公式サイト:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_1/index.html
(執筆者: ときたたかし)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。