多言語多文化が共生するベルギー社会の片隅で生きる人々の日常を描くバス・ドゥヴォス監督インタビュー
多言語多文化が共生し「ヨーロッパの縮図」ともいわれるベルギー・ブリュッセルの街を舞台に、社会の片隅で生きる人々の日常の断片を、美しく繊細な描写で描いてきたバス・ドゥヴォス監督。2014年に長編第1作『Violet』を発表して以来、監督した4作品全てがベルリンとカンヌに選出され注目を集めている。
2024年2月2日(金)、長編映画『ゴースト・トロピック』と『Here』が、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国で公開される。50代のシングルマザーのムスリム女性が終電で寝過ごしてしまい、渋々歩いて帰るなかでの出会いと別れを描いた『ゴースト・トロピック』。ルーマニア人の建設労働者・シュテファンと、中国系ベルギー人で苔を研究している植物学者のシュシュの出会いを描いた『Here』。この2つの映画に込めた思いを、ドゥヴォス監督に伺った。
ーー多くを語らない登場人物たちの繊細な心情が、16mmフィルムの淡く美しい映像で描かれていて、とても素敵な世界観が印象に残り、見たあと何日も映画の世界にいるような気持ちになりました。まず最初に、『Here』と『ゴースト・トロピック』をどんなテーマで作ろうと思ったのか教えていただけますか。
バス・ドゥヴォス「これは自分たちの責任なのですが、ものすごい速さで変わりゆくこの世界で『人間として生きるとはどういうことか』、そしてそんな世界で『自分のあり方をどうやったら見つけられるか』ということを『Here』では掘り下げたかった。また、作中で植物学者であるシュシュが研究している”苔”にも特別な思いがありました。木や花や草原など、自然を楽しむ人は多いと思いますが、苔が特別なのは、それを見るにはある種の親密さが必要だからです。苔は注意深く見る必要があるんです。作中にもそんなシーンが出てきますが、立ち止まり、ひざまづいて、顕微鏡で拡大して集中して見なければなりません。苔をメタファーとして入れたわけではありませんが、私の映画も普段は見過ごされがちな人々に光を当て、前面に持ってきていると指摘されたことがあります。実際、『ゴースト・トロピック』では、私自身がブリュッセルに暮らすなかで出会うリアルな人間の物語を映画にしたいと思いました。ブリュッセルは移民が多く、多様な文化が行き交う街ですが、移民一世、二世の女性の物語は映画であまり語られたことがありません。彼女たちのアイデンティティについて私が語ることはできませんが、彼女たちが主人公の物語を作ることが重要だと感じました」
『Here』
ーー彼女たちのアイデンティティについて語ることはできない、とはどういう意味ですか?
バス・ドゥヴォス「もちろん準備として、同じような立場の人にたくさん取材はしました。でも、『移民一世か二世の50代のムスリム女性であるとはどういうことか』を映画の中心のテーマとするのは、私が白人の男性監督である以上、危険だと思います。私ができることは彼女を前面に出して、彼女が直面するあるときに起こった、ある出来事について描くことです。『ゴースト・トロピック』で言えば、地下鉄で寝過ごしてしまうことですね。これはブリュッセルの多くの映画監督が感じている問題だと思います。なぜならブリュッセルには実に多様な人種がいるにも関わらず、ほとんどの映画監督が白人だからです。私が体験しているブリュッセルという世界は、現実を体現していないと思っています。本当の世界は、多様で複雑です。ブリュッセルという街を舞台に映画を作るうえで、本当の姿を描かなければいけないと感じました」
ーーそのまま切り取ってポストカードにできそうな美しいブリュッセルの街の映像が両方の作品で多く使われていて、まるで街自体が登場人物の一人のように感じました。監督の映画にとって、舞台となる「街」はどのような存在ですか。
バス・ドゥヴォス「これまで私は一貫して、自分が感じ、見て、経験していることを描いてきました。そのうえで、言葉にするのが難しいくらい街は私の映画にとって重要です。私の映画において街は、登場人物というよりは、テクスチャーと言えるかもしれないし、素材と言えるかもしれないです。映画の舞台となる土地を知らなければ、その映画を作ることは非常に難しいと思います。登場人物以上に、その空間や場所を理解することが重要なんです。人がどこで出会い、どこで出会わず、どのように出会い、どのように出会わず、出会いを生み、別れを生むのか。街は、常に私の映画のはじまりと言えます」
『ゴースト・トロピック』
ーー改めて、監督の目から見てブリュッセルとはどんな街ですか。
バス・ドゥヴォス「ブリュッセルの興味深い点は、いろいろな文化が混在していることです。それは街のあり方に根底的な影響を及ぼしていると思います。そしていろいろな面で社会を豊かにしていると同時に、コミュニケーションの問題を生んでいます。言語は私たちの大きな問題の一つです。例えば、ブリュッセルでは、初めて会った人と最初に『お互いを理解できるか』を探らなければなりません。共有する一つの言語がないからです。日本語を話せれば、東京で困ることはないと思うのですが、ブリュッセルではフランス語やオランダ語が話せても言語の壁にぶち当たるのが日常的です*2。ブリュッセルという街は、常に多言語多文化が折り合いをつけながら、変化し続け、街としてのアイデンティティを模索し続けています。そういう意味では、今後多くのヨーロッパの街のブループリントになると思っています。世界の移民問題はそう簡単には消えないでしょう。私たちは適応し、変化し続けなければならない。言語も大きな問題となってくる。私たちは自分と違う言語を話す人を『よそ者』だと考えてしまいがちではないでしょうか。同じ言語を話す人は『仲間』だと。この前提は見直さなければいけないです」
(*2)ベルギーの公用語は、フランス語、オランダ語、ドイツ語の3つ
ーー『ゴースト・トロピック』と『Here』の2作からも自然とブリュッセルの多様性が感じられました。移民や建設労働者、シングルマザーなど、社会的要素のあるテーマも散りばめられていましたが、それが必ずしも物語の中心ではないように思いました。これは意図的でしたか?
バス・ドゥヴォス「はい、それは意図したことです。社会問題を映画の題材として軽く扱うのは良くないと思います。『肉体労働者について視覚的に興味深いから作ろう』というふうに、映画を作ることはしません。ルーマニアやブルガリア、ポーランドからの移民労働者によってブリュッセルは作られ、支えられています。ヨーロッパの地域的不平等は考えるべき問題ですが、これ自体を映画の題材にすることには興味がありませんでした。私はこれらの問題に映画で触れて、小さな種を観客に植え付けることが大切だと思っています。それが育てば、一人一人のなかでより複雑な問いにつながるかもしれません」
『Here』
ーー「普通、映画では何かしらの暴力が起こって、物語が始まり、進んでいくが、物語の構造をそういった典型的なものにしたくなかった」と過去の監督のインタビューで読みました。実際、どちらの作品も登場人物の日常をそっと遠くからのぞいているかのように感じさせる淡々とした描写が魅力的だなと思いました。
バス・ドゥヴォス「私たちが住むこの世界の構造は、物語によって形作られていると思います。映画にはよく使われる話の展開があり、ほとんどの場合、悪役が存在します。そして根底には身体的にしろ、精神的にしろ、暴力が存在します。その暴力は、物語のなかで登場人物に向けられているものだけでなく、直接的に観客に向けられたものもあります。感情を激しく揺さぶる体験の連続のものもあれば、時にはトラウマになるような映画もあります。私はそれに疑問を持ちました。人間は本当にそんなものでしょうか。もちろんこの世界には暴力が溢れています。人種差別や、男女差別は存在し、経済的な不平等がブリュッセルにあることは事実です。否定しません。でも、同時にレジリエンスや抵抗、愛、美しさにも溢れています。『ゴースト・トロピック』では女性が夜遅く一人で歩くうえで現実的にリスクとなる暴力を完全に取り除きました。そして、他人同士の助け合いや協力といったことを描くことにしました。夢見がちな考えかもしれませんが、温かく柔らかな物語を伝えることで、世界もそうなってほしいという願いを込めました」
『ゴースト・トロピック』
ーーまさにどちらの映画も、日常的な人との関わりに優しさが溢れていたのがとても印象に残りました。でも同時に、かれらから孤独も感じました。
バス・ドゥヴォス「うーん、かれらを意識的に孤独に描いたつもりはありません。ただ、人が一人っきりのときにどんな行動をとるかにとても興味があります。例えば、私には8歳の娘がいるのですが、娘が一人っきりのときにどんなことをしているか、不思議に思うことがあるんです。もし誰も見ていなかったら、彼女は部屋で一人で遊ぶとき、何をして、何を考えているのか。どこに行き、どのように動き、息をするのか。それは私は一生知ることができません。たまに隙を見て彼女のいる部屋を覗いてみるとすぐに私の存在を感じ、バレてしまうんです(笑)。そして、魔法が溶けてしまう。映画の美しいところは、誰かが一人っきりの状態を観察するという不可能を、物語の軸にできることです」
ーー最後に、社会の片隅に生きる人々を描き続ける理由を教えてください。
バス・ドゥヴォス「一つ言えることは、私が『他者』についての映画を作ることに興味があるということです。映画学校では『自分自身についての映画を作れ』と教わりました。今私自身が映画学校で教えていますが、生徒に同じことは言いません。自分の声でしか伝えることはできないけれど、自分についての映画である必要はないと思っています。映画は自分と他者の違いや距離を探求することができる美しいツールです。そして映画とは、『好奇心』ではないでしょうか? 人がどんなふうに暮らしているのか、何がほしいのか、どんな夢を見るのか。私自身の夢がそんなに面白くないだけかもしれませんが(笑)私は、好奇心があるから映画を作るんだと思います」
Text Noemi Minami(https://www.instagram.com/no.e.me/)
バス・ドゥヴォス監督初来日決定
2月2日(金)、3日(土)、6日(火)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で登壇イベント決定
2月4日(日)には沖縄の桜坂劇場にも登場
『Here』
2月2日(金)、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国ロードショー
公式サイト:https://www.sunny-film.com/here
誰の目にも触れない、植物学者と移民労働者が織りなす、些細で優しい日常の断片。
他者と出会うことの喜びが、観る者の心をしずかに震わせる。
バス・ドゥヴォス監督がその祝祭的世界観をさらに飛躍させた最新作。
ブリュッセルに住む建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払い故郷のルーマニアに帰国するか悩んでいる。姉や友人たちにお別れの贈り物として冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。出発の準備が整ったシュテファンは、ある日、森を散歩中に以前レストランで出会った女性のシュシュと再会。そこで初めて彼女が苔類の研究者であることを知る。足元に広がる多様で親密な世界で2人の心はゆっくりとつながってゆく。
脚本・監督:バス・ドゥヴォス
製作:Quetzalcoatl、10.80 films、Minds Meet production
配給:SUNNY FILM
『ゴースト・トロピック』
2月2日(金)、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国ロードショー
公式サイト:https://www.sunny-film.com/basdevos
真夜中の一期一会
現代ヨーロッパの縮図とも言える大都市ブリュッセル。
掃除婦のカディジャは、長い一日の仕事終わりに最終電車で眠りに落ちてしまう。終点で目覚めた彼女は、家へ帰る方法を探すが、もはや歩いてしか帰れないことを知る。寒風吹きすさぶ真夜中のブリュッセルを彷徨い始めた彼女は、予期せぬ人々との出会いを通して家に戻ろうとするーー
脚本・監督:バス・ドゥヴォス
製作:Quetzalcoatl、10.80 films、Minds Meet production
配給:SUNNY FILM
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