絶滅動物をめぐるふたりの冒険~川端裕人『ドードー鳥と孤独鳥』
テーマは絶滅動物だ。博物学的興味、歴史の検討、新しいテクノロジーによるゲノム・レベルでの課題解決、その是非をめぐる倫理・生態学の議論……さまざまな読みどころが、本書『ドードー鳥と孤独鳥』には盛りこまれている。
SFたる展開は、物語半ばから後盤に向けて徐々に高まっていくのだが、開幕の時点では、ひじょうに瑞々しい少年小説だ。
主人公であり語り手でもある望月環(タマキ)は、小学四年生のときに房総半島南部の町へ引っ越し、転校先でケイナちゃんと出逢う。私とケイナちゃんは、クラスで浮いた存在だった。
級友とうまく話を合わせられないタマキ。
はなから話を合わす気がないケイナちゃん。
ふたりには生物への関心という共通点があった。私が父と暮らす百々谷(どどたに)の家へ、しばしばケイナちゃんは遊びにやってきた。その周囲には植物がしげり、さまざまな生物が棲息する自然がある。私とケイナちゃんは観察し、自分たちなりの地図をつくっていく。百々谷は奥深く、どうしても到達できない未踏地域(テラ・インゴグニタ)はまだまだあるけれど、むしろ、謎が残っているほうが楽しい。
ふたりは図鑑もよく読んだ。とくに好きだったのは、絶滅した動物たちが載っている本だ。
身体が大きく、のろまな私は、自分がドードー鳥のようだと思う。
人間に懐かない、孤高なケイナちゃんは、孤独鳥(ソリテア)だ。
どちらもとうにこの世界から消えてしまった種である。人間が、人間の欲のために絶滅させた。
ある晩、深夜になってケイナちゃんが、ひとりきりで私の家を訪ねてくる。蒸し暑い季節だったが、歯をガチガチさせるほど震えていた。あとにして思えば、それがふたり一緒の少女時代の終わりだった。
百々谷から東京へ戻った私は、大学神学では物理学科を選び、卒業後は全国紙の記者になった。与えられる業務のあいまを縫って、いつか企画を通そうと温めているテーマがある。絶滅生物だ。
入社五年目の冬にチャンスが訪れた。先輩記者の後押しで北米取材の仕事がまわってきたのだ。私は任務地で時間をやりくりしてスミソニアン博物館の鳥類キュレーターと面談する。その会話のなかであがったのが、カリフォルニアに拠点を置くスピーシーズ・リバイバル財団の計画だ。
絶滅種のゲノムを解読し、最先端のゲノム編集技術を駆使することで、その絶滅種を甦らせる――それが計画のあらましだった。実際に研究の進捗も報告されており、私はこれを記事にしたいと意気込んでいた。それに対し、鳥類キュレーターの反応は「別の論点はないのか」と冷ややかなものだった。
別な論点。これがこの作品で、繰り返して問われていく。
やがて、絶滅動物についての取材・調査を進める(そのなかで大きなウエイトを占めるのが江戸時代に日本につれてこられたと伝えられるドードー鳥の消息だ)私の運命は、ふたたびケイナちゃんと交叉することになる。
堂々めぐりであってもじっくり情報を集め、興味を同じくするひとたちとともに検討を繰り返す私とは対照的に、ケイナちゃんはたったひとりで絶滅動物を思い、その行動を先鋭化させていく。
そして、少女時代にふたりが離ればなれになるきっかけとなった百々谷の夜のように、運命的な闇が襲いかかる。クライマックスではゴシックロマンス的な雰囲気さえ立ちこめる。
ただし、これは川端裕人作品なので、恐ろしい破局や陰惨な悲劇には落ちていかない。ただ、別な論点の問いには、私もケイナちゃんも誤魔化しようもなく、ずっと向きあうことになる。
(牧眞司)
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