あの小説家はギャンブル狂…偉人達の秘められた失敗談
成功はそれよりも圧倒的に多くの失敗の上に成り立っている以上、歴史に名を残すような偉人であってもたくさんの失敗をしている。それは、「失敗ではない。一万通りのうまくいかない方法を発見したのだ」というエジソンの言葉からも明らかだ。
成功者も偉人も失敗をしないのではなく、失敗から学び糧にした末に成功を勝ち取った。しかし、やはりきらめく成功譚を前にすると、失敗はかすんでみえてしまう。
■ギャンブルすら糧にしたドストエフスキー
『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(大野正人著、文響社刊)は偉人たちの失敗やしくじりを集めたエピソード集。そこからは彼らの努力や勤勉さはもちろん、調子に乗ってしまったり、相手をなめてかかってしまったりといった性格的な人間臭さが垣間見える。
『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』などで知られる作家のドストエフスキーは、ギャンブル狂でもあった。ギャンブルにのめりこみ、負けがこんでお金がなくなると出版社に頼み込んでお金を前借りすることもあったそう。
ギャンブルは何の身にもならないと敬遠する人が多い一方で、人間の心の奥底にある醜い部分が浮き彫りにもなる。ドストエフスキー作品には個性的でアクの強い登場人物が多く登場するが、彼らの人物造形や心理描写には、ギャンブルでの経験が一役買っていたのかもしれない。
■天才デザイナーに向けられた「古くさい」という悪評
ファッションデザイナーとして世界的名声を手にしたココ・シャネルにもやはり挫折の経験はある。
フランスで女性ファッションに革命を起こしたシャネルだったが、その後に起こった第二次世界大戦によってキャリアの中断を余儀なくされた。戦時下の社会はファッションどころではない。シャネルは55歳の時にデザイナーをやめた。
戦後、再びファッション熱が高まったが、流行したのはウエストを細くしめつけ、胸元を大きく開いた服。つまり「女性の体をより美しく見せる服」だった。戦前人気を博したシャネルの服は、家庭から解放され、社会に出て働くようになった女性たちのための服だった。シンプルで動きやすい、いわば「戦闘服」としての女性服だったのだ。
そんな服を作り続けてきたシャネルにとって、戦後の流行は許せるものではなかった。「女性がいきいきと輝ける服を」という想いを胸にファッションの世界に舞い戻ってきたシャネルは、一年の準備期間ののちにファッションショーを開いたのだった。
帰ってきた天才デザイナーに業界は拍手喝采、と思いきやこのショーは大失敗だった。シャネルは当時の人々にとって「昔の栄光をひきずった古くさいデザイナー」にしか映らなかったのだ。
しかし、満を持して開催したショーが見向きもされなくても、シャネルはめげなかった。その後も意欲的に新作を発表し続けると、目をつけたのは意外な場所だった。本国フランスから遠く離れたアメリカでシャネルの服が注目され始めたのだ。アメリカでの人気によってふたたびフランスでもシャネルの服は認められるようになっていった。挫折にくじけずに立ち向かったおかげで、シャネルは再び世界のトップデザイナーにのぼりつめたのである。
◇
失敗を成功までの過程と考えられる人だけが、最終的に成功をつかむことができる。失敗は「恥」ではなく「糧」。それは、天才と呼ばれるような人でも変わらない。
失敗を避けるのではなく、失敗から学ぶのが大切。失敗を恐れずに試行錯誤を続け、挫折にめげずに努力を続ける人になるために、本書の事例は大いに参考になるはずだ。
(新刊JP編集部)
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