あまり知られていない祇園祭の「後祭り」とはなんなのか?
ライターの丸野裕行です。
祇園祭の山鉾巡行が行われる前祭も無事終了し、今年の祇園祭も残すところ、「後祭」だけになりました。にぎやかな前祭とは打って変わって、後祭は夜店や歩行者天国などはなく、ひっそりと宵山を迎えます。
今回は、後祭とはどのような行事なのか、その宵山にはどのような意味があるのか、などなど解説していきたいと思います。あまり知られていない後祭、一体どのようなものなのでしょうか?
祇園祭後祭宵山の歴史
まず前祭と後祭の違いについて紐解いていきましょう。
まず、前祭と後祭では山鉾巡行が、神幸祭、還幸祭に合わせて、2度行われる行事です。神様が旅行にで出るための露払いが前祭。八坂神社にご旅行からご帰還される露払いが後祭となります。前祭と後祭が1度の山鉾巡行に統合された数年間もありましたが、今現在は昔ながらの伝統的な姿で開催されています。
では、祇園祭後祭宵山とはいつごろからはじまったものなのでしょうか?
江戸時代中期から祇園祭後祭の宵山はにぎやかになったと言われています。江戸時代の文献学者、国学者、医師、言語学者である本居宣長(もとおりのりなが)が残した京都在住の日々を記した『在京日記』、その1756(宝暦6年)年に残した文章に「鉾町はさらにもいはす、祇園の産子たる町々は、残らす家ことにて浮沈掛け渡し、一町々々一様のてふちん也。家々思ひ々々に幕うちすたれかけわたし(略)祭ならぬわたりの親類ちかつきよひまねきて、酒のみ物くひ遊ひ侍ちる。大かた夜みやの景気はいとよきかな。」と残しました。
祇園祭後祭の宵山を親戚を招いて宴を開き、楽しんだという趣旨の日記です。
後祭は前祭の山鉾の数の半分程度
後祭は前祭に比べ、山鉾の数が半分程度で前祭とは違って、どの山鉾を回ればよいかということがありません。狭い街並みに密集して山鉾が建ち並んだ状態なので、立ち並ぶ山鉾のすべてを回ることができます。山鉾の種類は、北観音山、浄妙山、橋弁慶山、南観音山、鯉山、役行者山、鷹山、黒主山、鈴鹿山、八幡山、大船鉾など。後祭宵山の場所は山鉾が並ぶ山鉾町と呼ばれます。
四条通の交差点烏丸通から、西の新町通のエリアが山鉾町になります。山鉾町で会所飾り、御朱印巡りなども楽しめます。この周辺には、美味しいお店も多く、山鉾を楽しみにきた地元客や観光客の舌も魅了します。
《周辺のおいしいお店》
1.焼きとんサカマル酒房(モツ焼き、ホルモン)……京都市中京区室町新町之間四条上る観音堂町454-3
2.Abats 奥村(日本料理、創作料理、ラーメン)……京都市下京区松原通烏丸東入ル南側俊成町445 オークリッチ烏丸
3.京洋食まつもと(洋食)……京都市不動町171-4
4.京都イタリアン 欧食屋 Kappa……京都市下京区仏光寺西町352 瑞瑞ビル2F
5.亜樹(洋食、コロッケ、ハンバーグ)……京都市下京区四条通室町西入ル
このように山鉾周辺で京都らしいランチやディナーを楽しむこともオススメです。
祇園祭名物の「コンチキチン」の音色って?
後祭宵山では親しみを込め、今年最後の「コンチキチン」という祇園囃子が生で演奏されます。祇園囃子というのは、室町時代の末期に能や狂言の能楽を元にして演奏されるようになったそうです。
江戸時代には現在のようなおなじみの様式になったといわれています。山鉾のように、祇園囃子もそれぞれの山鉾町独自のリズム(鉦)やメロディーがあり、笛や太鼓から構成されているようです。これには、疫病の元である悪霊を誘い出して引き寄せ、山鉾町に誘い出し、それぞれの蔵に封じ込める役割があるということ。
後祭宵山では夕方から11基で祇園囃子が奏でられます。それらは晴天を祈願する日和神楽(ひよりかぐら)といわれています。
以上が祇園祭の「後祭り」の説明となります。
もし京都にいらっしゃるようであれば、前祭とは趣の変わる様を是非ご堪能ください。
祇園祭宵山(後祭)2023/7/21~23(屋台・歩行者天国なし)
24日9:30~山鉾巡行(後祭)神輿渡御・還幸祭に先立って行われます。山鉾巡行ルート(烏丸御池~御池通・河原町・四条通の順)
※後祭は前祭と異なって、夜店や歩行者天国はありません
※夕方から山鉾11基に駒形提灯が灯されて、祇園囃子が奏でられるので、人出が多くなります
※一部、写真ACより
(執筆者: 丸野裕行)
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