愛と祖国の間で揺れながら生き抜いた女性たち〜深沢潮『李の花は散っても』
大正から昭和にかけての激動の時代を、愛した人と祖国の間で揺れながら生き抜いた女性たちの物語である。庭園で大切に育てられた清楚で可憐な花と、道端に咲き何度も人々に踏みつけられそうになる素朴な花。どちらも力弱い存在である。だが、荒れ狂う嵐の中で、容赦ない風になぶられながらも、しっかり根を張ってまた花を咲かせる。そんな植物に似た生命力を持つ二人が主人公だ。
一人は、実在の人物をモデルにした高貴な身分の女性である。方子は、梨本宮家に生まれた自分が、朝鮮李王家の王世子である李垠に嫁ぐことになったことを、新聞の見出しで知る。衝撃を受けたものの「日鮮融和の礎」になれという母の言葉に励まされ、難しい立場に不安を覚えながらも嫁ぐ決意をする。幼い頃に親と離され日本に来た垠は、孤独で感情を表に出さない青年だった。自国を併合した日本の皇族との結婚は不本意なのではないかと心配をするが、次第に心が通い合うようになる。長男の晋が産まれ夫婦の絆も強くなるが、結婚後初めて訪れた朝鮮で悲劇が起こる。晋が急死してしまうのである。原因は毒殺の可能性があった。
もう一人は、かつて梨本宮家で女中をしていた母を持つマサだ。こちらは架空の人物である。母はマサを育てるために実業家の後妻になるが、苦労の末に亡くなった。義父から家を追い出されてしまい、母が良くしてもらったという梨本宮家の使用人を訪ねるが、既に亡くなっていて頼ることはできなかった。働き始めた店でも酷い目に合わされ、憧れの方子の晴れ姿を一目見てから命を絶とうと考えていたところ、朝鮮からの留学生で密かに独立運動をしている南漢と、その従姉妹である女学生・恵郷に助けられる。関東大震災が起き、マサは朝鮮人に対し残酷な行為をする人々を目の当たりにし、ショックを受ける。恵郷に誘われて彼らとともに朝鮮に行き、やがて南漢と愛し合うようになる。
生まれながらにして国家を背負わされ、自分の意志で生き方を決めることのできない方子と垠。国籍と身分ゆえに朝鮮の人々からも、日本の人々からも攻撃や非難の対象とされ、命すらも危険に晒される。夫婦の間に愛情は育まれても、隔たりを消し去ることは出来ない苦しみが、丁寧に描かれていく。一方のマサは、日本という国で自分の居場所を得られなかった女性だ。南漢や恵郷と一緒にいたいという気持ちで朝鮮で生きる決意をしたのに、日本人であるということに翻弄され続けてしまう。
別々の場所で苦難を乗り越えた二人の人生が重なるラストまで、一気に読んだ。何があっても諦めず、大切な人を思い続けた生き方は、痛々しくもあるが、清々しく頼もしい。一方で、震災時に残酷な暴力の犠牲になってしまった女学生の最期や、祖国に帰れない辛さと親族を毒殺された恐怖から、心を病んでしまった垠の異母妹・徳恵の悲しい人生も心に残る。国や民族同士の対立は、人間の残虐性と歪んだ欲望を露わにする。罪のない人の命や尊厳が奪われ、深い傷が残る。その恐ろしさから目を逸らすことを、この壮大な物語は許してくれない。「人を殺すことに、なんの正義もない」というマサの言葉が、まっすぐに心に突き刺さる。
(高頭佐和子)
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