闘病記に収まらないノンフィクション〜西加奈子『くもをさがす』

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 発売前から大きな話題となってたこのノンフィクションについては、これから先も、数えきれないほどたくさんの人が何かを書き、語るのだろう。私もその一人になりたいと思う。この本を読んでほしいという気持ちももちろんあるが、私自身のために書いておきたいのかもしれない。人をそういう気持ちにさせる一冊なのだ。

 西加奈子氏が、家族でカナダに語学留学中に起きた出来事が書かれている。ある日、足に大量の発疹ができた著者は病院に行こうとする。コロナ禍のカナダで医療にたどり着くことは難しい。苦労の末ようやく医者の診察を受けられることになり、蜘蛛に噛まれたことが原因であるとわかるが、そのおかげで以前から気になっていた胸のしこりも診察を受けることができる。結果は乳がんだった。コロナ禍で帰国できず、カナダで闘病することになった著者は、日本とは違う制度や言葉の壁に翻弄されながらも、ポジティブな医療関係者や、信頼できる友人たちや家族に助けられて、痛みと苦しみと不安を伴う治療を乗り切っていく。その過程については、ぜひ本書を読んでいただきたい。闘病記という枠に収まらないテーマに、心を動かされる人がたくさんいるのではないかと思う。

 病気というのは避けられないもので、いつか同じようなことが私の身にもきっと起きるのだろう。著者のように弱い自分を受け入れ、周囲の人を頼り、ポジティブに自分の体と付き合う自信があるかと聞かれたら、答えはNOだ。自分の弱さを認めると何か悪い物につけいられる気がするし、人を頼ったら迷惑がかかってしまうのではないかと躊躇してしまう。次々やってくる老化と数々のコンプレックスで、すでに自分の体に対してはガッカリの連続だ。著者の経験を読むことで、自分がポジティブに闘病できる気がしたかと聞かれたら、全くそうではない。だけど、大事なことに気がついた。

 「あなたの体のボスは、あなたやねんから。」と、治療方針を話し合う場で、著者は医療関係者からこの言葉を言われる。(この本の中でカナダ人の医療関係者はなぜか関西弁である。)よく考えてみれば、当たり前のことだ。最初から最後まで私の体と付き合うのは私自身なのだから。だけどその当たり前を私は少しずつ手放して、自分の目の前にある流れの中で漂ってきたのかもしれない。それは同時に、自分の人生を手放すことでもあるのではないだろうか。人からどう思われるかは気にすることはあまりせず、割と好き勝手に生きてきたと思ってきたけれど、実際は次から次に入ってくる情報に左右され、気がつくと見た目も働き方も「こうあらねばならない」自分を規定している。そして、できるだけそこに近づけるように、人から変だと思われないことを優先して、いくつものことを諦め、無理をしてきたのではないだろうか。

 「私の文章が、あなたの心でどんな音を鳴らすのか、あなたの魂にどんな波紋を作るのかは、分からない。それがどれだけささいで、小さくても、私は私の全てを投げたい。」と著者は書く。心には、確かに波紋が広がり続けている。最後にどういう影響を自分に与えるのかはわからないけれど、私自身を取り戻そうという思いを、初めてこの手に握りしめたような気がしている。

(高頭佐和子)

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