「人間到る処青山有り」とはどんな意味の言葉?その由来は?「青山」とはなんのこと?

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骨を埋める場所はどこにでもあるということを言った言葉、それが「人間到る処青山有り(じんかんいたるところにせいざんあり)」です。
これは望みを叶えるにはリスクを恐れずに動くべきだという教え・戒めとしても使用されます。
しかし、そもそも「青山」とは何を指しているのでしょうか?

今回はそれら「人間到る処青山有り」について解説します。
特にここでは「人間到る処青山有り」の意味はもちろん由来や語源についても説明します。

「人間到る処青山有り」とは

まずは「人間到る処青山有り」の意味を見てみましょう。

「人間到る処青山有り」の意味

「人間到る処青山有り」とは、骨を埋める場所はどこにでもあることの例えです。

これは大望を実現するためには故郷にこだわらず、広い世間に出て活動すべきであるということを言ったことわざです。
特に心置きなく挑戦することの大切さを説いた言葉と言えるのではないでしょうか。

「青山」とはなんのこと?

「人間到る処青山有り」について詳しく知るには、言葉を分解して見ていくとわかりやすいです。

まず「人間」については人々の間のことを言います。
これはいわゆるヒューマンではなく世の中を指しています。
そこは通常の「人間」とは違うので注意しましょう。

「到る」はある場所や時間、状態に行き着くことを表します。
また「青山」は骨を埋める墓地などのことを意味します。
その他「有り」はそこにあることを言った言葉となるのが特徴です。

これらをすべてまとまると、世の中にはどこにでも骨を埋める墓地があることを意味するわけです。

「人間到る処青山有り」の由来

ここからは「人間到る処青山有り」がどこから来た言葉なのかを見ていきましょう。

出典は「月性」という僧侶の詠んだ詩の一節から

「人間到る処青山有り」は幕末の僧侶、月性の詩「将に東遊せんとして壁に題す」から来ています。

月性は詩人だけでなく教育者としても活躍した人物です。
また、思想家や剣術家としても知られた人物でした。
そんな彼が詠んだ詩の一部が「人間到る処青山有り」なのです。

故郷を出る決意が込められた詩となっている

月性はもともと周防(現在の山口県)に生まれた人物です。
彼は27歳の時、著名な漢学者である篠崎小竹に弟子入りすることになります。

その際、故郷を出る際に詠んだとされるのが「人間到る処青山有り」を含む詩だったと言われています。

当時、彼は一度決心して故郷を出るからには、学問が身につくまでは帰ってくるわけにはいかないと心に誓いました。
その決意の後に呼んだのが「骨を埋めるに何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」という一節だったそうです。

これは先祖代々の墓に葬ってもらおうとは考えていないことを詠っています。
それに続いて、世の中どこに行っても墓地になる森はあるとも詠っているわけです。

つまり、彼は故郷に固執するのではなく挑戦のためにはどこへだって行くという気持ちを詠っているわけです。
その決意の気持ちがこの言葉に集約されています。

その後、月性は攘夷論者として活躍するに至りました。
幕末志士の中には彼の影響を受けた人物もいるくらいです。

その後、彼の詩に関しては明治以後、立身出世を夢見て故郷を旅立つ青年への送別会などで吟じられるようになります。
そこから「人間到る処青山有り」だけが広く知られるようになったとされています。

まとめ

「人間到る処青山有り」は骨を埋める場所はどこにでもあることを言った決意の言葉となります。
これは故郷を出ることになった僧侶が、自分の気持ちを謡った句となっています。

現代では「野望のためには故郷にこだわらず夢に向かって突き進め」というような意味でも使用されることが多いです。
自分への励ましの言葉でもあるので、気に入った方は座右の銘にしてみてはいかがでしょうか。

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