人殺しの家族と呼ばれても――。”加害者家族”の試練や葛藤に迫った一冊
殺人などの事件を起こした犯人が成人であった場合、「もう加害者はいい年した大人なのだから、その親が非難されたり責任を問われたりするのはおかしい」というのはよく聞かれる言葉です。しかし実際には、その怒りの矛先が加害者だけでなくその家族にもおよぶことは少なくありません。中には、ネット上で根拠のない誹謗中傷や嫌がらせを受け、辞職や引っ越しに追い込まれたり自ら命を絶ったりする人々もいるほどです。
それでも「加害者とともに生きる」という道を選んだ家族の姿を丁寧に描き出したのが『家族が誰かを殺しても』です。著者の阿部恭子さんは、日本初の犯罪加害者家族を対象とした支援組織「World Open Heart」の理事長として、これまで2000件以上の加害者家族を支援してきました。その中のひとつが、同書でも取り上げている「東池袋自動車暴走死傷事故」の加害者遺族です。
2019年4月、暴走した乗用車により母子が死亡したこの事故は、当時87歳だったドライバーが元官僚だったことから、そのコネを利用して逮捕を免れたという「上級国民バッシング」が起こり、世間で大きな関心を集めました。容疑者となったドライバーの息子から電話を受けた阿部さんは、「睡眠も食事も、まともに取ることができないという。電話の声だけで、憔悴しきった状況は十分に伝わってきた」(同書より)と記します。容疑者の自宅の電話は鳴りやまず、事実とは異なる情報が拡散され、世間の憎悪は強まっていくばかり。身の安全を考え、「身柄を拘束してほしい」と家族から警察に頼んだこともあったそうですが、こうした感情とは裏腹に、世間では家族も不逮捕に協力したという批判はやみませんでした。
阿部さんは同じく「上級国民」とされた元農林水産省事務次官が息子を殺した事件における世間の反応の違いを挙げ、どちらもそこにあるのは「『家族であれば殺しても良い、他人に迷惑をかけるような家族ならば、家族の責任で始末すべき』という究極の家族連帯責任である」(同書より)と指摘します。
そして同書の最終章の六章「家族はどこへ向かうのか」では、「家族に連帯責任を負わせるのをやめて、加害者本人に然るべき責任を負わせるべきであり、そのために社会に求められるのは、犯罪の温床となる貧困や暴力の根を断つ努力である」(同書より)と訴えます。
東池袋自動車暴走死傷事故のほかにも、東北保険金殺人事件、岩手妊婦死体遺棄事件、宮崎家族三人殺人事件の加害者家族の姿についても記している同書。けっして犯罪自体を容認したり真実を暴いたりするのではなく、罪を犯した者とともに生きる家族の試練や葛藤をテーマに書かれています。
大切な家族が他人の命を奪ってしまい、ある日突然、自身が加害者家族になる――。それを「絶対にない」と言い切れる人はどれほどいるでしょうか。だからこそ、同書でそうした人々の姿を知ることに意味があるはずです。
[文・鷺ノ宮やよい]
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