映画『復讐は私にまかせて』─“有機的なカメラ目線”を持つレジェンド・カメラマン 芦澤明子さんインタビュー
【男】勃起不全のケンカ野郎 × 【女】伝統武術シラットの達人?!!
“インドネシア映画の快作”が、絶賛公開中です。
『復讐は私にまかせて』はエドウィン監督による、“究極のジレンマ”に苦しむ男女のラブ&バイオレンス作品。インドネシアのベストセラー小説を原作にもつ本作は、現地公開でも大ヒットを記録しています。
満を持して日本上陸となったのですが、実は本作のカメラマンは、なんと日本のベテランカメラマンの芦澤明子さん。今回、そんな芦澤さんにインタビューする機会に恵まれました。
【芦澤明子氏プロフィール】
東京生まれ。学生時代、8ミリ映画作りが高じて映画制作の世界に入る。
中堀正夫氏、川崎徹監督に多くを学ぶ。ピンク映画、PR映画、TVCFなどの助手を経て31歳でカメラマンとして独立。1994年、平山秀幸監督『よい子と遊ぼう』から映画にシフト。以後、黒沢清監督の『ロフト』(05)、『叫び』(06)、『トウキョウソナタ』(08)、『岸辺の旅』(15)、『旅のおわり世界のはじまり』(19)、沖田修一監督『南極料理人』(09)、『滝を見に行く』(14)、『子供はわかってあげない』(20)、原田眞人監督『わが母の記』(11)、矢口史靖監督『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』(14)、深田晃司監督『さようなら』(15)、『海を駆ける』(18)、吉田大八監督『羊の木』(18)、大友啓史監督『影裏』(20)など数々の撮影を担当し、毎日映画コンクール、芸術選奨文部科学大臣賞など多数受賞。
まさにレジェンドともいうべき経歴と実力の芦澤さんですが、なぜ芦澤さんが抜擢となったのか、現地ではどんな撮影が行われたのか、さらには芦澤さんのカメラマン人生にまで、迫ってみたいと思います……が、しかし、インタビューは筆者(オサダ)の“感想”で、思わぬ展開に……。
芦澤さんの「カメラ目線」
─ガジェット通信のオサダと申します。記者やりながら、カメラマンのようなこともさせていただいてます。ムービーのカメラについては、もう勉強させていただくつもりで今回、『復讐は私にまかせて』を拝見させていただきました
芦澤明子さん(以下、芦澤):はい。ありがとうございます。
─拝見してたら、あの、芦澤さんのカメラってなんて言うんですかね……これ多分他の人がたくさん言ってらっしゃることだと思うんですけど
芦澤:いや、私あまり何か言われないですね。聞きたい聞きたい! なに?
─芦澤さんのカメラは、「誰かがそこに居たときの目線」みたいな、すごく有機的な動き、「生き物の目の動き」と同じものを感じたんです
芦澤:それ、私のメモに書いていい? 初めてだから。そんなこと言われたの(笑)。
今日のメモ書きの一番最初のところに書いておく!
─きょ、恐縮です。今回本作を見てから、過去にカメラを担当された『岸辺の旅』(2015年黒沢清監督)も観てみました。『復讐は私にまかせて』もそうなのですが、その瞬間に「誰かがそこに行ってこの光景を見ている」っていう感覚がものすごいありまして
芦澤:うん、うん。
─あと、あの止め画、フレーミングの美しさ。もう完璧だなっていうのがもう、僕が本作を観た時に感じたことなんです。なので、その場の没入感がすごく高いっていうのが、きっと芦澤さんのカメラなのかなという風に僕思ったんですけども……よく言われませんか?
芦澤:初めて言われた! 本当に初めてです。
だから今、こっちがインタビューしてる感じでいいこと言ってくれるなぁって思ってメモしたんです。あなたのね、オサダさんの見え方が素晴らしいということでね。どっかで使ってもいい?
─もちろん、もちろんです、恐れ入ります(一同笑)
大きく影響を受けたのは「あの監督」
─印象的なカメラワークとして最初に思い出すのが、“柱の回り込み”のシーンと、あと、林の中で“謎の女・ジェリタ”(※ネタバレ防止のため表現をボカシています)を追っかけるところです。林の中、遠景に対して手前の木が眼前を覆いながらも追っていくシーンが印象的でした。あの画作りの形ってエドウィン監督のオーダーですか? それとも芦澤さんの?
芦澤:あのシーンは監督のオーダーでもあるんですけど、私の好みでもあるんですよね。私の好きな映画の一つに、実相寺昭雄監督の『無常』(1970年)って映画がありまして。まだ、きっとオサダさんが生まれる前の作品です。
─実相寺昭雄監督って言うと、もしかしてウルトラマンの?
芦澤:そう、ウルトラマンの! 実相寺さんはウルトラマンのあと(1970年に)TBSを辞めるんですが、初めて作ったのが『無常』って映画なんです。今日終わった後、配信などで作品観ていただきますと、先ほどのオサダさんのコメントを裏付けするような動きがいっぱいあります!
─ああ! 色々合点がいきました……。僕、庵野秀明監督のフレーミングも好きなんですけれども、あの方も実相寺監督の影響が大きいと聞いたことが有ります
芦澤:庵野さんの実相寺監督へのリスペクトは素晴らしいですよね。彼の映画にも溢れてました。
─芦澤さんのフレーミングも実相寺監督からの影響が大きい?
芦澤:それを強く受けてますね。あと『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972・ベルナルド・ベルトルッチ監督)っていう映画もあって、それはなんか(カメラが)「動いてる」映画だったんですよ。街の地下鉄に沿って動いてるところとか。
そういうのを見て「やっぱ動きっていいな」っていうのが、私の本質のどこかにあるんですね。
そうした背景があって、本作の『復讐は私にまかせて』ではエドウィン(EDWIN監督)からも(先ほどの林のシーンで)「ここからこういう風にしたいんだけど、いい?」とか言われた時、「待ってました!」っていう感じでやりました。
エドウィン監督との出会い「“変”な出会い」
─エドウィン監督からオファーのきっかけは何だったんですか?
芦澤:『アジア三面鏡』っていう東京国際映画祭のプロジェクトがあったんですけれども、オムニバス映画の1本(短編『第三の変数』)を撮ってみない? ってプロデューサーから言われたのがきっかけです。そのプロデューサーと私は、深田晃司監督の『海を駆ける』(2018年)っていう作品でご一緒した人です。そういうご縁があって「やってみない?」って言われて。
まあ『第三の変数』、超変な映画なんですけど、やっていたら、まあ向こう(エドウィン)も変ていうか(笑)、心の深いところ、琴線が合ったってことですよね。
それで「次やりましょう」っていう感じで来たのが、これ(本作)だったんです。ただ、ちょっと意外でしたね。アクション映画っていうのは。
─芦澤さん、実はアクション自体は初めてとか?
芦澤:アクション映画って名前のつくものは初めてですね。アクションは映画の一部にあるものはありましたけども、「大丈夫かな?」と思ったら、まあエドウィン監督は「大丈夫、大丈夫!」って気軽に言ってたから「そっか」って思って。
─(笑)
芦澤:そこがね、インドネシアの人のおおらかなところですね。「大丈夫」って。
稼働中の採石場で撮影、そしてケガ
─実際にアクションをお撮りになられて、新たな気づきとか発見はありましたか?
芦澤:今回の作品は、アクションの中でも“愛のカタチ”をアクションでやる、っていうことをエドウィンから聞いていました。男性は普通にカッコよく撮れるんですけど、女性がかっこよくアクションまでするようにっていうのに、すごく気をつけようと思いました。
─それって難しかったのではないですか?
芦澤:そうですね。初めてやるとなると難しいんです。だから、メイクや髪型も含めて、一番(ヒロインの)イトゥンが美しく見えることっていうのは、メイク部とかヘアの方、衣装の方と探りましたね。
─あのアクションシーンは確かに美しかったです。激しいけど、品がある見せ方というか
芦澤:彼女たち、本当にアザだらけになりながらやってました。
─なんか本当ケガしそうな場面、沢山あるなと思いながら観てました
芦澤:実際にケガしてましたからね!(笑)砕石場では足を痛めたりね。
─ええっ!やっぱり! あそこの場面は怖い…… と思いながら観てました
芦澤:あそこって廃屋になった採石場じゃなくて生きてる(稼働している)んですよ。あの周りってトラックが行き来したりとか、結構、神経質にならないといけない現場なので大変でしたね。
インドネシアならではの“ミックス”
─通常稼働している中での撮影って、なかなか日本ではお目にかかれなさそうな現場ですよね。日本とインドネシアでの映画の作り方も違いみたいなのって感じた部分がおありですか?
芦澤:国民性って言うんですか? “ミックス”するのが上手でしたね。
ハリウッドによるハリウッド的なルールと違う、自分たちの元々のルールをうまく組み合わせて、しかも多くはイスラム教徒だったりとか、キリスト教との宗教的なミックスもあるんです。「黄昏時(礼拝)どうすんの?」みたいな、そういったことを言える落としどころ作ってやってるって意味では、すごく大人だなと思いましたね。
─日本では和洋折衷なんて言葉もありますけど、インドネシアでも文化とか作法のミックスが
芦澤:普通は、どっちかというと一元化したくなるじゃないですか?けど、これはこれ、あれはあれ、という感じで本当にミックス度がうまくいってるな、っていう感じなんですよ。
─あと、現場スタッフに女性が多いと聞きました
芦澤:そうですね。女性が多いのはもう世界中当たり前のこととはいえ、やっぱりその責任者の人たち、制作部とかでポイントになる人が女性ばかりで、なおかつ優秀でした。
思っていた以上に優秀で、想像していた以上に繊細でしたね。最初に何も知らないでロケハンに行ったんですけど、ロケハンのスケジュールでさえ、(当時のスケジュール表を見せてくれながら)ほら、30分刻みに。
─本当だ
芦澤:あなどれない、すごい! やばい、この人達! って思いましたね。
でも、スケジュール表を見るとご飯は大事にするんですよ。私もしっかりごはん食べるんだけど、こんなに忙しくても、ちゃんと「ディナー」って書いてあるじゃないですか。そういうところを大事にするっていうところがゆとりに繋がるのかなと思いましたね。
─映画の現場的には、そういうのは結構、優先度低めにしちゃうイメージがあります
芦澤:切羽詰まると、ご飯は「車中でおにぎりでお願いします」みたいになるじゃない? でもそれをね、私の知る限り(インドネシアの現場では)やらないんですよ。
─日本は日本で“映画業界の常識”みたいなのがある一方で、インドネシアの現場の常識があるのですね。今のお話を聞くと、ちゃんと人とのバランスとか、折り合いをつけてる印象ですね
芦澤:そこに私たちが行って、「日本はこうだから、忙しい時はご飯時間短縮して」っていうようなことではなく、もうここに行ったらもうこの通りやると、いいことがきっとあります。あると思いましたし、よかったですね。
─こういう良い部分を日本の現場が取り入れることによって、日本もまた違う成長とかが見込めそうですよね
芦澤:そうですね。女性の方の活躍とかたくさん“芽生え”があるじゃないですか。特にその芽がどれだけ豊かな“苗”になるかっていうのは、(現場の)シニアの人たちにかかってますから、それはちょっとね、気遣ってあげたいなと思いますね。
“インドネシアの体臭や歴史”を出したい
─今回芦澤さんが撮影する中で、ここに気をつけようと考えてたところはありますか?
芦澤:海外で撮ったんだけど“日本映画的なもの”にならないように、気を配りました。インドネシアの香りっていうかね、体臭とか匂いっていうものを出してって、お客さんに少しでも伝えられたらいいなと思いました。
あと今回の作品が1980年から90年あたりを舞台にした映画なんです。その頃って日本もそうであったようにインドネシアの治安とか政治っていうのもいろんなことがあって、その1つの対象として、いろんな人が登場するわけです。だからインドネシアの歴史を知らない人たち─っていうか私も知らないんだけど(笑)、「なんかそういうインドネシアの歴史の深さがあるんだな」って いうのが伝わったらいいなって思います。
いちいち「このキャラは、こうこういうことの代弁者で~」とか、そんな細かいことは言わないけど、みんな歴史を背負っている人たちが登場する。
たとえば本作では(街を取り仕切る)ゲンブルおじ貴とかね。これは解釈のひとつなんだけど、たとえば児玉誉士夫(※政財界の黒幕、フィクサーと呼ばれた活動家)とか小佐野賢治(※ホテル王、裏世界の首領と呼ばれた実業家)とかわかるかしら。
─はい、わかります
芦澤:ゲンブルおじ貴ってそういう人じゃないですか。細かい部分までわからなくても、(作中から醸し出される)歴史の重さで何か感じてくれたらいいな、って思います。
─今回の作品って2020年に撮った感じは全くしなくて、芦澤さんがおっしゃった“体臭”が、行間というかフィルムからにじみ出てる感じからあると思いました。先ほど僕は芦澤さんの作品って、よーく見ると確かに共通部分がある、とは言ったんですけど、それは芦澤さんが撮ってるとわかったうえで比較したからわかったわけで。言われないともう、本当にインドネシアの現地で作った作品っていう感じですね
芦澤:私もそう思いました! トレーラー見て、これ、インドネシア映画じゃん! って思ったんですけど(笑)。だから、そこにその行間とかそういうのを加えるために、やっぱりエドウィンがフィルムにこだわったってのは、そういうことかなというのもちょっと思いますね。
─芦澤さんご本人が見て現地のものだって感じたって大成功じゃないですか
芦澤:間違いなく思いましたね(笑)。私もエドウィンに、「日本人のカメラマン使うのと、インドネシアのカメラマン使うのとで違いはある?」って言ったことがあるんですね。私は「少しはあるよ」って言われるかなとか思ってたのですが「全然なかった」「感じなかったね」って言われたから、まあいいのかな! と思いますけどね。
─すごい!なんだか伺ってるともうめちゃめちゃスムーズに行った感、印象ばかりなんですけど、しんどかった時ってありましたか?
芦澤:私たちが想像していた以上に湿度が高いんですよね。映画のカメラってファインダーがついてるでしょ? そのファインダーが湿度でぐちゃぐちゃになって、まるで見えなくなってしまったんです。だから、それをヒーター付きのファインダーに取り替えるように手配したんですけれども、インドネシアになかったから、東京から運んでもらったんですね。到着するまではほとんど見えないような状態でやってたので、インドネシアでは湿度はあなどってはいけないって思いましたね。
今思うと「おぞましいほど失礼」なきっかけ
─芦澤さんが映像を撮ろうと思ったきっかけを教えてください
芦澤:(ジャン=リュック・)ゴダール監督の『気狂いピエロ』(1965年)っていう映画をちょっとしたきっかけで観て、で「これだったら私も映画が撮れる」っていう、おぞましいほど失礼なことを感じて。 監督になりたくて 8mm映画を撮り始めたんですが、自分の作ったのを観て「これはダメだ」と。でも撮影の方だったら監督がカバーしてくれるしいいや! という(笑)。同時期に先ほどの、『無常』とか『ラストタンゴ・イン・パリ』とか、「動きのあるものへの興味」っていうのはすごく大きくなりましたね。
今日はぜひお帰りになったら『無常』をちょっと調べていただいて、観ていただきたいです。
─必ず観ます。「動きのあるものへの興味」、ですか
芦澤:このごろ、「動き」も種類が変わってるじゃないですか。(手ブレ補正などの)耐震のついた、そういう動きも動きですし、以前からあるようなレールな感じの動きもありますよね。
芦澤:一言に「動き」っていってもまた種類が増えてますから、どういう動き、どういう質の動きを求めるかっていう、そういうことも違ってきますよね。
─「動きの質」。さっき僕はあの有機的って言葉を使わせてもらったんですけど、最近って機会がもう性能良くなってきてて、もうブレもなければ滑らかで
芦澤:ピタっと止まりますよね。
─そういう滑らかすぎるものに、変な言い方ですけど違和感を覚えるときがあります。耐震自体は素晴らしい発明ですし、映像の進化に一役買っているのは確かです。実際楽ですし
芦澤:あれはあれでいいんですけど、あれではない動きも必要だってこともあるじゃない?
それが有機的、ってことかもしれないですよね。
─今回の作品を観て、自分の目って実はいろんなところを震えながら見てるんだなということも思いました
芦澤:意外に手持ちが新鮮だったりする時代も来るでしょうね。今回は80年代から90年代の表現にぴったりだなっていうことで、耐震とか使わず、全部移動車とかでやろうということになりました。
インドネシアでも(ブレや振動を抑えられる)ステディカムとかあるんですけど、監督と相談して、先ほどおっしゃった言葉をお借りすると「有機的な動き」にしよう、という風にしました。
制約の多いラブシーンのもたらしたもの
─本作、ラブシーンも印象的でした
芦澤:性の表現も宗教上の理由からいろんな制約があって、そういうところも監督は悩み考えたと思いますね。当然、胸とかの露出はいけないですし、インドネシアなりの制約もあります。
─でも、直接表現がない分、逆になまめかしい印象でした
芦澤:そうおっしゃってくださったみたいに、なまめかしくなるならばよかったな、と思います。
─映したらいけない所とか、ギリギリを攻めなきゃいけない、とかを相談して?
芦澤:いえ、そういう話は一切しないんですよね。そこがなんかおおらかなところっていうか。だから、胸の表現がないから「あ、そういうことだろうな」と思ったけど。他のことに関してもひとつも言われてないですね。
─じゃ、そこはどちらからでもなく、阿吽の呼吸というか
芦澤:そういう風にしか撮りようがないよね、っていうような、そんな感じでした。
─映画のシーンの話で言うと芦澤さん好みの、「ここ好きだな」ってシーンっていうのがあれば
芦澤:好きというか、苦労したところでもいいですか? “日食”の場面ですね。(※ネタバレ回避のため表現をボカシています)
─独特な照明の場面でした
芦澤:日食とか自然をコントロールできないから、やっぱりフィルターワークなどで、夕方チェックから夜にするというような、そういう工夫はやりましたね。
あのシーンはカメラテストも重ねましたし、あれがテーマであり、作品としてやりたかったことの一つですから。
唯一できなかった監督からのオーダー
─とても重要なシーンですね。あと、美容院の上からのあのカットがすごく綺麗です
芦澤:その美容院のシーンと言えば、イトゥンが驚く場面がありますよね? これ、私はできなかったことなんですけど、エドウィンは「驚いたらその毛が逆立つだろ」って言うんですよ。産毛がちょっと逆立つ、って。そんなこと急にはできないじゃない? でもその産毛が立つっていうところを、どうしても撮りたい、って言って。
色々工夫してフィルムもずいぶんフッテージ(素材撮り)回したんですよ。でもね、結局、鳥肌には見えなかったんです。監督に言われてできなかったことと言えば、鳥肌が撮れなかったことでしょうね。唯一、あれはできなかったですね。
ただ、それくらい、エドウィンは変わった人ですね。愛すべき変わった人です。
若いクリエイターへ
─芦澤さんのことを目標にしている若いクリエイターたちに、何かアドバイスをください
芦澤:すごく偉そうなこと言うと、……映画以外の美術とかあるじゃない? 日本美術とか世界の美術とか。映画を学んだり観たりするのは当たり前なんだけど、それプラス「映画じゃない芸術」、 芝居であるとかダンスであるとか絵画であるとか。何か一言ぐらい意見が言える、別の趣味を持ってるといいんじゃないかなと思います。優越感にもひたれるし、勉強にもなって一挙両得だし(一同笑)。
─映画の現場ってコミュニケーションの割合が、かなりの割合占めると思うんですけど、芦澤さんがコミュニケーションで大事にしてる事があったら知りたいです
芦澤:現場ではあんまり余計な話はしないんですけど、まあ食事とか飲み屋行ったりしたらもう平等だってことですよね。お酌とかしなくていいとか。
ある程度の上位関係って映画の現場にはあるけど、オフになったらみんなフリーっていう感じですよね、うん。でも気を使ってほら、瓶ビール持ってきて「どうぞ」とか言われちゃうじゃないですか? それは嫌だから私は生ビールしか飲まないんですよ(一同笑)。瓶ビールだとみんな(他の人に)注ぐでしょう? 注ぐのは嫌だなって。そういうことかもしれませんね。
─フラットでありたいと
芦澤:まあできるだけそういう風にしています。そのほうが楽しいですからね。
今後
─これから次また何かしら作品撮られると思うんですけど、なんか今後これをしたいとか、何か目標はおありですか?
芦澤:監督に寄り添っていくタイプなので、私個人としては特には無いんですけど、可能性としてはやっぱりアジアの知らない人と知らない国とかでやりたいなとは思ってます。今度フィリピンとかで映画の企画があるので、そんなのが実現したらいいなとは思ってます。
─ありがとうございます
芦澤:これでインタビュー的には大丈夫ですか?
─たくさんいいお話を頂いたんで
芦澤:私もオサダさんから聞きましたよ!(メモを読みながら)「生き物の眼のように観ている」「誰かそこに居るような、没入感がある」、「有機的な……」などなど(笑)
─本当に恐縮です!!!! ありがとうございました
■
飾らず、思ったままを気持ちよく語ってくださった芦澤さん。超ベテランながらも、インタビュー中でも新たな吸収を絶えず続ける姿勢に、ただただ、頭が下がりました。
芦澤さんの「活きた眼」を持つカメラワーク、現地の匂いが立ち上るフィルム、是非、作品内で確かめてください。
■復讐は私にまかせて
シアター・イメージフォーラム他にて全国公開中!
https://fukushunomegami.com/
監督&脚本:エドウィン『動物園からのポストカード』
撮影:芦澤明子『わが母の記』『トウキョウソナタ』『海を駆ける』
出演: マルティーノ・リオ ラディア・シェリル ラトゥ・フェリーシャほか
2021│インドネシア、シンガポール、ドイツ│インドネシア語│ビスタ│5.1ch│カラー│115分│PG-12
配給:JAIHO
(C)2021 PALARI FILMS. PHOENIX FILMS. NATASHA SIDHARTA. KANINGA PICTURES. MATCH FACTORY PRODUCTIONS GMBH. BOMBERO INTERNATIONAL GMBH. ALL RIGHTS RESERVED
■ストーリー
1989年インドネシア。ケンカとバイクレースに明け暮れる青年アジョ・カウィルは、クールで美しく、男顔負けの強さを持つ女ボディガードのイトゥンとの決闘に身を投じ、情熱的な恋に落ちる。実はアジョは勃起不全のコンプレックスを抱えていたが、イトゥンの一途な愛に救われ、2人は結婚。しかしアジョから勃起不全の原因となった秘密を打ち明けられたイトゥンは、愛する夫のために復讐を企てるが、そのせいで取り返しのつかない悲劇的な事態を招いてしまう。
暴力と憎しみの連鎖にのみ込まれた彼らの前に、ジェリタという正体不明の女が現れる……。
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