少年を熱狂させたランボルギーニは水面下で苦難の連続だった! トラクターから始まったその歴史を紐解く

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少年を熱狂させたランボルギーニは水面下で苦難の連続だった! トラクターから始まったその歴史を紐解く

スーパーカー世代を熱狂させたランボルギーニの歴史とは

 ミウラやカウンタックを誕生させたことで知られるランボルギーニは、農耕用トラクターなどの製造で財を成した実業家で、熱心な自動車趣味人でもあったフェルッチオ・ランボルギーニが1962年に設立したスーパーカーメーカーだ。本社はイタリアのサンターガタ・ボロニェーゼにある。
フェルッチオ・ランボルギーニ

 往時のスーパーカーがフェルッチオを満足させるものではなく、フェラーリ社に対抗するためにアウトモービリ・ランボルギーニを設立したといわれている。だが、自身のフェラーリを分解した際にトラクター用パーツと同じクラッチ板が採用されていることに気づき、しかもそれが高額な価格設定であったことを理解していたので、フェラーリをライバル視しつつスーパーカービジネスは儲かると考えていたとみるのが妥当だろう。

ランボルギーニ初のモデルは高級GTの350GTVであった

 いまとなっては本当にフェルッチの言葉なのか知るよしもないが、スーパーカーの生産に乗り出したときに「助手席に座るご婦人のメイクが汗で落ちないような快適なクルマを造りたい」とフェルッチオが考えていたいう有名な逸話がある。1号車として開発されたプロトタイプカーの350GTVは、生粋のスーパーカーというよりもフランコ・スカリオーネがデザインしたエレガントなボディを持つ高級GTであった。
ランボルギーニ350GTVのフロントスタイル

 初の市販車として、カロッツェリア・トゥーリングがボディの手直しを担当した350GTを1964年にリリースしたランボルギーニは、1966年に350GTの発展版である400GT 2+2を発売。V型12気筒エンジンを積んだ高級GTを得意とするブランドとして富裕層の顧客を増やした。そして、400GT 2+2と同年に発表したミウラおよび1969年に開発したワンオフのテスト車両/レーシングカーであるイオタで、スーパーカーメーカーとしての地位も確固たるものとした。
ランボルギーニ・ミウラの生産ライン

 その後、ハイパフォーマンス2+2GTのイスレロおよびフロントエンジン/4シーターのエスパーダを1968年に、イスレロの後継モデルであるハラマおよび初のV型8気筒エンジン搭載車のウラッコを1970年にリリースしたランボルギーニは、カウンタックを1973年に発売。ウラッコの後継モデルであるシルエットも1976年にリリースし、スーパーカーブーム全盛時にフェラーリと人気を二分する存在となった。
ランボルギーニ・カウンタック

スーパーカーブームで世界を熱狂させるも経営難が続く

 カナダの石油王であり、またF1チームのオーナーとしても知られたウォルター・ウルフ氏が、ランボルギーニにオーダーして製作したスペシャル・カウンタックの存在もスーパーカーブーム全盛時に子どもたちを熱くさせたことは周知のとおり。一躍、日本においてもクルマ好きであれば誰もが知る有名なブランドとなったが、創業以来、数少ない自社製品を熟成させることで高級GT/スーパーカーマーケットに迎合してきたランボルギーニの経営は厳しかった。具体的に説明すると、こういうことだ。
フェルッチオ・ランボルギーニ

 1971年にボリビアで発生したクーデターにより、トラクター(5000台)の購入契約がキャンセルとなり、株式の51%をスイス人投資家に売却。オイルショックの影響で1974年にさらに経営難となり、残りの株式である49%をスイス人投資家の友人に売却することとなった。それによって、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニが会社から退くことになる。

 こうして求心力がなくなったランボルギーニは、1978年にBMWから委託されていたシャーシ製造の遅れから提携が解消され倒産。イタリア政府の管理下に置かれることとなった。1981年にフランスの実業家に買われ、その後1987年にクライスラーの傘下となり、1993年にインドネシアの新興財閥であるメガテックに譲渡されたランボルギーニは、1999年からアウディ傘下としてスーパーカーを生産している。

アウディ傘下となりプレミアムカーブランドとして大成功を収める

 ちなみに倒産し、アウディ傘下となるまでのランボルギーニがリリースしたのは、カウンタックの発展版であるシルエット、1981年発売のジャルパ、1986年発売のLM002、1990年発売のディアブロしかなかった。クライスラー傘下時にF1グランプリに参戦したりしていたものの、この時期がいかにツラかったのかを窺い知れるだろう。
Minardi 191B F1

 アウディ傘下となったランボルギーニは、ディアブロの後継モデルとして2001年にフラッグシップのムルシエラゴをリリースし、2003年にV型10気筒エンジンを積んだガヤルドを送り出した。脆弱だった経営基盤が改善されたことにより、レヴェントンのような限定モデルを2007年にリリースしたランボルギーニは、2011年にアヴェンタドール、2013年にヴェネーノ、2014年にウラカン、2016年にチェンテナリオ、2018年にウルスを発売し、今日に至っている。

 過去にインスパイアされ、未来を紡ぐモデルとして2021年にカウンタックLPI 800-4を発表したランボルギーニの今後にも期待したいと思う。

カウンタックLPI 800-4


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