原型作者は不明!?「鎌倉大仏」について知っておきたい5つのこと

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鎌倉期らしさを感じる「大仏の大きさ」は?

鎌倉大仏
(C)あやみ

鎌倉大仏の重量は約121t、高さ(座長)は11.31m、台座を含めると13.35mあり、間近で見ると迫力満点です。最初につくられたのは木造の大仏で、1243年に完成。ところが、1247年の台風で倒れてしまい、青銅の大仏につくり変えられたといわれています。

また、大仏の原型作者は不明ですが、鋳工として大野五郎右ヱ門や丹治久友の名前が伝えられます。さらに「慶派」(運慶とそれに連なる仏師達)の作風と、宋代中国の仏師達の影響を受けた、鎌倉期らしさを感じる大仏だといわれていて、大仏の胎内に入ると、当時の高度な鋳造技術を垣間見ることができますよ。

かつては「大仏殿」があった

大仏殿の柱
境内に残る礎石から大仏殿の規模を想像できます (C)あやみ

鎌倉大仏は、大仏殿内に安置されていたといわれています。ですが、『太平記』と『鎌倉大日記』によると、鎌倉幕府が滅びた後、台風や大地震の影響により、大仏殿が崩壊したのだそう。1498年頃には、現在の露坐(屋根のないところに座ること)になったと考えられています。

露坐になった後、大仏の荒廃が進みましたが、江戸中期に、浅草の商人野島新左衛門の寄付によって、祐天(当時の増上寺の高僧)により、鋳掛修復されました。

なぜ大仏はつくられたのか?

実は、鎌倉大仏についての記録が少ないため、なぜつくられたのかハッキリとは分かっていません。お寺のいい伝えによると、奈良の大仏を参拝した源頼朝夫婦が感動して、鎌倉にも大仏をつくろうと計画。夫妻の死後、源頼朝の寺女だといわれる稲多野局(いだののつぼね)が発起して、浄光(じょうこう)という僧が資金集めをしてつくったそうです。

大きいだけでなく美しい大仏

鎌倉大仏、背後
大仏の後ろにまわるとやや前かがみになっているのがよくわかります (C)あやみ

鎌倉大仏は、弓形になった鼻から眉毛に続くライン、眺めるだけで穏やかな気持ちへと導かれる水平な目、微笑みをたたえた口元など、美しいことでも知られています。後光山を背にやや前かがみに佇む、その姿は多くの文学作品の題材にもなっています。

さらに、鎌倉大仏をよく観察すると、ところどころにわずかに金箔が残っていることが確認できます。つくられた当時には、この金箔が大仏様のすべてに施されていたそう。かつては、タイなど東南アジアにある金色の大仏を彷彿させるお姿だったのかもしれません。

「鎌倉大仏高徳院」を訪れる機会があったら、大仏の大きさだけでなく、その表情や佇まい、わずかに残る金箔にも注目してみてくださいね。

大仏様の「藁草履」は誰が制作・奉納しているのか?

大仏様の藁草履
(C)あやみ

境内には、長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgにもおよぶ大仏様の藁草履があります。この藁草履の制作・奉納は、戦後間もない1951年「大仏様に日本中を行脚し、万民を幸せにしていただきたい」と願う、茨城県久慈郡(現在の常陸太田市松栄町)の子どもたちによって始められたとのことです。そして、1956年以降、現在にいたるまで、3年に一度、巨大な藁草履の制作を行い、常陸太田市松栄町の子供会によって奉納されているそうです。

「露坐の大仏」として名高い鎌倉大仏は、阿弥陀如来坐像です。仏教において、阿弥陀如来はすべての人を極楽浄土に導くとされています。日本だけではなく、世界中で疫病が蔓延したり、戦争が起こっている今、鎌倉大仏を眺めながら、まずは自分自身の心の平安を目指したいですね。

参考:鎌倉大仏高徳院HP

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