【鉛温泉 藤三旅館】宮沢賢治ゆかりの宿でゆっくりおこもり旅
いきなり個人的な話で恐縮だが、この世に産声を上げた時、私は「賢治」と名付けられる予定だったそうだ。宮沢賢治の「賢治」である。私の母はイーハトーブが生んだ偉大な童話作家の熱心なファンであったのだ。
ただ、名字とあわせた時の字画があまりよくなかったとかで、結局その案は却下され、代わりに宮沢賢治と縁の深い詩人である草野心平の上と下の文字を採用して、私は「草平」と名付けられた。なんでストレートに「心平」としなかったのかは、よくわからない。
草野心平は宮沢賢治の遺稿を整理し、後世にその偉業を伝えた人物だ。宮沢賢治の作品を生前から高く評価していた数少ない存在、つまり強火のファンだった。
そして私もまた、宮沢賢治を強烈に推している者である。子ども時代に『雨ニモマケズ』のリリックに脳天を撃ち抜かれて以来、あらゆる宮沢賢治作品を読みふけり、そして苦境と純朴にまみれた彼の人生に感化され続けてきた。最推し作品は『ツェねずみ』です。
宮沢賢治は37歳で人生の幕を閉じた。私は先日、38歳の誕生日を迎えた。自分に大きな影響を与えた人物よりも長い人生が確定し、銀河の感慨を得た私は、宮沢賢治の故郷である岩手県花巻市へと旅に出ることにした。この機会に、彼の世界にどっぷりと浸かる列車旅を堪能しようではないか。
東京駅
いざイーハトーブの世界へ
JR東京駅からJR新花巻駅へと向かうため、東北新幹線「はやぶさ」に乗り込む。
私にとっては、幻郷へと誘う銀河鉄道である。
およそ2時間40分で、新花巻駅に到着する。そこから釜石線に乗り換えてJR花巻駅へ。
釜石線新花巻駅のホームには『銀河鉄道の夜』をモチーフとしたデザインが施されており、早くも旅情が高まっていく。
車窓からは花巻の田園風景が広がる。柔らかな雲の切れ間から、陽の光がこぼれるようにして地を照らす。
この日は不思議な天気模様で、雨でも雪でもない小さな結晶が舞い続けていた。それが日光を受けてキラキラと空中に明滅をつくっている。そんな車窓の景色を眺めながら、この地に何度も足を運んでいるとおぼしきご夫婦が、
「花巻らしい天気ね」
「うん。ここら辺りは地形のせいか、気持ちいい天気とよく出合えるね」
などと会話を交わしていた。
賢治の作品『銀河鉄道の夜』には、いまだ正式な解釈が不明なワードがいくつも登場する。「天気輪の柱」というのもまた謎に包まれている単語のひとつであるのだが、もしかしたら、今私が眺めているような天候や景色から賢治はインスピレーションを受けて、その言葉を創作したのかもしれないな、なんてことを考えているうちに列車は花巻駅へと到着。
花巻駅前には賢治の作品世界から吹く風を表現した、「風の鳴る林」なる21本のステンレスポールが。先端に取り付けられた風車たちが、花巻の澄んだ空気の中でくるくると回っている。過剰でも商業的でもない、実に好ましい駅前の光景である。
鉛温泉 藤三旅館
宮沢賢治の愛した温泉旅館
宿の送迎バス(事前予約制)に乗り、花巻温泉郷の中にある「鉛温泉」へと向かう。それは賢治の作品『なめとこ山の熊』にも登場する、古より湧き立つ湯の里である。
本日お世話になる宿は、「鉛温泉 藤三旅館」。
賢治が研究生時代にこの近辺で地質調査を行った際などに、何度も訪れたといわれる旅館である。彼の作品の中に登場する温泉宿は唯一こちらのみであり、強火のファンなら一度は泊りたい垂涎のスポットだ。
チェックイン前に辺りを散策すれば、なんとも岩手県らしい霧がかった山の景色。あれは「なめとこ山」ではないだろうけれども、どこか童話に登場するような幻想的なムードを秘めているではないか。
『注文の多い料理店』では山の奥で腹を空かせたハンターたちが、奇怪なレストランへと迷い込んでいた。花巻温泉郷の山々に囲まれたトーンの中には、どこか旅人を異境へと連れ去ってしまいそうな気配が漂っている。
急に辺りが暗くなってきたので、急いで藤三旅館の玄関へと足を運ぶ。
そこは開湯600年の歴史を誇る、老舗の旅館である。
総ケヤキ造りの本館内には、なんとも情緒のある空気感が広がっている。今日はこの宿で、「賢治の世界」に肩まで浸かる算段である。
さっそく浴衣に着替えて、ここの旅館の最大の目玉である「白猿の湯」へと足を向ける。
「賢治の世界」に肩まで浸かるのだ、と言っておきながらアレだが、やはり東北の冬は寒いわけで、まずは普通に「湯舟」へ肩まで浸からせてほしい。
うおおおおお。
おもわず、感嘆の声を漏らしてしまう。
高い天井、深い湯舟、そして浴室内に満たされた重厚な雰囲気。
東北の「湯治文化」を知る者であれば誰もが憧れる湯、それが「白猿の湯」である、とも事前に聞いていたのだが、実像を目の当たりにすればその評価は心から頷けるものである。
これは圧倒的な光景だ。なんという異世界感、イーハトーブの割れ目から湧いた湯なのではないか。
「白猿の湯」をたっぷりと堪能し、次に「桂の湯」「白糸の湯」の露天風呂へ浸かる。
こちらの旅館には、いくつもの湯舟があり、そのどれもが趣に溢れている。
露天風呂から見上げた夜空は、賢治が眺めた銀河であり、よだかが星になった天空であり、ジョバンニとカムパネルラが旅をした夢幻だった。
身体はすっかりと温まり、部屋へと戻る。
そして夕食の時間まで文庫を読むなどする。
作家ゆかりの宿で、その作家の作品世界に没頭する。
やってみたら、これがなかなかによかった。普段の生活の中での読書では味わえないような、一節一節が胸に染み渡る感触がある。
ああ、こんな物語だったっけな、なんて思いながら、お茶を飲みつつページをめくる。それにしても『セロ弾きのゴーシュ』の主人公であるゴーシュは、実に勝手なやつである。
ハッとしたらすでに夕食開始の時間を少し過ぎていた。慌てて食堂へと向かう。
岩手県花巻産の食材をふんだんに使った、目にも楽しい豊かな食事の数々。
ごぼうの効いた出汁でいただく花巻名産の「白金豚」のしゃぶしゃぶが絶品であった。
器に盛られたのは、岩手県産の新米。ぴかぴかと光っている。東北は世界に名高き一大農業地帯で、その恵みに感謝しながら、ご飯を三杯もおかわりをした。
ビールもください、次はハイボールをください、そろそろデザートを持ってきてくださいと、実に「注文の多い」客となった私であった。
夕餉を堪能したのち、また部屋に戻って布団に寝そべり、文庫の続きを紐解く。
紐解いて紐解いて紐解いて、たまに窓の外の夜空を見上げて花巻の銀河に物語世界の景色を重ね、そしてまた紐解いて紐解いてをしているうちに、気づけば私は眠りの中へと誘われていた。下の畑に居ります。いえ、レム睡眠の中に居ります。
花巻駅周辺
宮沢賢治を巡る花巻散策
目覚めて、朝風呂や朝ご飯を堪能し、チェックアウトを済ませる。
再び送迎バスで、花巻駅へと戻る。訪れたのは花巻駅から徒歩約10分の「材木町公園」。
この公園の隅には、かつて花巻町庁舎として使われていた建物(現・市民の家)がある。ここは賢治が亡くなった際の追悼集会の場としても使用されたことで、ファンの間では有名な建物でもある。
賢治は文筆活動の傍ら、その生涯を「農地改良」に捧げていた。当時の東北は飢饉に襲われていたのである。
賢治のもとには、毎日のように農民たちが相談に訪れていたという。彼は岩手の田畑が豊かに実る景色を見ることなく亡くなったが、37歳で没したその年、東北は歴史に誇る大豊作を迎えたのである。
追悼集会には、賢治に感謝する大勢の農民が訪れたという。文壇から参加した者は僅かだったそうだ。
公園に別れを告げて、次に訪れたのは「茶寮かだん」。
こちらは当地の名家である旧橋本家の建物を使用した茶寮で、色彩の豊かな庭園の風景を眺めながら、手頃な値段でランチを楽しむことができる。
橋本家と賢治は親戚の関係で、彼はよくお花の苗や種を持ってこの家を訪れたという。門のそばには、賢治が造った花壇が今も残っており、訪れる客たちの目を喜ばせている。
花を愛し、夜空を愛し、物語を愛し、そしてなによりも人を愛した宮沢賢治。
生前に出版した書籍はたった2冊だけで、そしてその両方ともが評価をされなかった。命を賭して取り組んだ農地改良の帰結の景色も見ることなく、彼は銀河へと旅立ってしまった。
しかし彼は、こんな言葉を残している。
「未完成なものこそが、完成なのである」
賢治が花巻のあらゆる場所で蒔いた種は、今こうして目の前に完成され、生々しく息づいている。昨夜に食べた白米の味わいのどこかにも、賢治の旅の軌跡が残っていたはずだ。
イーハトーブで彼の足跡を巡り終えた私は、万感の思いに満たされながら東京へと静かに帰った。
東京駅
掲載情報は2022年1月27日配信時のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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