長生きの秘訣は世の中にときめきを持ち続けること

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長生きの秘訣は世の中にときめきを持ち続けること

長生きの秘訣は世の中にときめきを持ち続けること
我がままに生きる。

著者:東海林のり子 トランスワールドジャパン(2020/8/25)

昭和史に残る事件の裏側、大切な家族との絆、日々実践している長生きの秘訣など、幼少期から86歳に至るまでの人生史を赤裸々に振り返る一冊。チャレンジ精神を忘れない東海林さんのエネルギッシュさが心に響きます。

転倒して骨折…でも気持ちは元気です!

東海林:実は先日、転倒して骨折しちゃったんです。でも、このままの私でお会いしようと思って来ました。だって心は元気だから。

くらたま:痛みはないですか。どんな状況だったんですか?

東海林:私は健康維持のためウォーキングを日課にしています。最近筋力がついてきたなと思っていたので、その日は過信して長い距離を歩いてしまったんです。

家に戻ってマンションの入り口で「今日はどれぐらい歩いたかな」と思って時計を見た次の瞬間、フラッときて後ろにバタンと倒れてしまいました。

「100歳まで生きる」とさんざん言っていた矢先のことです。年をとったことをもっと自覚しないと危ないなと思いました。

くらたま:まさか時計を見て転倒するとは思わないですよね。

東海林:緊張感がどこか足りなかったんです。息子たちには「頭を調べてもらったら?」と言われました。でも私、頭は大丈夫だと思うんです(笑)。毎日が楽しくて「絶好調!」って思っていたのがいけなかった。でも、健康づくりは続けていて新聞は毎朝大きな声を出して読んでいます。声が出なくなったらプロじゃなくなると思っていますから。

くらたま:声のお仕事ですもんね。

東海林:そうなんですよ。動けなくなったとしても、話ができたらラジオのお仕事は続けられます。

好きな韓国俳優さんの応援が日々の活力

くらたま:そうですね。東海林さんは現場からは引退されましたが、現役でお仕事を頑張られていますね。それに、いくつになってもときめきを忘れないお気持ちが素敵です。ご著書を読んだんですが、病院の担当医に恋心を持っちゃうくだりなんか、もう最高でした!

東海林:あのお医者さんとはその後会えなくなってしまったので、今は韓国の俳優さんにときめいているんです。

くらたま:え?今はそっちに行っているんですか。

東海林:ええ。写真をいっぱい持っていますよ。朝や寝る前に見ると元気が出るんです!

もう私は歳だからと、家でうつうつしてるおばあちゃんこそ、イケメンを見なさい、とお勧めしたい。何歳になっても、素敵だなと思うだけで不思議と幸せホルモンがでるものなんですよ。素敵だなと思うのは自由だし、70歳から恋愛をしたっていいと思うんです。

(『我がままに生きる。』P33より引用)

くらたま:ちなみに、東海林さんの好みのタイプってどんな方ですか?

東海林:亡くなった主人は私のタイプでした。スポーツマンでしたね。考えてみると、主人とどこか似たタイプの男性に惹かれます。

くらたま:好みの男性像が亡くなられたご主人…。ご主人が本当にお好きだったんですね。

東海林:そうですね。でもよく考えると私、超美形はダメ。なんだか遠く感じちゃうんです。

くらたま:ああ、その気持ちわかります。

東海林:好きな俳優さんのことを考えていると、骨折した腕が痛いのも忘れちゃうの。1日1日を生きる力になっているんです。

くらたま:(笑)。それこそが長生きの薬ですね。

東海林:本当にそうです。年をとってしわができるのはしょうがないけど、ときめく気持ちは持ち続けていたいです。街を歩いていて気になる人がいると、知らない人でもつい話しかけにいっちゃいます。このあいだも家の近くの大学に、すごく背が高い学生が立っていたの。思わず「ちょっと、ちょっと」と呼んで、「あなた身長何センチ?」って聞いちゃいました。

くらたま:最高です!躊躇せずに話しかけられるのは、今まで東海林さんがやって来られたお仕事の経験があってのことですね。

東海林:私、あまり躊躇しないんです。やりたいと思ったことはやってみるし、聞きたいと思うことがあれば聞きます。

くらたま:大概の人はそんな訓練は積んでないから、道を聞くことすらなかなかできないんです。東海林さんは、本当に経験が力になっていますよね。

地を這うような取材も、空を見上げる時間も好き

東海林:そうですね。リポーター時代は、事件が起こるとしょっちゅう突撃取材をしていました。事件の真相を理解するたびに「現実ってすごいな」と思っていましたね。

現場に立てなくなると、過去の仕事が宝物のように思えます。あの経験があったからこそ今の私がある。

くらたま:東海林さんはリポーターとしては草分けのような存在ですよね。

東海林:現場に突撃していくようなスタイルは、あまりありませんでしたね。ただ批判もたくさん受けました。「ワイドショーには話せません」と言われたことや名刺を「受け取れません」と言われたことは何度もあります。

でもね、そういう目に遭うと冗談じゃないって思うんです。ニュースを扱う人とワイドショーを扱う人の取材の切り口は違うものだと思っていましたから。

くらたま:すごい反骨心です!

東海林:今思うと、その悔しさが後押しになったと思うんです。私は今でも現場に行って自分が見たことを話したいと思う気持ちが出てきます。現場には、多くの人に何か大切なメッセージを伝えるパワーのようなものがあります。

くらたま:嫌なこともたくさんあったのに、今でも現場に入りたいと思えるのはすごいと思います。

東海林:これから先の時代も、何が起きるか見ていきたいです。この好奇心は、実は、身近なところにもあらわれているんですよ。今回も骨折で動きを制限されました。でもその状況だからこそ、韓国ドラマという新たな趣味を見つけることができたんです。

だから、失うことがあったとしても、次に起きることを楽しみにしています。そんな好奇心が高じて、宇宙に行きたいと思ったこともありました。

今までかじり程度でやってきたことが、直接的ではないにしろ、それなりに役に立ってきたんじゃないだろうか。経験が多ければ多いほど自分の引き出しが増え、話題も豊富になる。それってアナウンサーにとっては、とても大事なことなんじゃないかと思うんです。

(『我がままに生きる。』P68より引用)

くらたま:なぜいきなり宇宙に?

東海林:なんでかと言うと、今まで地面を這うような取材が多かったでしょ。その分、空を見上げることは少なかったんです。

くらたま:面白い視点です。

東海林:朝の太陽を浴びたり満月を見たりすると、空には無限に良いものがあるような気がするんです。例えば「今日は北斗七星がすごく明るいな」ということにも気づく。そんなことを感じるようになったら、宇宙への憧れがむくむくと湧いてきました。

くらたま:すごいなあ。

東海林:それに、美しい月を見て、お願いごとをする気持ちを持つようになった。今まで「現実は変わらない」と思っていたのに、形にならないものを素直に信じるようになってきたんです。占いに頼るよりも願いを叶えてくれそうに思えます。

引退を決めた阪神・淡路大震災直後の現場の衝撃

くらたま:東海林さんは現役でリポーターをされていた頃、さまざまな事件と向き合って来られましたよね。当時と比べて、どんな所に社会の変化を感じますか?

東海林:人々の心模様が変わってきていると思います。悲惨な事件は起きていますが、時代が変わって若い人たちがすごくやさしくなった気もする。

くらたま:そうかもしれないですね。

東海林:新型コロナなどもある中で「自分はどうありたいか」と生き方を考え直す人も増えたと思うんです。

くらたま:少年たちによる凶悪犯罪なども取材してこられたからこそ、今の若者のやさしさを感じられているのかもしれないですね。

東海林:そうですね。それから、人が変わった背景には、街が変わったこともあると思います。私が取材で走り回っていた頃は、区画整理が進んでおらず遊ぶところがない地域が今よりたくさんありました。そして、駅前でたむろする中で事件の火種になることもあったんです。今はそれが少しずつ減ってきていると思います。

また、実は凶悪事件の犯人が住んでいた環境は、どこかに澱みを感じることがよくありました。はっきりとした因果関係はわらかないんですけど…。環境が人間の心に与える影響は大きいと思いますね。

くらたま:殺伐とした心を育ててしまう環境ってありますよね。東海林さんは阪神・淡路大震災の取材を機に事件リポーターからの引退を決断されたそうですね。現場はどのような状況でした?

東海林:阪神・淡路大震災では、当日のうちに現地に入れたんです。人も建物も倒れている状況でしたが、一番異様に感じたことは街に音がしないことでした。真っ暗な中、歩行者もしゃべらない。あまりの悲惨な光景に被災地の方は言葉を失っていました。

だんだん空が明るくなってくると避難所に人が入ってくるんです。しかし音がしない…。みんな、ただじっとうずくまって座っているんです。

くらたま:本当に大変なときは、言葉を発することも難しくなるんですね。

東海林:ときどき「〇〇に住んでいた〇〇ですけど、母はいますでしょうか?」と避難所に家族を探しに来る人がいました。その声だけは大きかったです。だけど、そこに本人はいないから誰も返事をしません。

今は360度カメラがありますが、スタジオにいる司会者が見る映像と私が現場で見た光景はまったく違います。「何がほしいかを聞いてください」と言われるんですが、とても聞ける雰囲気ではない。

被災者の方たちは一睡もされていないし、今何が欲しいかなんてすぐに考えられません。現場とスタジオの温度感の違いや被災地の全体像を映せないもどかしさを感じていましたね。

テレビの中で映せる現状は20分の1ぐらいなのかなと思ったとき、これ以上の事件はもう起きないだろうと思ったんです。そして、事件を報道するリポーターは辞めることにしました。

くらたま:よっぽど衝撃だったんでしょうね。

ただ笑顔でいてくれることが子育ての喜び

くらたま:ご著書では、東海林さんがお仕事とともにご家族を愛して来られたことも心に残りました。姪のお子さんであるノブちゃんのお話も出ていましたね。

東海林:そうなんです。ノブちゃんは産まれるときに一時的に脳に酸素が行かなくなって、脳性麻痺を患いました。「訓練すれば良くなるんじゃないか」と、養護学校で特別な訓練を受けさせていたんです。でも本人は楽しくないので泣いて嫌がっていました。

だから、姪とも話し合ってノブちゃんは学校を辞めることになったんです。その後は、姪の夫婦と私たち夫婦で、ことあるごとにガーデンパーティをして交流してきました。

ノブちゃんの名前を呼んで「かわいいね」って声をかけると、にっこり笑うんです。それを見て、これでいい!と思ったの。それ以上望むことはないし、ありのままの姿を大切にして、長生きしてもらいたいと思いました。

ノブちゃんは「10歳までしか生きられない」と言われたのですが、30歳を過ぎても元気に生きています。

くらたま:それも大切に子どもを育てるための選択の一つですね。

東海林:また、私は過去に障がい児を育てる母親の取材をしたことがあります。その方は、「今日どれぐらいミルクを飲んだか」とか「どれぐらいお粥を食べたか」を記録していると話していました。

それを聞いてお母さんの立場に立って取材することが、むなしくなっちゃったんです。なぜなら、その記録はその子のためではなく、私がいかに頑張っているか、というお母さんの努力自慢のように思えたからです。

くらたま:確かにね。

東海林:一方で、動けないお子さんを持つお母さんがいました。その方は、まるでおとぎ話に出てくるような素敵なお部屋にお子さんを寝かせて可愛がっていました。そうすると、お子さんはニコニコしているんです。私はその様子を見て「こんなふうに、ただお子さんのあるがままを大切にすることが一番大切なことだな」と思いました。

もちろんすべて個人的意見ですが、障がいがあっても、この子はこの子なんだって思って「かわいい、かわいい」って言いながら育てたいですよね。

(『我がままに生きる。』P133より引用)

くらたま:ありのままを大切にする心、大事ですね。

いつまでも「現場の東海林さん」でいたい

くらたま:東海林さん、お身体は怪我をされていても心はとてもお元気なのが伝わってきます。昔、要支援1の介護保険証を返還されたことがあったんですね?

東海林:そうなんです。主人が要介護4に認定されたとき、私も要支援1の認定をもらったの。でも、その頃は元気だから「冗談じゃない」と思いました。今回転倒して骨折したことで、介護認定の話がまた息子たちから出ているんですけどね。

介護認定を受けると、ヘルパーさんのサポートを受けやすくなります。でも、私はできる限り自分のことは自分でしたいという気持ちがありますね。

くらたま:確かに、介護認定に助けられる人は多いです。でも、それぐらい気持ちを強く持つことが東海林さんの元気でい続ける秘訣なんですね。

東海林:それから、私は年寄り扱いされたくないという思いがあるんです。87歳だけど「おばあちゃん」とは呼ばれたくない。できれば「東海林さん」と呼び続けてほしい。初めての場所などで「おばあちゃん大丈夫ですか?」とやさしく言われることもあるんですが…。

昔、高齢者問題を取材したことがありました。そこでお年寄りばかりを撮っているカメラマンの女性がいたんです。その人は絶対、高齢者を「おばあちゃん」とは呼ばないんです。良い表情をしてくれるからです。

くらたま:その方が良いですよね。

東海林:ええ。だから自分で動けるうちは頑張りたいと思っています。「100歳まで生きる」と周りにも宣言していますからね。

くらたま:それは素晴らしい!恋も忘れずに。

東海林:100歳になったらまた対談でお話聞いてくださいね。

くらたま:もちろんです。その頃は、どんな俳優さんがお好きなのか、お聞きするのを楽しみにしています!

撮影:丸山剛史

東海林のり子

埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。1934年生まれ。立教大学卒業後1957年にニッポン放送に入社。退社後、フジテレビ「3時のあなた」でリポーターデビューし、おもに事件リポーターとして活躍。そのリポートぶりは、「現場の東海林です」というフレーズとともに広く知られることとなった。1994年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞。1995年に発生した阪神・淡路大震災を期にリポーターとしての活動に終止符を打つことを決意。現在もテレビ、ラジオ、講演会など精力的に活動している。おもなレギュラー番組は「現場の東海林です。斉藤安弘アンコーです」(KBS京都ラジオなど5局ネット)


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