ドーナツによって運命が激変したカンボジア難民の数奇な半生を追う。アリス・グー監督 『ドーナツキング』 インタビュー/Interview with Alice Gu about “The Donut King”




きっと誰もが大好きな甘くて美味しいドーナツによって、運命が激変した男の数奇な半生に迫るドキュメンタリー映画『ドーナツキング』が11月12日(金)より公開される。ドーナツ店の経営で約22億円もの資産を築き、全米の“ドーナツ王”と呼ばれた男の名はテッド・ノイ。1975年に祖国カンボジアの内戦から逃れ、難民として家族とカリフォルニア州に渡った人物だ。彼の始めたドーナツビジネスは脈々と受け継がれ、現在もカリフォルニア州のドーナツ屋の90パーセント以上はカンボジア系アメリカ人が経営しているのだという。映画は、無一文でアメリカ生活をスタートしたテッドの波乱万丈な人生を、カンボジア内戦や難民問題、さらには、知られざるアメリカのドーナツ事情まで、驚きのエピソードの数々を交えて描き出す。監督を務めたのは、リドリー・スコットがその才能を認めたアリス・グー。長編監督デビュー作である本作は、昨年のSXSW 映画祭で審査員特別賞に輝いた。撮影監督として活躍してきた彼女は、なぜ自らメガフォンを執ってドーナツ王の物語を伝えようと決めたのか。映画の日本公開を前に、ロサンゼルスに住む監督にリモートインタビューを行った。(→ in English)


――ポップなイラストとドーナツが散りばめられたピンク色のポスターからは想像できないくらい、非常に興味深いドキュメンタリーですね。この映画を作ることになったきっかけは?


アリス・グー監督「最初のインスピレーションは、偶然に起こった予想外の出来事でした。当時、ベビーシッターを雇ったばかりだったのですが、夫が高級なグルメドーナツを買ってきて彼女に勧めたんです。すると、『結構です。私はカンボジアのドーナツしか食べないので』と言われました。そして数日後、彼女は“カンボジアのドーナツ”を買ってきてくれたんです。確かに美味しかったのですが、それはアメリカによくあるグレーズドドーナツでした。でも彼女は、『カンボジア人が作ったんだから、カンボジアのドーナツなんです』と言い張って。『カンボジア人がアメリカのドーナツを作ったら、それはアメリカのドーナツだよね』と言ったら、『違う、そうじゃない』と。そこで私は彼女が間違っていることを証明すべく、“カンボジアのドーナツ”、“ロサンゼルス”と検索しました。すると、“ドーナツ王”ことテッド・ノイに関する記事がたくさん出てきたんです。すべての記事をクリックしたのですが、そこに書かれている内容は信じられないものでした。ロサンゼルスで生まれ育った私にとって、目と鼻の先で起こっていた出来事だというのに、まったく知らなかったんです。私はすぐに魅了されて、これは伝えるべき物語だと確信しました」


――映画の製作はどのようにスタートしたのですか? テッド・ノイはどうやって見つけたのですか?


アリス・グー監督「すべての記事を読んだ後、テッドが高齢でカンボジアに住んでいることがわかり、この広い世界で、どうやって探せばいいのだろうと途方に暮れました。でも、もし記事に書いてあることが真実で、彼が本当にたくさんのドーナツ店を始めた人物なのだとしたら、カンボジア系アメリカ人が経営するドーナツ店問い合わせれば、テッドにつながるはずだと考えたのです。私はカリフォルニア州サンタモニカに住んでいたので、近所で一番有名なDK’sドーナツというお店に電話してみました。訛りの強い英語を話す人が出てくると予想していたのですが、電話を取った人物は若々しくて明るい声で、まったく訛りがありません。番号を間違えたか、もしくはカンボジア系のお店ではないんだなと思いました。でも、とりあえず事情を話してみたら、『ラッキーですね、ここに電話して正解です。私がお手伝いします。テッドは私の大叔父なんです。Facebookはやっていますか?』と言われたんです」


――すごいですね。


アリス・グー監督「それは映画にも出演している“ドーナツプリンセス”でした。彼女はすぐに私たちをFacebookでつなげてくれて、翌日にはテッドと初めて話すことができました」





――ドキュメンタリーを作りたいと伝えたとき、テッドはどのような反応をしましたか?


アリス・グー監督「彼はとても驚いて、『本当に僕についての映画を作りたいのかい? 誰も僕のことなんて知らないのに』と言いました。私は、『本当にこの物語を伝えたいし、多くの人が聞きたがるはずです』と答えたんです。すると、なぜだかわからないのですが、『ハリウッドのアメリカ人ということは、白人かい?』と聞かれました。『中国系アメリカ人です』と答えると、『僕も中国系だよ! 中国系カンボジア人なんだ』と。そこで中国語で話しかけてみると、すぐに打ち解けることができました。少し中国語で話して、電話を切る頃には、『わかった、やろう。君のことが気に入ったよ。映画を作ろうじゃないか』と言ってくれたんです」


――この映画はテッドの半生やカンボジアの歴史、そしてアメリカの歴史など、いくつもの層で構成されています。制作する上で何が一番大変でしたか?


アリス・グー監督「一番苦労したのは、とても複雑な物語を混乱しないように伝えることです。あまり長すぎてもよくないので、私たちは90分程度で多くのことを語らなければなりませんでした。一家が共産主義や抑圧的な政権や大虐殺から逃れなければならなかったという事実や、アメリカで必死に働こうとしていた理由など、背景を十分に説明する必要があったんです。つまりは、歴史やテッドの物語、そして、現代の状況を織り交ぜて、すべてを納得のいく形で表現する必要がありました。これは人間のありようや精神についての非常に重要な物語ですが、そこには大量虐殺や200万人の死という重いテーマがあるわけです。カンボジアの人口の3分の1が亡くなったのですから、観ていてつらいですよね」


――そうですね。


アリス・グー監督「特にパンデミックに襲われたこの一年は、誰もが自宅でストレスを感じていたでしょうし、多くの人は現実逃避の手段として、あるいは憂鬱な気分にならないために、映画を観たいと思うのではないでしょうか。でも、私にはピンクでポップでみんなが大好きなドーナツがあったのでラッキーでした。それがわかった途端に、観客を旅に連れ出すことができたんです。ちょっと暗すぎたり重すぎたりしたら、いつでも話をドーナツに戻して楽しくすることができるのですから。映画を観た人たちからの反応も楽しいものでした。『全然想像できなかった! 最高だね。泣いちゃったよ。それからまた気分が上がって、アップダウンの繰り返しだった』と。テッドの人生と同じように、まるでアトラクションに乗っているような気分になるんです」







――テッドの半生を描く上でイラストが効果的に使用されていますが、なぜ実写にイラストを取り入れようと思ったのですか?


アリス・グー監督「残念ながら、テッドの個人的なアーカイブはほとんど残っていなかったので、かなり早い段階でイラストの必要性を感じました。ほんの数枚の貴重な写真しか残っていないんです。イラストを描いたのは、アンドリュー・ヘムというカンボジア系のアーティストで、彼の絵は信じられないほど素晴らしいんです。インスタグラムでダイレクトメッセージを送ってみたところ、『ぜひ描かせてください。僕はドーナツキッズなんです。美大に進学するまでは、ドーナツの仕事しか知りませんでした。両親のドーナツ店を手伝っていたんです』と返事があって、びっくりしました。彼は、『実は僕の家族も映画に出てくるテッドを知っているんです。だから、ぜひ描きたいです』と話してくれました」


――テッド自身よりも家族の方が、カメラの前で語るのがつらかったのではないかと思われますが、家族の視点から語られる物語も興味深かったです。


アリス・グー監督「(取材できて)本当によかったです。実はカリフォルニアに住んでいる家族の皆さんのために上映会を開いたのですが、彼らがこの作品を気に入ってくれたということが、私にとって何よりも意味のあることでした。私はこの家族の物語を、正直に偽りなく描きたかったんです。テッドの元妻のクリスティは、『本当に素晴らしい作品だったけど、観ていてとてもつらかった』と話していました。彼女は(カンボジアの内戦で)両親を失っているので、たくさんのつらいことを追体験して、非常に感情が揺さぶられたようです」


――映画を観たテッドの感想は?


アリス・グー監督「コロナ禍だったので一緒には過ごせなかったんです。彼には別で観ていただいて、観終わってから話しました。テッドはこの映画と家族の物語をとても誇りに思っています」








――難民問題は今も世界中に存在しますが、当時のカリフォルニア州知事がカンボジア難民の受け入れに難色を示したのに対し、フォード大統領が、『我々には移民を受け入れなければならない道徳的な義務がある』と語っていたことに驚きました。


アリス・グー監督「あのフォード大統領の発言は、本作で最も驚いた発見の一つでした。自分が生まれる前の出来事で、私の知らない歴史だったのです。共和党の大統領がそのように語っている姿を捉えた映像は、トランプ時代だった2017年、2018年の日常とは大きく違いました。それはまさに、私の両親(※中国からの移民)がたどり着いたアメリカだったんです。両親は、『みんなとても親切で、歓迎してくれて、手を差し伸べてくれた』と話していました。ところが今の世の中は、攻撃的で、これまで以上に社会が分断している、信じられないような状況です。まるで時代を逆行しているかのようですよね。私は人々がより良い人間になろうと思えたり、すぐに人をジャッジするのはやめようと思えるような、希望とインスピレーションのある物語を伝えたいと思いました。相手がどこから来て、どのような苦労をして、ここに至るまでにどんな生活をしてきたのか、わからないのですから。そして残念ながら、現在のアフガニスタンも同じような状況なんですよね。今はたくさんのアフガン難民が居場所を探しているわけですから。このことを頭の片隅に置いて、彼らにチャンスを与え、どのような事情があってここにたどり着いたのかを考えてみてほしいと思います」


――映画やテレビ番組におけるアジア人のレプリゼンテーションが十分とは言えない中で、アジア系移民の物語を知ることができたのもうれしかったです。


アリス・グー監督「この物語は私にとって驚きの発見でした。もちろん、アジア人の物語だからこそ気に入ったわけですが、私はレプリゼンテーションについてまでは考えが及んでいなかったんです。ただ素晴らしい作品ができたので、公開を楽しみにしていました。でも、昨年に映画を公開したら、特に若い世代のカンボジア系アメリカ人の方々が誇りに思ってくれたんです。長い間、カンボジア人について描かれるのは大虐殺や死ばかりでした。もちろん、それは彼らの物語の非常に重大な部分を占めています。でも、メールやSNSで感想を寄せてくれたすべての人が、『ハリウッド映画でカンボジア系のドーナツ店を目にする日が来るなんて思ってもみませんでした』、『今まで共感できる映画を観たことがなかったけど、これは完全に私の家族の物語です』とおっしゃるんです。タイ出身の女の子は、『ドーナツ店をタイラーメンのお店に置き換えたら、これは私の家族の物語になります』と話してくれました。そして、イギリスからも、『うちの家族はパキスタン出身で、私はイギリス人ですが、これは我が家の物語です』とメッセージが届きました。これは本当に普遍的な物語です。表面的にはアメリカの、そしてカンボジアの物語ですが、そこには普遍性があるのです」








――映画の冒頭には、ウータン・クランの「C.R.E.A.M.」がフィーチャーされています。どうやってあの曲の使用許可を得たのですか?


アリス・グー監督「このドキュメンタリーは私たちの愛と限られた予算で制作したので、あのような有名な曲に払える使用料はなかったのですが、エディターが編集の段階で仮に入れた曲が『C.R.E.A.M.』だったんです。私は聴いた途端に、他の曲はあり得ないほど完璧だと思いました。何よりも私はウータン・クランが大好きですし、この曲も大好きです。そして、ドーナツを意味する『C.R.E.A.M.』と、金稼ぎを意味する『C.R.E.A.M.』(※タイトルは“Cash rules everything around me”=“この辺では金がすべてを支配する”の頭文字)があって……この曲は本作のすべてを物語っているんです。そこで友人にお願いして、なんとかRZAにつないでもらいました。その一方で、映画『クレイジー・リッチ!』のジョン・チュウ監督が、劇中でコールドプレイの『Yellow』を使用するために、それがどれほど大切な曲なのかを熱く語った手紙を書いていたことを思い出したんです。私はそれを参考にして、『C.R.E.A.M.』は非常に重要な曲で、他に代わりはないのだと手紙を書きました。それでも許可は降りなかったので、再び手紙を書いて、改めて作品の重要性を説明し、収益の一部はRefugees International(※難民支援団体)に寄付すると伝えたんです。すると彼らは翌日に楽曲の使用を許可してくれました。“あなたの手紙に感銘を受けました。映画のメッセージにも共感します。喜んで楽曲の使用を許可させていただきます”と返事をくださったんです。あれは人生で最高の日でした! 信じられないですよね(笑)。奇跡でした」


――リドリー・スコット監督が製作総指揮として参加することになった経緯は?


アリス・グー監督「あれも人生で最高の日でした(笑)。私たちはロサンゼルスでコマーシャル制作にも従事しているのですが、プロデューサーのホセ(・I・ヌニェス)はRSAというリドリーのプロダクションで働いているんです。私たちは本作の撮影中に、『スコット・フリー(※リドリー・スコットが設立した映画製作会社)にプロデュースしてもらって、リドリー・スコットの名前をクレジットに入れられたら最高だよね』と夢見がちに話していました。ただの夢だったんです。でも、関係者経由でリドリーに観てもらったら、オフィスでずっと本作について話しているくらい気に入ってくれたそうです。電話がかかってきて、リドリーが自分の名前を入れたがっているので、プロデューサーのクレジットのスペースを一人分空けておくように言われました」


――もうすぐ日本公開されますが、この映画を観て、どのようなことを考えてほしいですか?


アリス・グー監督「まずひとつは、自分自身を信じるということ。自分を信用して、自分にはできるのだと信じてほしいです。テッドはまさに不可能なことをやり遂げたのですから。撮影中に彼が生まれた村を訪れたのですが、貧しい家族がたくさん暮らしていて、子どもたちは裸足でした。彼らを見ていたら、きっとテッドも同じように、十分な食べ物も靴を買うお金もなかったんだろうな、と思ったんです。そんな子どもだった彼がアメリカへ渡り、3年もしないで億万長者になったわけで、もし彼にできるのであれば、あなたにだって何でもできるはずです。そしてもうひとつは、相手がどのような状況からやって来たのかわからないのだから、人には親切にしよう、ということです。小さな優しさは大きな力になります」


――最後に、なぜドーナツは私たちを幸せな気分にしてくれるのだと思いますか?


アリス・グー「調べてみたのですが、世界中のほとんどの文化に甘い生地を揚げたお菓子があるんですよね。真ん中に穴が空いた丸いものであろうが、長いものであろうが、生地を揚げた甘いコンフォートフード(※ほっとする食べ物)があるんです。どの国にもそれぞれのバージョンがあって、だからこそ、世界的に愛される炭水化物なのだと思います。最近のドーナツに関して言うと、ピンクやトッピングやチョコレートが嫌いな人なんていないはず! 誰にとっても好きなドーナツがあるはずだし、ドーナツが好きじゃない人になんて会いたくないですよね。異なる文化で独自のフレーバーのドーナツが生み出されているのも興味深いです。無限の可能性を秘めているので、誰にでも気に入るドーナツがあるといいなと思います。


text nao machida






『ドーナツキング』
2021年11月12日(金)新宿武蔵野館他全国順次公開
http://donutking-japan.com
監督:アリス・グー 製作総指揮:リドリー・スコット
出演:テッド・ノイ、クリスティ、チェト・ノイ、サヴィ・ノイ、メイリー・タオほか
コピーライト:
© 2020- TDK Documentary, LLC. All Rights Reserved.
配給:ツイン

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