「ベーブ・ルースの再来」と指摘される大谷翔平 伝説のルースでも投打二刀流を続けられたのは実質〇シーズン?!
エンゼルス・大谷翔平の投打二刀流が完全復活の気配だ。4月26日のレンジャーズ戦には2番・投手で先発出場。俗に言われるリアル二刀流出場で、投げては5イニングを3安打4失点で9奪三振。打っては2安打2打点で3得点と投打にわたって活躍し、18年以来3年ぶりの勝利投手となった。
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この試合、日米メディアでは「100年ぶり」という数字が注目された。試合開始時点で、大谷は7本塁打しており、両リーグトップタイに立っていた。本塁打ランキングトップの選手が、投手として先発するのは、1921年6月13日のベーブ・ルース以来、100年ぶりという偉業だった。
メジャー挑戦以降、他に類を見ない投打二刀流という大谷について、多くのメディアが「ルースの再来」と指摘してきた。その謳い文句がいよいよ現実になったというわけだ。
もっとも投打二刀流の元祖であるルースにしても、過酷な兼業生活を長く続けられたわけではない。
前回の記録として注目された1921年6月13日の試合。実はルースはこのシーズン、野手として152試合に出場し、59本塁打、168打点というすさまじい数字を残しているのだが、投手としての登板は2試合だけ。先発に限ればこの試合の1試合だけだった。
1920年にヤンキースへトレードで放出されてからは、ほぼ野手に専念。1922年以降は1930年まで一度も投げることはなかった。
逆に1918年までのレッドソックス在籍時は、むしろ投手に力を注いでいた。
1915年は32試合で18勝8敗、防御率2・44、1916年は44試合で23勝12敗、防御率1・75、1917年は41試合で24勝13敗、防御率2・01。この3シーズンが投手としての最盛期にあたる。
その3シーズン、野手としての先発出場は一度もなかった。代打起用された試合が10試合前後ある程度。ルースが正しくリアル二刀流としてフル稼働したシーズンは、実は2年間しかない。1918年と1919年だ。
1918年は投手として20試合に投げ、13勝7敗、防御率2・22。初めて野手としても一塁、中堅、左翼で先発出場を始めた。投打合わせて126試合中95試合に出場し、95安打、打率・300、11本塁打、61打点。当時はまだ飛ばないボールの時代で、ティリー・ウォーカーと並び本塁打王に輝いている。
1919年は投手として17試合に投げ、9勝5敗、防御率2・97。野手も含めて137試合中130試合に出場し、139安打、打率・322、29本塁打、113打点で本塁打と打点の2冠王となった。本塁打は2位のフランク・ベイカー(ヤンキース)が10本塁打で19本差、打点も2位のボビー・ビーチ(タイガース)が97打点で16点差とともに大差を付けていた。この年はほぼ左翼に専念し、一塁と中堅で出たのはほんのわずかであった。
今季の大谷は登板前後の試合も野手出場を続けている。またルースの時代にはなかったDHでの負担軽減という恩恵も受けられている。今も伝説に残るルースでも、実質2シーズンしか続けられなかった投打二刀流。その過酷なチャレンジを今後どこまで続けられるのか。大きな試金石となる大谷の2021年シーズンは、疲労がたまってくる勝負の夏場へと向かおうとしている。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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