『千日の瑠璃』493日目——私は火影だ。(丸山健二小説連載)

 

私は火影だ。

張り替えてまもない障子にくっきりと映し出されて少年世一を誘う、盲目の少女の鮮やかな火影だ。無風状態のせいで真っすぐに落下する大粒の雪を浴びて立つ世一は、もうかれこれ一時間あまりも私に見とれている。点字の練習に励む少女の傍らに寝そべっている犬は、夜々に訪れる至福に浸っている。

私は世一に言う。「そんなところに馬鹿みたいに突っ立っていないで声を掛けてみたらどうだ」と言い、「恥ずかしいのなら口笛でも吹いてみたらどうだ」と言う。けれども世一は、まるで行く春を惜しむ者のような眼ざしで、ひたすら私をうっとりと眺めるばかりだ。絶えず前後左右に揺れる世一のいびつな体は、私によく似合い、その貧弱な体に宿ってこれまた揺れつづける完璧な魂も、私にふさわしい。目あきの子どもとほとんど変らぬ動きが可能で、生命力に満ち護れている少女もまた、世一に似つかわしいはずだ。

果たして世一はどうなるのか知る由もない。少女はきっと面長の器量よしの娘になり、男勝りの、自ら範を垂れるような女に成長するだろう。少なくとも、昼間は黙然と坐りつづけて、夜は死んだように昏々と眠るような、そんなおとなには間違ってもならないだろう。やがて世一は、自発的に町内の夜回りをする老人のあとについて行ってしまう。彼のとても控え目な口笛は、私のところまではどうにか届いても、少女の耳まではちょっと無理かもしれない。
(2・5・月)

丸山健二×ガジェット通信

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