『ニコニコ動画』で仏教を説く人/蝉丸Pさん(前編)

蝉丸Pさん

『ニコニコ動画』の“リア住”こと蝉丸P師は、『【仏具で】てってってー【演奏してみた】』や『ニコニコ仏教講座シリーズ』などで、今ネット上で最も注目を集めるお坊さん。今回は『虚空山 彼岸寺』の連載インタビュー『坊主めくり 現代名僧図鑑』より、蝉丸P師のお坊さんとしての素顔に迫るインタビュー記事を寄稿いただきました。

ある日とつぜん出家を志して

出家を思い立ったのは、高校1年生の終わりです。実家が自営業だったので、子供の頃から両親に「何をやってもかまわないけど何で飯を食っていくのかはよく考えろ」と言われていて。何か自分の売りになるものをと考えたときに、まずは落語家という選択肢が出てきたんですね。中学3年生のときに落語の劇の脚本を書いたりして面白いなぁと思いましたし、着物を着る職業はかっこいいなとも思って(笑)。

一度、噺家(はなしか)の方に話を聞きに行ったら「大変だけど、覚悟はできてる?」と言われてどうしようかなぁと悩んだんですね。落語家の世界は、宴席に連れまわされることもあるでしょうけど、自分は肉も魚も苦手で酒も飲めないんです。坊さんなら着物も着れますし、肉、魚、酒がダメでも異端視されないどころかあわよくばほめられる(笑)。また、思春期特有の生死や世の不条理への疑問も最初のきっかけでした。

父方も母方も、何代かに一度はお坊さんが出る家系らしく、両親は「そろそろ来るかと思ったらお前か」という受け止め方で、特に反対はされませんでした。とりあえずは相談してみようと、地元でお世話になっている住職さんに会いに行ったら「よし、わかった!」とトントン拍子に話を進めてくれまして(笑)。あれよあれよという間に、高校2年から高野山高校に編入したんです。

高校時代は、山内の師匠になっていただいた寺に住み込んで学校に通いました。毎朝、お客さんの布団を上げて朝食の給仕をして、お見送りをしてから登校して、帰ったらまた次のお客さんの風呂や食事の準備をして、翌朝の勤行のしたくを整えてから眠る……というような生活で、その合間に読経の練習をしたりね。こんな生活が待っていると事前に知っていたら、もうちょっと考えたかもしれませんね(笑)。

修行を通じて得られたこと

高校、大学と高野山で学びながら100日間の加行を受けました。修行では、とにかく拝む方法・作法を一通り覚えるんですね。密教の行は、一種の圧縮技術で、言うなれば”.zip”みたいなものなんですよ。手の動き、真言のひとつひとつに概念が圧縮されているんです。本当に行をやるというのは、膨大な概念を手のサインひとつに集めて、連携させていくことで目の前にイメージを作っていくもので。ものすごい圧縮技術の型と瞑想・供養の手順を覚えるのが密教の修行です。

自分は第二次ベビーブーマー世代なので、修行道場の同期生も多かったんです。約50人の人間を、3〜4人の監督下で動かすわけですから、監督の指導と連帯責任制度が非常に厳しくて。映画『フルメタル・ジャケット』に出てくるハートマン軍曹みたいな監督もいて、めちゃくちゃ怖かったですね(笑)。

外の情報が一切入らない閉鎖的な環境の中で、50人もの人間が修行しながら生活していると、人間が集団になったときには一定の行動パターンがあるものだなということがよくわかりました。オピニオンリーダーがいて、それに追従する人間と反抗する人間、それぞれのヒエラルキーの中に組み込まれる人間とがいて。

最初はどんなカリキュラムで何が行われるかだれにもわからないので、原始共産制みたいな感じで相互に助け合っていく雰囲気になるんですが、寺で住み込みをしてた人間には「次に何が来るか」がだんだんわかるようになります。すると、大学からいきなり修行に来た人との間に情報格差が生まれてきて、情報を持っている人間が「○○のコツを教えてやるから、洗濯をやってくれ」と取引するようになって、原始資本主義が生まれてくるんですよ。

さらに、大衆供養という差し入れでアンパンや饅頭をいただくと、「1アンパンで1洗濯」とかアンパンが貨幣として機能し始めるんですね(笑)。そうなると、持つものと持たないもののヒエラルキーができてちょっと殺伐としてきたりして。3ヶ月の加行期間で、人間の集団が文明の終わりまでいくという密度の濃さでした(笑)。

役僧として全国を放浪した日々

高野山を降りてからは、岡山にあるお寺の後任住職候補として赴任したのですが、いろいろあって一年半で辞めることになって。結果として、世話をしてくれた人の顔に泥を塗ることにもなり、しばらくは役僧として全国各地を転々と放浪することになりました。

役僧時代には、いろんなお寺でいろんなご住職に出会いました。なかには、役僧を「お前らは集金マシンだ」と言う住職や、檀家さんからの質問に対して、そのお寺の方針に添った見解を示しても「お前が法を説く必要は無い」と逆ギレする住職もいて、こうはなりたくないなと心底思うこともありましたね。

そうするうちに、「高野山の別格本山で法印随行兼執事をやらないか」というお話をいただきまして。高野山に戻って1年半ほど別格本山の企画やイベントを打って旅行社に売り込んだり、寺のホームページを作ったりしていたら、また縁談のお話が来たりするわけです。「ある県の名刹寺院に養子に入るか、結婚はしなくてもいい現在の寺に行くか」と言われて、いろいろ考えた末に現在の寺の後任住職を選びました。

通常は、一般在家から僧侶になっても、資格は取れてもなかなか行く場所がないんです。関西でサラリーマン坊主をやるか、東京で葬儀屋に雇われるアパマン坊主になるかしかないという人もいます。そういうなかで、自分は運良く場所を得ることが出来たと思います。

テキストサイト『坊主めくり』を始める

初めて手に入れたコンピュータは『PC-8801』で、中学生の頃でした。「これからはコンピュータが必須だよ」と言って親に買わせてね。雑誌のプログラムを打ち込んで音楽を鳴らしたり、PC持ってる友人達とゲームばっかして、遊びにしか使いませんでしたが(笑)。

でも、高校2年生の時に高野山へ登ってからは、パソコンに触れる余裕なんて全くなくなってしまって。約10年間のブランクがあったのですが、その間にDOS-Vが出て「パソコンの規格が統一された」と聞いたときには、「そんな冗談があるかい!」とビックリしましたね。

再びパソコンを手にしたのは別格本山の執事をしているときに「お寺のホームページを作るから、お前パソコン機材一式買って何とかしろ」と言われたときです。ちょうど2000年頃でしたから、ネットの黎明期(れいめいき)のいちばん面白いところは見逃してしまいました。

自分のウェブサイト『坊主めくり』をはじめたのは、現在の寺に赴任してからです。当時はテキストサイトの全盛期でしたので、そこに参加してみようと思ったんです。役僧で雇われの身では勝手なことを書いていることがバレたら、住職の采配次第ではダメだと言われる可能性もありましたが、一山一寺の住職になれば、首にされるような心配なく文章が書けるので(笑)。

“仏具で演奏してみた”が『ニコニコ動画』でヒット

テキストサイトが流行していたころは、Flashアニメも全盛期でよく見ていたのですが、自分で作るには難易度が高いなぁと。でも、『ニコニコ動画』ができて、これなら自分にもできるんじゃないかと思って手を出したんです。

本当は、最初から仏教講座をやりたかったんですよ。でも、ネットの世界では知名度がないと、いくらいいコンテンツでも見向きもされない。自分のテキストサイトの読者は見てくれるかもしれませんが、それだけでは弱いと思って何かキャッチーな作品を作ろうと考えました。

そこで、2作目は木魚やお鈴(おりん)を使って『東方シリーズ』というゲーム音楽のアイリッシュアレンジに仏具を乗せた動画を作ったところそこそこ反響があったので、2作目に『【仏具で】てってってー【演奏してみた】』という音楽動画を作ったら20万再生を超えるヒットになったんですね。

もともと、仏教講座をやるなら音楽と動画を合わせてやってみたかったですし、そのためにもまず音楽を作らなければと思っていました。幸いなことに仏具動画がヒットして、『ニコニコ動画』内での通り名”蝉丸P”という名前もいただいたので、最初の『ニコニコ仏教講座』も3〜4万再生の反響を得ることができました。今では『ニコニコ動画』で”リア住”といえばだいたい自分のことかと(笑)。(後編につづく)

蝉丸P(せみまる、Pはプロデューサーの略)プロフィール
1973年神奈川県生まれ。高校1年生のときに県立高校から高野山高校へ編入、得度を受ける。1992年、高野山大学仏教学部入学、在学中に加行。卒業後は一流伝授のため1年間聴講生として過ごした後、岡山の寺の後任住職候補に赴任するも1998年辞任。役僧として全国を放浪し、2000年に高野山別格本山にて法印随行兼執事を務める。2001年11月、現寺院の後任住職候補に赴任、2002年晋山。テキストサイト『坊主めくり』をスタート。2008年、『ニコニコ動画』で仏教講座を開き話題に。

執筆:この記事は『虚空山 彼岸寺』の連載インタビュー『坊主めくり 現代名僧図鑑』より寄稿いただきました。
文責:ガジェット通信
 
 

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