女の子ウェブとは何か?
今回は『ねとぽよ』からご寄稿いただきました。
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女の子ウェブとは何か?
「ねとぽよ 女の子ウェブ号」所収の、稲葉ほたて&ねとぽよちゃん2号『女の子ウェブとは何か』を、以下に掲載します。
【共同執筆:稲葉ほたて&ねとぽよちゃん2号】
1.女の子ウェブの誕生~「出会い系」が生んだ「厨ニ病」の楽園
◆ 出会い系から考える「女の子ウェブ」
女の子ウェブとは何か。それを俯瞰的な視点から探求するのが、このコーナーの目的である。ここでは、まずはなぜ女の子ならではの特殊なネット利用が生まれてしまったのかを考える。
大前提として、インターネットは、別に男女で利用に制限を設けているわけではない。情報のやり取りをする装置なのだから、現実での男女関係のように肉体的な性差が効いてくることもないはずだ。では、社会的な性差はどうか。日本に関して言えば、ハンドルネームを使った文化が、古くから存在してきた。理由は諸説考えられるが、地縁的共同体に紐付いた「世間」がいまも大きな力を持つ日本で、地理的条件を飛び越えて人と人を繋ぎ、時には独自の共同体を生み出すネットが、「異界」として迎えられてきた歴史は確実にある。パソコン通信の時代については議論もあろうが、近年まで日本のネットは、基本的に「脱社会」化された空間としてあったと言ってよいだろう。とすれば、やはりここにも性差の原因は存在しない。
しかし、このような「仮想空間」としてのウェブは、実際にはフィクションである。なぜなら「出会い系」という現実と仮想が結びつく穴が、ぽっかりと日本のインターネットには開きつづけてきたからである。出会い系サイト規制法が施行されたのは二〇〇三年だが、日本のネットでは、出会い系利用は古くから非常に多く行われてきた。いや、もっと言えば、ネット以前の、ダイヤルQ2やポケベルの時代にまで、日本人の情報技術利用と「出会い系」の繋がりは遡ることができる。日本は、人口密度が高く、交通機関も発達しているため、そもそも人と人が出会いやすい。しかも、九〇年代には援交の存在が顕在化したことで、未成年者に対して成人男性が性的視線を向ける土壌も出来上がってしまった。「脱社会」化されたバーチャル空間を求める圧力と裏腹に、実は「出会い」の余地がふんだんに存在する日本的インターネット。男女のネットにおける性差は、この「出会い系」という穴に端を発する。
それを示す証言も、数多くある。例えば、次の特集に収録された「放課後インターネット」のイベント参加者から、参加アンケートで「これまでに受け取った中で一番キモいメッセージ」を募集した。すると、見知らぬ男性からの露骨な性的視線が向けられたメールや、mixiメッセージの体験が多数寄せられたのである。しかも、それらを彼女たちは、ネットを始めた低年齢の時期から受け取りつづけている。また、同イベントで語られた、個人HP全盛期の体験でも、彼女たちの口からは「オッサン」との戦いがぽつぽつと登場する。女の子のコミュニティに登場してメンヘラの女の子を病ませようとするオッサン、チャットルームに女の子のふりをして登場するネカマのオッサン、掲示板で理屈にもならない理屈でプライベート情報を要求するオッサン、などだ。当時のネットは、現在からは考えられないほど薄暗く、アングラな空気に満ちた空間だった。しかし、そこにおいてすらも、男女の目に映る光景は大きく違っていた。男性からの性的視線の圧力は、リアルより遙かに露骨に、しかも低年齢のうちから、彼女たちに浴びせられていた。
◆ オッサンへの防波堤
この男から見れば異様としか言いようがないこの状況下で、彼女たちはどのような戦略を取ってきたのだろうか。もちろん個々の女の子が各々に行動したに決まっているが、その歴史を見れば一定の傾向は抽出できる。そこでは、大きく二つの戦略が取られてきた。一つは、HN文化の徹底、そしてもう一つはホモソーシャルである。
HN文化の徹底とは、バーチャルとリアルの峻別を厳格化することである。身バレを防ぎ、ネットというバーチャル空間からの影響を遮断するのだ。そして一方で、ガラケーでのメールやキャリアウェブにおいて、リアルでの、主に学校内の人間関係に向けた発信を行うのである。これを、Facebookのような会員制SNSとGoogleの対比で語られるような、プライベートとパブリックの問題として考えてはならない。彼女たちが活動していたのは、基本的にはHTML/CSSのみで記述されたwww上の空間である。そこを、リアルの自分に結びついた情報を出す「前略」のような場と、バーチャルなHNの人格を活動させる場に分けているだけなのだ。ちなみに、この区別はほぼ、ガラケーメイン/PCメインの区別と一致する。ガラケー向けに作られたページは、構造的に検索エンジンに補足されにくく、実質的なクローズドウェブとして機能するため、オッサンの侵入を防ぎやすいのである。
もう一つはホモソーシャルである。この言葉は主に男性コミュニティ向けに使われる用語なので、「女子校的空間」とでも言い換えた方がイメージが湧くかもしれない。これは、主にバーチャルウェブの側で起きた現象である。オッサンを排除したコミュニティを作ることによって、同性の女の子同士が固まり合う空間ができる。今号の制作に関わった女の子の一人は、「オッサンが来ても、チャットや掲示板の書き込みから何となく気づくので、みんなで無視していた」と述べていた。同性同士の排他的なコミュニティが、単独では厄介なオッサンへの対処において、大きな役割を果たすのである。
その結果起きたことこそが、バーチャルウェブにおける「女の子文化」の過激化に他ならない。この後に女の子ウェブの特徴として挙げる三つの文化は、実はどれもがインターネットに特有なものではない。それこそ女性向けの商品やサービスを手がける人間であれば、誰もが思い当たる節のある程度のものだ。しかし、そのどれもがネットの外側の世界では考えられないほどに、過剰に、かつ過激に進化を遂げている。こうなった理由を本稿の文脈に即して述べるならば、それはおそらく、HN文化の持つ「リアルと切り離されている」にも関わらず「バーチャル空間上で信用を得る必要がある」という性質が、ホモソーシャル的なコミュニティと結託した点にあると考えられる。端的に言えば、HNを名乗るだけの謎の存在であっても、女の子文化を理解している態度を示せば示すほどに信頼が獲得され、しかも、そうした女の子同士が集まることで、コミュニティにおけるオッサン排斥能力も向上するのである。
では、リアルグラフの側のネット利用は、どうだったのだろうか。「放課後インターネット」イベントでは、興味深いことに参加者の子たちが、男の子との恋愛にまつわるガラケーメールの思い出話を挙げていた。また、ケータイメインのサイトにおいても、彼氏と交替で日記を更新するなどの事例が挙がっている。これに、「前略」が出会い系的な利用をされていたという指摘(ねとぽよ2号『放課後インターネット』、ねとぽよブックマークの「前略」の項目を参照)や、出会い系掲示板の利用はケータイが多かったという有名な話を付け加えても良いだろう。PCメインのバーチャルウェブの側では抑圧された性愛的なネット利用が、ケータイでは復活するのである。
◆ そして厨二病の楽園が生まれた……
さて、ここまでの話をまとめると、未成年者に性的視線を向けるオッサンに対して、堅牢なバリアを築こうとする意思から、過剰に女の子文化を追求していく「女の子ウェブ」が生まれた??そんな説明が出来上がる。しかし、ここには、当の女の子がなぜそんな女の子ウェブに惹かれていったのかに対する説明がない。
とはいえ、その理由はわざわざ語るまでもない。
何しろ、リアルと切り離された自分をバーチャル空間上に実在させて、しかもそこでは、学校では男子や男子と仲の良い女子の目を気にして表に出せないような、女の子のセンスを過激に発露させることが奨励されているのである。そんな空間は、思春期の、特に厨二病の女子にとっては、天国であるに決まっている。かくして、彼女たちは迫り来るオッサンたちの性的視線をモノともせず、ネット上でみんなで繋がり合い、数々の「黒歴史」を生成していくことになった。次は、そこで生まれた黒歴史……もとい文化について、再び俯瞰的な視点から眺めてみよう。ここからは、ねとぽよちゃん2号の登場である。
2.女の子ウェブの3つの特徴
女子力高めのねとぽよ新マスコット、ねとぽよちゃん2号が「女の子ウェブ」を解説しますぽよ~(ハート)
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(1)おしゃべり文化
はじめまして、女子力が高い方のねとぽよちゃんです。みなさまに、女の子ウェブの特徴を教えるために、電子の国から参上しましたぽよ~(ハート) それでは、まず最初の特徴は「おしゃべり文化」ですぽよ!
とにかく昔っから女子たちはおしゃべりが大好きです。ウェブ女子たちも、それは一緒。昔のネットのエピソードを聞いていると、もうチャットの思い出ばかりです。殿方ももちろんチャットをするんですけど、女の子のチャット利用はその率・量ともに圧倒的(ハート) 小学生の頃から、放課後になるとチャットを四窓開いてガンガン打鍵しまくってたなんて人もいるみたいです。
実は、この「おしゃべり文化」は、日本の女性のIT利用のとっても重要な特徴でもあります。……あ、ここからは歴史の授業になっちゃうんですけど、お気軽に聞いてくださいね、ぽよ(ハート) たとえば、ポケベルというものが昔はありました。女優の広末涼子さんがデビュー当時にCMをやっていた、簡単にメッセージを送り込めるポータブル機器です。元々はビジネスマンや医療関係者に向けて売られていたんですけど、八〇年代後半に、一般電話からポケベルへのメッセージ送信機能が実装された途端、当時の女子高生が飛びつきました。メル友ならぬベル友という言葉もあったほどです。
当初は数字で入力していたので、「0840」で「おはよう」を意味するとかの暗号みたいなコミュニケーションが発生。しまいに超ややこしく暗号化されたコミュニケーションを当時の女子高生たちは行なっていたと言います。ちょうどみなさんのお母さんの世代ですね。ねとぽよちゃんも、もちろんその時から、女子力高めの電子の妖精として、暗号に励んでました~(ハート)
みなさんの世代では、きっとケータイのメールが、そんな風に使われてたんじゃないでしょうか。いま思えば、ガラケーでのメールのコミュニケーションは、チャットそのものでしたね。スマホになってキャリアメールが使えなくなったときにLINEがヒットしたでしょう。いかに私たちがあのコミュニケーションを求めていたかの証ですよね(スタンプは絵文字の進化版ですぽよ(ハート))。ちなみにケータイのメールは、ポケベルのコミュニケーションをヒントに実装されたそうです。ポケベル、ケータイ、LINEと続いてきた、ゆるやかに文字を交わし合う、優しいつながり。そして、チャットや電話のように、お互いが同じ時間を共有し合うドキドキが止まらないつながり。そのどっちもが大事ですねぽよ(ハート) 誰がなんと言おうと、「おしゃべり文化」は女子のIT利用の花形なのですぽよ!
<ちょっと考察>
「おしゃべり文化」によるネット侵略作戦は、これだけじゃないぽよ! たとえば、みなさんもきっとやってた「リアル」。Twitter以前に自力でTwitterを無理矢理やっていたようなものですけど、あれもかなり「おしゃべり」に近い感じでしたね(ハート)(半分モノローグでしたが……)
でも、そもそも日本って、なんにだって使えたはずのニコニコ生放送が、結局顔出しチャットツールになってしまったり、2ちゃんねるの人気の板が、趣味板よりもラウンジ板やVIP板など雑談系の板になってしまったりする国です。これは日本のインターネット全体の大きな特徴かもですね。いや、そんなことを言い出せば、日本人は平安時代の昔から、例えば短歌という文学表現を、恋愛のコミュニケーションゲームに使ったり、連歌という即興ゲームにしてしまったりする人たちです! そうした文化の形成に実は女性が大きく関わっていたことも含めて、女の子・おしゃべり・日本文学は、きっと欠かせないつながりがありますし、それは紙から電子に移行してもきっと不変なのです(ハート)
(2)きせかえ文化
次は、「きせかえ」の文化ですぽよ! HPを作成していた人は、よく定期的にリニューアル(リヌ(ハート))をしていたのではないかと思います。でも、その前後で何が変わっていたんでしょうか。冷静に考えてみると、HPの背景がちょっと変わっただけだとか、何だかその程度のことばかりだったような……。それでもリヌをするのが、女子というものですね。ちなみに、実は男性のサイトはそんなに頻繁にリニューアルなんてしません。読者もあんまり気にしないみたいです。これも男女の差が現れるところですね。
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ここでは、こんな風にリヌを繰り返していく文化を、「きせかえ文化」と呼びたいと思います! この「きせかえ文化」のお陰で、みなさんも知っての通り、個人HP時代には、素材サイトがとーっても強い力を持つことになりました。当時のことを思い返すと、素材サイトの管理人たちがなぜあれほどキラキラ輝いていたのか、ちょっと不思議です(あと、なんでメンヘラな方々があんなに多かったのかも……)。
これはネットの「サービス化」が進んだ現在でも変わりません。例えばブログサービスであれば、ブログデザインをどれだけ変えられるのかは、大変に重要な要素です。実際、Tips!ブログなどを見に行けば分かりますけど、そこではテーマ背景を「きせかえ」と、実にまんまの名前で呼んでいます。これはもう、変えることを前提にして素材を配っていると宣言しているようなものですぽよ(ハート)
しかしですね、現在の「きせかえ」文化の主流は、むしろアバターサービスの方にあります。そう、アバターの服を買わされる、あのアイテム課金です。最初にTシャツ姿とかでいきなり放り出されるアレです!あのアバタービジネスによって、「きせかえ文化」は今のウェブサービスのとても強力な課金エンジンの一つとなっています。でも一方で、「サービス化」以降、自分の気分に合わせてサイトをリニューアルする文化は、もうなくなってしまいました。そもそもウェブサービスのデザインやUIの大規模リニューアルは歓迎されません。ユーザーデータとにらめっこしながら、時間をかけてこつこつPVの最適化を図っていくのが、ふつうの手法です……。データの連続性を途切れさせるようなリニューアルはへたっぴな方法で、こんなのを大喜びでやってるのはニコニコ動画くらいのものでしょう。
<ちょっと考察>
それにしても、どうして女の子はこんなに「きせかえ」が好きなのでしょうか。考えてみれば、子供の頃から女の子は、お人形の着せ替え遊びが大好きです。じゃあ、生まれつき……? 服だって、男性よりもいろんなバリエーションの服を好むようです。
ちなみに、この本のファッション座談会に出ている柑橘さんは、ねとぽよの人に「男性と女性でファッションの傾向に違いはあるの?」と聞かれて、「男性は理想のファッションを求めて、それが見つかるとそこに落ち着いてしまう。しかし、女性は常に新しい自分を求めて、新しい服を選んでいくように思う」と答えていたぽよ。理想を追い求めてさまよう男の子と、いつも新しい自分を探し続ける女の子。確かに、そんな傾向は……あるのかも。さっきのPVによる最適化の話も、そう考えるとちょっと男の子っぽい文化?
(3)なりきり文化
最後の特徴が「なりきり文化」ですぽよ。これは、先の2つに比べると、ちょっとオタっぽいですけど、女の子ウェブの顕著な特徴として取り上げたいと思います。ネカマ疑惑が絶えない私、ねとぽよちゃん2号にとっても、この問題は切実であります!
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今回の特集で女の子たちの話を聞きながら、思わず「これは業が深い……」とねとぽよ男性陣一同がため息をつく場面があったそうですぽよ。それが、「なりきりチャット」、通称「なり茶」の話を詳しく聞いたときとのこと。なり茶では、漫画作品などの特定の登場人物、時にはリアルの人物にすらなりきって、チャットが行われます。他にも、「なりきりブログ」や「なりきりメルマガ」、「メル画」など、キャラクターになりきって、あられもないことをキャラにしゃべらせる文化が、ある種の女の子たちは大好きぽよ(ハート)
だけど、この「なりきり文化」って、そもそも「HN文化」自体がそういう性質を持ってるとも言えますよね。だって、架空の人格をネット上に作るのですから。でも、やっぱりこれ、殿方には理解されないみたいです……。男性にもネカマになりきってみたり、憧れの人物のように振る舞ったりする「イタい」行為はありますけど、2次元のキャラクター、時にはジャニーズなどの「ナマモノ」になりきって、チャットを行うにまで至る男性は、だいぶ少ないみたいです。
とはいえ、知らない人のために一つ補足しておくと、彼女たちは「なり茶」で、別に巫女のようにキャラクターに取り憑かれて、会話を続けているわけではないんですよ……! なり茶だと知らない人とも盛り上がれるし、会話に困ることが少ない。何より、チャットが劇場のようになって楽しい。言わば、コミュニケーションの「スパイス」として機能してるんです(ハート)
ちなみに、こうした「スパイス」としての「なりきり文化」は、色んな女の子文化にも通じる概念なのですぽよ。例えば、女の子がBLや夢小説のような二次創作を読み書きするのが、こんなにも好きなワケ。きっと、そこにもちょっぴりですけど、この「なりきり」のスパイスが隠し味になっています。
<ちょっと考察>
そんな「スパイス」としての「なりきり文化」、ここで少し掘り下げてみたいと思いまーす、ぽよ。さっき話したみたいに、日本のネットは「実名文化」でも「匿名文化」でもなく「HN文化」なんですけど、このHNの使い方に、どうやら男女の性差が反映されているようなのです。
ねとぽよの男性陣に言わせると、男の子にとってのHNは、普段は出来ないことを“する”ための「モビルスーツ」のようなものなのだそうです。学校では目立たない自分がテキストサイトを運営してバカなことをする、あるいは背伸びしたような政治的主張を日記に書いてみる、などなど。一方、女の子にとってのHNは、新しいキャラクターに“なる”ための「魔法のドレス」のようなものです。男の子との最大の違いは、「自分の真なる姿の発露」と言うより、「新しいキャラの憑依」に近い感覚があるところです。
この両者の差は、「黒歴史」告白大会を開いてみると、かなりくっきり現れます。思春期の女の子の「黒歴史」における「なりきり」体験の驚くほどの多さには、男の子との性差がはっきりと感じられます。たとえて言うなら、男の子にとってのHNは、自分の内側の衝動をひろげてくれる「巨大ロボット」で、女の子にとってのHNは、新しい自分を招き入れる「魔法少女」なのだとでも言えばいいのかしら……?。キャラクターと自分を巡る感覚のちょっとした差ですが、なぜそうなってしまうのかも含めて、とっても興味深い特徴ですぽよ。
3.女の子ウェブからわかること
◆ 文化先行型
ねとぽよちゃん2号が紹介した、女の子ウェブの三つの特徴は、全て「文化」という言葉で表現されている。ここに象徴的なように、女の子ウェブの特徴は「文化」にある。それは、ネットの「使い方」を巡る文化である。我々が抽出してきた「おしゃべり」「きせかえ」「なりきり」の三特徴は、どれも特定のサービスやツールに依存したものではない。むしろ、それがどんなサービスであれ、いつの間にか顔を出してくるものである。
この特徴は、米国の法学者ローレンス・レッシグが『CODE』で指摘して以降、支配的となっている「アーキテクチャ」を巡る言説に、新たな光を当てるものである。例えば、日本においては、情報環境研究者の濱野智史氏が記した著書『アーキテクチャの生態系』が、そうした言説の嚆矢である。このレッシグの概念を参照しながら濱野氏は、アーキテクチャが次のアーキテクチャを生みだしながら、レイヤー上に積み重なっていく生態系を記述した。だが、この本で濱野氏が描きだした生態系図は、女の子ウェブの進化モデルの図とすれ違う。
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上に挙げたのは、ねとぽよ2号において、klov氏がこの点を指摘した際に用いた図である。左が『アーキテクチャの生態系』のモデル図であり、右が「ねとぽよ2号」所収の『猫でもわかる女の子ウェブの歴史』のモデル図だ。左がレイヤー上に積み重なっていくのに対して、右側はそのような「発展」を示さないのがわかるはずだ。
実は、「女の子ウェブ」から見えてくるのは、インターネットにおけるもう一つのモデル――すなわち、アーキテクチャの制約をモノともせず、人間自らがウェブサービスの使い方を決定していくというモデルである。それは、例えば「リアル」において、強引にブログを「おしゃべり文化」に合わせていくことで、結果的にTwitterを先取りしたように、エンジニアたちが込めた設計思想がここでは強引に無視して行われる。また、ときには自分たちにそぐわないサービスに対して、「文化」の側が淘汰圧をかけていく。この特徴を、ねとぽよは文化がアーキテクチャに優先するという意味を込めて、「文化先行型」と呼んでいる。
例えば近年、中高生の女の子を惹きつけているサービスに、Amebaブログがある。そこで行われている二つの事例が、わかりやすい。一つ目は、「アメブロ改造」の文化である。これは、アメーバブログのCSSを強引に改造して、アメブロをあたかもHPのように改変してしまう営みである。見てみればわかるが、検索エンジンの台頭とともに登場し、パーマリンク単位でのコンテンツ消費を想定したブログのアーキテクチャを、アメブロ改造に励む女の子たちは、実に軽やかに、まったくもう心の底から無視している(代わりに彼女たちはブログへの流入として、RC、すなわちランクリを重視している)。もう一つは、「シンデレラペタ」の文化である。これは、主に芸能人ブログの界隈で行われている営みだ。前日、アメブロのコメント欄に書き込まれたコメントから、そのタレントが感銘を受けるものをつけたユーザーに、翌日の0時から0時1分にかけてそのタレントがペタを付けてまわるのである。そのペタは、つけられたユーザーにしか分からない。故に、それはタレントとユーザーの一対一関係の中で完結する。当然ながら、このような利用を、Amebaの事業者が想定していたとは考えづらい。
こうした「文化先行型」のウェブ利用を、我々は人間の自由意思への信頼を嘲笑うかのような、アーキテクチャ論との対比で、称揚することが出来る。しかし、この特徴は、その文化が温存されるために、システムの側が使い捨てられていく歴史とも言える。いわば体制の変革が単なるすげ替えに終わり、常に文化の変革を伴わないという点で、この性質は戦後民主主義を巡って日本の知識人たちが嘆き続けてきた、日本的な政体論を想起させる。ここに至って、女の子ウェブを巡るアーキテクチャと人間の関係は、伝統的な日本文化論へと接続可能になるのだ。
◆ 参加型メディアとしてのウェブ
女の子ウェブの文化的価値という点では、もう一つ重要な点がある。それは、現在のシリコンバレー的なウェブ思想への具体的なオルタナティブとしての可能性である。
先に挙げた、おしゃべり・きせかえ・なりきりという三つの特徴は、現在のウェブ文化の主流からすれば、ほとんど語るに値しない文化である。単なるおしゃべりは、GoogleやFacebookのCEOが語るような、情報技術を介して人間が知的に進化していく未来に対して、ほぼ寄与しないだろう(一部は統計的処理によって寄与することも可能であろうが、大半はノイズに過ぎない)。きせかえ文化は、根こそぎそのデザインを変えていくような点で、PVによる継続的な最適化を重視する現在のウェブの運営思想にそぐわない。なりきり文化に至っては、演技による虚偽の言葉が語られているという点で、ウェブのゴミである。そもそも現在のウェブでは、言説は「真なるもの」であることを自明の前提とするイデオロギーが支配的なのだ(だからこそステマは必要以上に忌避され、虚構新聞はその倫理性を問われるのである)。
しかし、故に女の子ウェブは興味深い。そこには、シリコンバレー的なウェブが進化の過程で「弾圧」してきた文化が、確かに息づいている。女の子ウェブがこうした特徴を持つのは、おそらくその参加型メディアとしての特徴による。現在、GoogleやFacebookなどのシリコンバレー系の企業たちは、日々レコメンデーションや検索エンジンの仕組みを改善しながら、私たちが手放しで、気楽に様々な情報と戯れていけるように、世界中の大学から“天才”たちを集めて改善を行い続けている。しかし、それはインターネットという玩具が私たちの手を離れて(=デタッチメント)、情報を「自動的」に処理していく機械へと近づいていくことでもある。それは同時に、機械にとって役立たない、まさに上記三要素のようなコミュニケーションを、価値の低いものと見なす発想へと我々を導く。これに対して、先の「シンデレラペタ」や「なりきりチャット」のような、ただ人間のみが得するコミュニケーションを、私たちはいかに拾い上げていくべきか。その道筋の発見にこそ、実は真の意味でのシリコンバレー的なウェブへのオルタナティブの可能性が眠っているはずだ。
◆ 新しい時代の文化のために
ここまでは、女の子ウェブのウェブカルチャー論の文脈における意義を論じてきた。しかし、ネットは、社会の中に埋め込まれた装置であり、その社会的意義についても論じるべきだろう。
さて、しばしばネットは人びとの能力をエンパワーメントする装置と言われる。とすれば、女の子ウェブも、そこに関わった人たちの能力を何らかの形で伸ばしてきたはずだ。 それはどんな能力なのか。
既に顕在化しているものを言えば、例えば今回の取材で、特に若い大学生や中高生と接触する中で、ネットを使っている女子たちのコミュニケーション能力の異様な高さに、ねとぽよの社会人たちは驚いてきた。自分たちの世代も、しばしば若者論で「最近の若者は空気を読むのが上手で……」と言われてきたが、それが一線を越えた印象すらあった。チャット的な即興のコミュニケーションは、下の世代に行くほど長けているし、ニコ生登場以降のウェブ女子となると口頭での喋りの能力まで発達しはじめている。ただし、しっかり話を聞いていくと、そこで喋る内容は自分たちが子どもの頃と大して変わらないのが面白い。ゼロ年代の文化批評では、しばしば「コミュニケーションの自己目的化」とでも言うべき現象が指摘されてきたが、それが成長期に直撃した世代には、どうやらコミュニケーション能力の、主に形式面に偏ったエンパワーメントが起きているようだ。
しかし、今後起きてくるのは、いまはまだ潜在している影響であるように思う。例えば、次の特集で掲載されている「放課後インターネット」イベントでは、参加者のウェブ女子たちが、自分たちのネット体験について語っている。子どもの頃から、ネット上で二次創作や他者の日記を読み漁っていたこと。日記や掲示板やチャットでその感想を書いていたこと、ついには自らもHPの作り手にまわって過ごしてきたこと……。
おそらく彼女たちは、子どもの頃から紙で体験するはずだった文章・絵の量を、ウェブ上でのそれが凌駕してしまった、最初の世代である。そして、その下にはさらに動画サイト以降の世代が控えており、彼女たちは子どもの頃から、映像体験までもが動画サイトでのそれに置き換えられている。しかも、それは自らも発信者になりうるような体験なのだ。どんな時代にも一定数登場してくる表現衝動の強い若者たちに、思春期にネットという武器を解放してしまったこと。その影響を、まだ社会は本格的に知らない。
「放課後インターネット」イベントに登場したウェブ女子たちは、卒業を控えた大学生や、企業の一年目・二年目の女の子たちが多かったようである。この先、彼女たちが生み出していく文化に、その成長期にどっぷりと浸かった「女の子ウェブ」は、大きな影響を与えていくだろう。それは、裏返せば「女の子ウェブ」を知らずして、今後の日本文化(の、少なくともある一部)を考えられない日がやってくるかもしれないということだ。今回の特集が、単なるノスタルジーを超えて意味を持つとすれば、その最大の意義はまさにこの点にある。
この本の最後に収録されている「こじらせ女子」特集周りの取材中、社会人や大学の卒業を控えた女の子たちの数名から「私たちはネットをやってばかりで、上の世代にとってのサブカルやオタクのような“文化”がない」という嘆きの声を聞いた。しかし、今号で取材を重ねてきたねとぽよから言えるのは、むしろあなたたちは既に立派な“文化”を手にしているということである。ただ、あなたが手にしているそれを、文化と見なす「視点」と「言葉」が、ほとんど存在していなかっただけなのだ。
この特集が、あなたが外の世界に向けてそれを切り開き、発信していくための手助けとなるとすれば幸いである。
(「ねとぽよ 女の子ウェブ号」 ビジネスモデル特集 より)
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「#bunfree 「ねとぽよ 女の子web」号目次公開ぽよ!11/18 文フリ エ-1&エ-2で待ってるぽよ!」 2012年11月16日 『ねとぽよ』
http://netpoyo.hatenablog.jp/entry/2012/11/16/235042
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執筆: この記事は『ねとぽよ』からご寄稿いただきました。
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