ネット利用におけるノイズコントロールの重要性について

ネット利用におけるノイズコントロールの重要性について

今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。

ネット利用におけるノイズコントロールの重要性について

インターネットは、ノイズに溢れている。

情報を収集したり情緒的なニーズを充たしたりするにあたって、インターネットには邪魔な表示・集中力を妨げてしまう表示が少なくない。例えば、2ちゃんねるのまとめサイト系にありがちな、チカチカと明滅する大量の広告バナーなどは、あたかも集中力を奪うためのトラップのようである。大量の広告を貼り付けているサイトは、注意力というコストを視聴者に強制的に支払わせ、それを換金していると言っても差し支えないかもしれない。

SNSにおいてもノイズの問題は無視できない。自分自身にとって有意味な情報も情緒的メリットももたらさないような、そんな書き込みを連投する人を視界内に入れるほど、そのユーザーの情報/情緒の収集密度は低下する。限られた時間と精神力だけをSNSに割り当てたい人にとって、単位時間あたりの情報密度/情緒密度の低下は軽視してよいものではないだろう。

このため、インターネットを閲覧する際には、注意力や密度を低下させるようなノイズをどう取り扱うのかが重要だと思う。広告を削除できるような機能・自分自身にとってノイズにしかならない書き込みを不可視にしてしまうような機能は、注意力の維持という観点からも、単位時間あたりの情報密度という観点からも、もっと積極的に用いるべきものだと思う――ネットライフに効率性を求めるなら、ノイズはコントロールされなければならない。

「適度な冗長性」「建設的批判者」とノイズコントロールの両立について

ただし、効率性を追い求めノイズコントロールを意識するあまり、SNSやRSSを絞り込みすぎるのも、それはそれで考え物だとは思う。

インターネット、特にオープンなインターネットの醍醐味である、「予期していなかった、新しい出会いの可能性」は無視できないし、そのなかには建設的な批判をしてくれるような、ありがたい人もいるかもしれない。だから、「私とは意見や主義が異なるからブロック」「私に同調してくれないからミュート」といったノイズの判断基準では、視界が自分色に染まりすぎてしまうだろうし、堕落は免れない。自分と意見が一緒か否かをノイズの判断基準にするのではなく、批判の妥当性やそのアカウントの信頼性も含めた、もう一ひねりした判断基準を用いる必要がある。少なくとも効率的な情報収集という観点からすれば、イエスマンや共感者だけを視界に集める戦略は巧くない。

それと、SNSの場合は特にそうだが、適度な冗長性があったほうが良い場合もある。情報なり情緒なりが濃密すぎるネットブラウズというのも、それはそれで息苦しいものではある。たいていのネットユーザーは、ネットを介して情報と情緒の両方を蒐集するだけでなく、ときに気分転換に用いることを思うにつけても、情報源としてはさほど強力ではない、刺激が少なめのアカウントをfollowすることにもメリットはあると思う。それに、そうした「普段は挨拶ぐらいしかつぶやかない知らない人のアカウント」も、ときにはびっくりするような発言をするかもしれない。だから、タイトにノイズコントロールをするより、ある程度の冗長性を持たせたタイムラインのほうが、結果として「使い勝手が良い」かもしれない。

どのサイト・どのアカウントを閲覧するかは個人の自由に委ねられているので、そこには、個々人に合わせたカスタマイズなりセレクション上の創意工夫の余地なりがある。「適度な冗長性」「建設的批判者」との両立の妨げにならない範囲で、どこまでうまくノイズコントロールをこなしていけるかは、効率的なネットライフの死命を制する技術だと思う。

執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。

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