「差別を比較して意味があるのですか?」
「チョンは差別されて当然。殺されて当然。だって人間じゃないんだもの^_^」「チョンの本性を知ってる日本人は、シナチョンにはらわたが煮えくりかえってる事に、気づいた方がいい。図に乗るのも大概にしろ」「チョンは母国へ荷物まとめて帰れ!」「朝鮮人を一人ずつ追い込んでやる」「寄生虫」「朝鮮人には産まれながらにして人権なんかないって笑」
ツイッターをやっていると、ときどき私のメンション欄は見ず知らずの方からのこのような書き込みで埋まる。殺人予告や嫌がらせも多発しているので、警察への相談は何度もしている。ネットだけではなく、リアルな街かどで「朝鮮人を殺しに来た」と叫ばれたこともある。在日コリアンで、民族名を名乗って生きるということはこういうことだ。
とある週末も、ある外国人の女性タレントの発言に関連し、私のメンション欄は罵詈雑言で埋まった。よっぽどだとブロックするが、たいていはその罵詈雑言のひとつひとつに返事をする。
相手に、その発言がおかしいということを分かってもらうため、日本の社会にある差別とは何かを周りと一緒に考えるため、いろいろ理由はあるが、自分自身がこのような発言に「慣れない」ためでもある
その途中で、突然ジャーナリストの烏賀陽弘道氏からもコメントが付いた。「へ〜 こんな ネオナチみたいな ゼノフォビア レイシストが 日本にも おったのか おおちぶれた アメリカの 田舎モノみたい 呵々大笑」
私は「めっちゃ多いですよ」と返事をした。
すると、「私には日本人もコリアンも『世界で一番異文化に偏見が強い文化集団のひとつ』に思えますが。 本土コリアンの在日コリアン差別、在米コリアン差別もひっどいですよ〜 日本人のコリアン差別も顔負け。笑」
続いて「ネットにいる 連中は 世界標準の 言葉でいえば ただの『ゼノフォビア』(外国人嫌い)『レイシスト』(人種差別信者)であって 『ネトウヨ』とか『右翼』とか呼んでやるのももったいないと思います」との返事があった。
私はふとこれらの発言を疑問に思って、「差別を比較して意味があるのですか?」と問いかけた。
「今、ネット上でヘイトスピーチにさらされている人間に向かって『どこの国にも差別がある』『どっちもどっち』ということが、どれほどひどいことであるのか、一度考えてみたほうがいいですよ。差別を肯定しているのと一緒」とも付け足した。
顛末は「ジャーナリスト李信恵rinda0818氏と烏賀陽弘道hirougaya氏とのやりとりまとめ」 http://togetter.com/li/400835#c807600 に詳しいが、私が問題にしている点は、烏賀陽氏とのやりとりの冒頭の部分だ。
目の前でヘイトスピーチが繰り広げられているにもかかわらず、烏賀陽氏は他の差別の話を持ち出した。これはやりとりの中でも取り上げたが、【告発を無力化する話法】http://togetter.com/li/169946 [リンク] と同様の行動だろう。
私たちには当たり前だけど心がある。けれど、そういった当たり前のことを置き去りにされることがたくさん起こる。今回だってそうだ。冷静にジャッジされることも、当事者にとってはすごく不愉快だ。
今回の烏賀陽氏が行った「差別の比較」は、目の前の差別をまるでなかったことやたいしたことではないように矮小化してしまう危険性もはらんでいる。
DVや女性問題、ほかのあらゆる差別問題、なんでも置き換えられると思う。たとえば女性が男性に一方的に殴られ、血を流している現場に遭遇した時に「世界のどこの国でも女性はそのような状況に置かれている」「もっとひどい目にあっている人を知っている」と解説しだす人がいたら、その状況は異常だ。
普通なら血を流している人をまず助けようと思うし、噴き出している血を止める方法を探すだろう。でも、差別や社会問題の多くは見えないし、見ようともしない。目の前で殴られている人がいてもその痛みを感じることもなく、在日コリアンに友人がいると公言する人でさえ「どっちもどっち」と云ってしまう。
また、この「どっちもどっち」って思ってしまう感覚が一番怖いと私は思う。差別というものやその痛みを見えにくく曖昧にしてしまう言葉であり、他人事にしてしまう。
そして、「それって差別的じゃない?」と、自分の内面にある差別性を指摘された時、私だったらどうするのだろう。やっぱり今回の氏のようにとまどって、指摘した相手を攻撃してしまうのだろうか。
でも、それは傷ついた相手をさらに暗闇に突き落とすことになるだろう。まず、誰かに差別的な発言をして不愉快な思いをさせたのなら謝る。それが出来なきゃ駄目だと思う。誰だって気がつかないうちに差別はするかもしれないし、傷つけてしまう時だってある。指摘された、その後が一番問題だし大切だ。
最後に皆さんへも質問「差別を比較して意味があるのですか?」
そのような考え方では、目の前の差別はなくならないのではないか。
※この記事はガジェ通ウェブライターの「rinda」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?[リンク]
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