映画『ファヒム パリが見た奇跡』監督インタビュー 「映画館に反動でどっと人々が戻ってきてくれるのでは、という期待があった」
わずか8歳で母国バングラデシュを追われた少年ファヒムがフランス・パリに亡命するも強制送還の脅威にさらされ、故郷でチェスの天才と呼ばれていた少年は、チェストーナメントでフランス王者を目指すことで自由を得ようとする――映画『ファヒム パリが見た奇跡』。現在公開中です。
主人公ファヒム役は、撮影3か月前にバングラデシュからフランスに移住したばかりのアサド・アーメッド。コーチのシルヴァンは、フランスを代表する名優ジェラール・ドパルデュー。監督は、俳優としても活躍するピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル。これまでコメディーを多数手がけてきた監督が、“実話ドラマ”という初のジャンルに挑戦した背景には、真摯な理由がありました。オンラインで取材しました。
●この物語は実話が元になっているそうですが、最初の感想は?
2014年にファヒムが最初にテレビでインタビューを受けている様子を観ました。この物語は彼の自伝なのですが、その本のプロモーションとしてテレビでインタビューを受けていたファヒムを観て、初めて彼の物語や生涯を知ったわけです。その当時、長年やっている撮影監督が番組を観るようにわたしに勧めてくれたのですが、彼はわたしがもっぱらコメディーを撮っていて実はジャンルを変えたがっている、違う映画を撮りたがっているということを知っていた。それで勧めてくれたんですね。翌日すぐに彼の自伝を買いに行きましたが、すぐに映画化したいと思いました。
●その撮影監督との関係性が素晴らしいですね。
そうなんです。撮影監督はレジス・ブロンドゥという名前なのですが、わたしのすべての映画を彼と一緒に撮っています。これまで6本の映画を監督していますが、最初の一本は映画学校を出たての、本当に若い頃に撮っていて、本当にずっと一緒なので彼と一緒に進歩している感じです。意見交換も自由にできる大事な仕事のパートナーです。僕は同じ人と仕事をすることが好きで、スクリプトの担当者もずっと一緒にやっている人。美術も一緒にやっている人で、割と身近に協力してくれる人と一緒に映画作りをしているんです。
●そもそも毛色の違う映画への挑戦は、どうしてしようと思ったのですか?
わたしは若い時から笑いに興味がありましたし、コメディー、コミックが好きでずっとやってきましたが、でも50代になって自分自身にも4人子どもがいて、そこで監督の仕事、映画というものを改めて考えた時に、やっぱり映画というものは、いま陽の光が当たっていない人々に光を当てるひとつの手段なのではないか、忘れられた人々に光を当てる、それが映画ではないかと考えるようになりました。単なるエンターテインメント、娯楽だけではないものが映画にはあるんじゃないか、つまりカメラは一種の武器であって、わたしはそのカメラを最大限有効に利用していないのではないか、そういう思いに駆られたんです。もちろんコメディーや笑いは好きだし、これからもやっていきたいけれども、何かもう少し世の中の役に立つ映画というものを撮りたいと思ったことが動機です。
●実際にトライしてみた感想は?
一番変わったことは映画の撮り方ですね。そこに登場する人たちに共感を覚えてほしいというか、具体的に言えば俳優に演技指導をするやり方が、これまでにない方法に変わりました。それはファヒム役を演じた子役とそのパパを演じた素人俳優さんに対してなのですが、撮影の間中ずっと「これは君に本当に起きていることなんだよ」「君たちが本当に生きたフィーリングを思い出してやってくれ」と演技指導していました。
●その一方で名優ドパルデューさんには?
彼には演技指導は無理でしょう(笑)。映画監督が演技指導しようとすると、ドパルデューは怒ります。でも、彼のアプローチは正しくてね。映画というか演技というものは本当に人生みたいなもので、何が起こるか予想ができない。だからあらかじめ映画監督が俳優に向かって、こういう感情・演技をしてと言ってしまうことは、本当の人生ではない。彼もそういうことをしたくない。だから言われると怒る。それは正しいことです。演技とういものは感情を生きてみて、そこで何が起こるかわからないサプライズもあり得るわけです。それが演技であって、彼は正しいのです。
●ところで、今パリですか?そちらの状況はいかがですか?
マルセイユに住んでいますが、いま夏休みで家族と一緒にパリに来ています。ディズニーランド・パリがあるけれども、この取材が終わった後にみんなで車に乗ってディズニーランドに行く予定なんです。
●なんと!うらやましいです!
子どもは大好きですよ!僕ももちろん楽しみますよ。素晴らしい場所です。
●先ほど映画で新しい使命をまっとうしたいと言われていましたが、その矢先に今回のコロナ禍でしたね。
フランスでも映画館は開いているとはいえ、あんまり明るい話題はありませんね。6月の末にフランスでは映画館が再開したけれど、その時に自分も含めた映画人が思ったことは、数か月映画を観られなかった人々が映画にかなり飢えていて、映画館に反動でどっと戻ってきてくれるのでは、という期待でした。でも不幸にして客足は伸びていない。ロックダウンで部屋の中にずっといたので、映画館という密室に行くことが嫌になったと僕は分析しています。夏休みにコルシカ島の観光の名所に行ってみたけれど、人は少なかった。つまり、旅行者が少ない。映画では普段では120万ユーロくらいの興行成績に届く作品でも10万ユーロに留まっていて、見込みと本当の興行成績が見合ってない。それがフランス映画界ですね。
●そのなかでの希望や目標はありますか?
仕事を再開したいですね!
僕は映画人であると同時に演劇人でもあり、実は3月13日の金曜日にフランスではすべてがロックダウンしましたが、その時には舞台上にいました。とても上手くいっていた舞台でしたが、舞台公演を中止してくれと言われ中断してしまった。だからもう一度演じたい。上手くいっていたからね。あと映画でいえば、社会的に意味のある作品を撮りたい。それはまた別の伝記映画かもしれないし、構成を練っています。
●日本の映画ファンに向けて一言お願いいたします。
まず日本のみなさんに知ってもらいたいことは、ジェラール・ドパルデューが日本愛好家だということでしょうか。彼は日本文化に詳しく、とても日本を愛しています。素晴らしい演技を今回もしているけれど、彼も日本の人に観てもらいたがっていると思う。命が危ない、仕方なくほかの国に逃げている人々がいることも知ってほしいです。
監督・脚本
ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル
Directed & Written by Pierre-François Martin-Laval
1968年6月25日、フランス生まれ。97年にロナン・フーリエール=クリストル監督の短編“Le collecteur”で俳優としてデビュー。96年から06年まで劇団レ・ロバン・デ・ボワを主宰する。その間も『シリアル・ラヴァー』(98/ジェームズ・ユット監督)、『橋の上の娘』(99/パトリス・ルコント監督)など映画やTVシリーズへの出演を重ね、06年に共演者にジュリー・ドパルデューを迎え、自身が主演を務めた“Essaye-moi”で監督デビューを果たす。これまでのその他の監督作品に“King Guillaume”(09)、“Le Profs”(13)、“Le Profs 2”(15)、“Gaston Lagaffe”(18)などがある。(公式サイトより)
公開中
(執筆者: ときたたかし)
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