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ニートが揺るがす「勤労」の幻想/無職たちは合法的略奪を目指す

じつは「勤労」の歴史は浅い。

賃金労働としての「勤労」が生まれたのは産業革命のころだ。それ以前から「労働力を売って対価を得る」という生き方は存在していたものの、それが広く一般化したのはほんの200年ほど前のことだ。産業革命以前、ほとんどの人は第一次産業に従事しており、「貨幣を入手するための活動」は生活の一部に組み込まれていた。家事労働との明確な区分はなかった。らしい。

そこに工業化の波が押し寄せ、人々の暮らしを一変させた。いまの学校教育の基盤が作られたのも産業革命のころだ。なぜ学校に時間割があり、チャイムに合わせて教室移動をさせるのかといえば、工場勤務の予行練習になるからだ。個性より画一性を重視するのもそのため。/均質な労働者を供給するために近代的な学校教育は始まった。

こうした変化のなかで、人々の暮らしから「貨幣を入手する活動」だけが切り離され、摘出された。

「勤労」の誕生だ。

今でこそ私たちは「働くのが当たり前」だと思っているけれど、もともとヒトの行動に「勤労」はプログラムされていない。賃金労働が一般化するまでは無かった価値観なのだ。

暮らしから「勤労」が切り離されたことで、「家事」の価値は暴落した。貨幣を入手できないからだ。もとは同じ“生活の一部”だったにも関わらず、家事は「誰にでもできる労働」という烙印を押され、地に落ちた。また「勤労」への女性の参加が拒まれ続けているため、いまだに「男は男というだけで偉い」という稚拙な価値観が生き残っている。

参考)
「「『俺は男だえらいんだ』大会」にはもううんざり、という話」2011年8月10日『みやきち日記』
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1

余談だけど、私の会社の総務・人事・財務・経理には女性総合職が一人もいない(!)。人権意識の高い国だったらそれだけで訴訟を起こされそうな雄々しさだ。なんつーか、野蛮人の群れと一緒に仕事をしている気分になる――といったら野蛮人に失礼か。/食事はすべてコンビニ弁当、衣類はパンツまでクリーニングという家事スキルゼロの男どもには閉口する。あたし男だけどヒトとして最低限の家事はできるわよ! 職場ではいちばん仕事できないけど家事スキルを足した総合点なら誰にも負けないんだからッ!(言い訳になってねえ!!

なお、「家事」が女性の地位向上に役立った一面もある。平塚らいてう等の掲げた良妻賢母思想だ。家事を「女の仕事」と定義し、その重要性を説くことで、女の地位をあわせて向上させようとした。それまでは“生活の一部”であるがゆえに家事労働の意義が認識されづらく、女の地位は不当に低かった。嫁なんて都合のいい労働力でしかなかった。「家事」が女の専門分野になったからこそ、十五でねえやは嫁に行きお里の便りも絶え果てるなんて悲劇は減った。ただし功罪は大きく、女が経済活動に参加する際の足かせとなり、「男はえらいんだ」思考をのさばらせる遠因となった。

また「家事」と「勤労」の分業体制を敷くことで、労働生産性が向上したという側面もある。夫婦の片方が「家事」を受け持つことで、もう一方がフルタイムで「勤労」できるようになる。「勤務」している側は今夜のこんだてに頭を悩ませる必要はなく、自動車の組み立て方法さえ理解していればいい。これにより短期間での技術習得と応用が可能になる。労働生産性が飛躍的に高まり、近代の経済発展をもたらした。

そして世の中は、豊かになりすぎたのだな。

       ◆

アリの巣には「働かない働きアリ」がいる。これはかなり有名な話だと思うのだけど、働きアリのおよそ三割ほどは働いておらず、なかにはまったく仕事をせずに一生を終える個体もいる。世の中にはヒマな研究者がいて、そういう働かないアリを一匹ずつ捕まえて巣から取り除いた。するとどうなったか。残ったアリの三割ほどが仕事をしなくなった。

アリの社会では一定の割合で働かないやつらがいる。緊急時のための待機要員だとか様々な説があるが、正確な理由はまだ分かっていない。

重要なのは「働かないヤツがいても維持できる社会」だという点だ。

産業革命まで、私たちは常に飢饉の恐怖と隣合わせだった。現在でも発展途上国では重要な課題だし、人口爆発による食糧難が近い将来に予想されている。「働かざる者食うべからず」という言葉の背景には、ごくつぶしを養う余裕がないという実情があった。障碍などで働けない人は、それこそ死ぬしかなかった。

ところが産業革命と近代化により、食糧事情は劇的に改善した。栄養失調は過去のものとなり、先進国では肥満と糖尿病が頭痛のタネだ。社会の豊かさがある閾値を超えると、それまで死ぬしかなかった「働かない人」を養えるようになる。そういった扶助は「働かないこと」の正当性が高い人――重篤な障碍を持つなど「働けない人」から順にほどこされてきた。社会の豊かさが増すにしたがって、扶助の範囲も広がっていった。つまり「幸せな無職」の数は、社会の成熟度を示す指標なのだ。働かない個体の生存を許さないのであれば、私たちの社会はアリ以下だということになる。(※それだけアリの社会が優れているともいえる)

「幸せな無職」が社会の豊かさの証明である以上、働かずに生きていけるのなら働く必要はない。

「なんだとぅ! 俺がこんなに頑張って(≒ツライ思いをして)働いているのに、そのカネで食わせてもらおうだなんて不届千万!」と思うのなら、まず問い直すべきは「なぜ自分はツライのか」という点だ。「勤労」が人為的に作られた概念である以上、「働くのは尊い!」と盲信するべきではない。イヤなら辞めちゃえ、そんな仕事。

「不幸な賃金労働者」と「幸せな無職」の、いったいどちらが充実した人生だといえるだろう。

なお、「幸せな無職」のロールモデルなら、ネット上でいくらでも見つけられる。ヒマを持て余したニートたちはブログやSNS、匿名掲示板に暮らしぶりを公開している。あなたが満員電車に押し込まれているときに、彼らは文庫本を片手にふらりと自転車で出かけている。あなたが嫌な上司に愛想笑いを向けているときに、彼らは友だちと一杯のコーヒーで語りあっている。あなたがくだらないサービス残業に身をやつしているときに、彼らは好きな映画を浴びるように観ている(旧作DVDなんて数百円で買えるし、友人間で貸し借りすればさらに安上がり)。いったい何のための人生か。誰のための一生か。

参考)
「無職の才能」2011年5月23日『phaのニート日記』
http://d.hatena.ne.jp/pha/20110523/neet

しかし世の中は、まだ充分に成熟していない。「働かない大人」を気軽に許せるほど私たちは大人ではない。無職に対する風当たりはいまだに強いし、イギリスでは「社会保障にぶら下がるどん底階層とそこに税金を略取されている(と思っている)中間層との対立」という形でくすぶっていた。無職たちの言い分はいたってシンプル:もっとよこせ、だ。その欲求のままに行動し、略奪・暴動へと発展した。

充分に成熟した社会では、「働きたくないから働かない」が許される。であれば、彼ら無職は平和的な手段で「もっとよこせ」を主張するべきだった。そんな詐欺的な主張が許されるはずない? いいや同士諸君、そもそも資本主義経済そのものが詐欺的ではないか! 万国の無職よ団結せよ!(もちろんジョークです念のため)

働かない大人を受け入れるということは、勤労を柱とする近現代経済の終焉を意味している。私たちの社会は、いま幼年期の終わりを迎えようとしている。

※といっても「無職」の生存が許されるのは社会の豊かさがあってこそだ。今後の日本でそれが可能かどうかは分からない。女工哀史みたいなヒドイ時代に逆戻りしそうな雲行きだし。

執筆: この記事はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。

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