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【時代遅れな日本の教育について考える】株式会社立ルネサンス高等学校 桃井校長インタビュー

校舎

東京プレスクラブでは2012年9月10日「日本国政府はどさくさまぎれに「株式会社学校特区」を潰す気のようです。」にて通信制の株式会社立高等学校についてふれました。
同9月27日、株式会社立ルネサンス高等学校校長桃井隆良さんに通信制高校についての熱い話を聞いて参りました。多様性をもたせながらも通信制高校を運営する桃井校長の激白インタビューです( http://www.r-ac.jp/about/identity/ )。

以下全文書起し。

二宮像

7年間で生徒が120人から3300人に

――記者
お役所からの規制に対して気付かれた事がある、ということですが。

桃井校長
ルネサンス高等学校は7年前に 生徒が120人しかいませんでしたが現在は 3300人です。

会社としてみた時の成長率ではこの少子化の中ではトップクラスじゃないですかね。

ただいつも思っているのは「これっておれが偉かった、おれが成功させたってわけじゃあねえなあ」と。

これが実業家の世界だったら「おれがうまくやったんだ。」「創意工夫したんだ。」「従業員も頑張った。」と言いたい所なんですがそうじゃないんです。

真面目にはやったけど、これはたぶん現状の教育業界が酷い、生徒のニーズに答えた事をやってないから。だから我々レヴェルの努力でもなんとかなったんではないかということです。

富国強兵のための教育制度が今もそのままの日本

桃井校長
 さらに最近改めて僕も理論的に整理できたんですが、明治5年に学制発布されて日本の近代教育の仕組みができて百数十年経ってましてこれはもう完全に制度疲労しちゃってるわけです。

僕はこう思います、法律でも制度でも最初につくられた時は意味がある。目的があるんですよ、世界の中で特定の日本国が学校を作ろうと思ったときには明確にあったんですよ、いや、それは江戸時代が終わり遅れて出発した国だから、まあキャッチアップです。

欧米に負けるな、富国強兵だと近代国家としての体裁を整えるために、とくに富国と強兵については均質なそれなりの優秀な労働力なり、それから昔でいうと兵隊さんです。

当時は均質な労働力や兵隊さんが必要なのに昔は日本は300に分かれていたわけです。
300地方の、そうすると言葉も通じなかったと思うんですけど義務教育に行くと標準語も教わるから言葉は通じるようになるし、日本人(国家)としての意識、時間の観念も芽生え始めます。

桃井校長

もちろん僕らは 9:00から5:00まで働くなんて普通だし学校だって 8:30から始まって4:00とかって普通だけど、当時はそういう習慣てあんまりなかったんじゃないかな。

当時は特に農業従事者が多かったじゃないですか。日の出と共に働き、季節によっても働く時間が違ってて。昔岩波新書の『労働時間』という本を読んでビックリしたんですけれども、江戸時代の農民は意外と労働時間が短いんです。現代の方が時間的にはよっぽど労働している。近代化するという事は規則正しく時間の観念をもって、何時から何時まで働いてという形になってくる。学校って何で時間割があるのかというのが見えてきます。

今でもそうですけど“協調性”とか“時間通りに”とかね、僕も小学校のときに言われた事が今でも小学校から指導され続けているわけです。

僕が高等学校をはじめてわかった事ですが、高校生の時に「なんでおれは(当時文科系だったから)数学のルートなんとか、関数とかを勉強しなくてはいけないのか全然わかんなかったんです。それを一生懸命勉強してその後なにかに使うのだろうかとか思ってました。ところがこの仕事をするようになってから分かったんです。

昔、江戸時代の時は身分制がありました。身分制があるという事は農民は基本的に農民にしかなれないんです。

一部の例外を除いて、武士ですら下士と上士では差があって、だから福沢諭吉は「封建制と身分制は親のかたきでございます」と。

あんなに頭のいい人だって中津藩では上士になれなかったわけです。ただ幕末になってから勝海舟みたいな逆転も出てきましたけど、封建制、身分制がはっきりしている場合生まれながらにして職業は決まっているわけですから何を勉強しなくてはいけないか明確なんです、逆に言えば選べなかったんですね。農民に必要な教養はこれとこれ、といった感じで全部きまってるという事です。

ところが明治維新になって身分制が打破されたら、農民の子が物理学者になるかもしれないし、商人が数学者になるかもしれない、大工が高級官僚になれるかもしれないし、偉い兵隊さんになるかもしれない。と、いろんな可能性があるから、そうなった時に備えて一通りまんべんなく勉強しておかなきゃいけなかったんです、だからそれが喜びだったわけです。

当時の農民にとっては高等数学が勉強できるってこと自体はあまり必要がないんだけれども、もしかして俺、立派な大学に行って何とかって、夢を持てた。ところが現代は、身分制が全く残ってないとは言わないんですけれども基本的になくなっちゃったじゃないですか。そうすると文芸復興じゃないけれどもレベルやステージが違うんだけれども元に戻るんです。

「仮説実験授業」―必ずしも多数派の意見が勝つとは限らない、真理は多数決では決まらない

桃井校長
できるだけその人の個性に応じて早めに自分の好きな事に集中する人生を送る。ですからまんべんなく全ての教科を勉強するというのは本当に小学生ぐらいまでで良いのではないかと思います。読み書きそろばん的なものとか。あとは中等教育というんですけれども前期中等教育が中学で後期中等教育が高校ですけれどもそれ位からは極端な事を言うと、例えば物理学が好きな人はもう物理学ばっかりやっててもよいのではないかと。もちろん、さらにやりたい事があったら物理学以外にもやってもいいんです。

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