『千日の瑠璃』154日目——私は乱反射だ。(丸山健二小説連載)
私は乱反射だ。
うたかた湖の、大気よりも澄んでいる水と急速に融けてゆく氷とが相俟って作る、針をぶちまけたような乱反射だ。私はまだまだ頼りない陽光を気ままに跳ね返し、水天のあいだにたゆとう気体を躍動させ、浮き足立っている白鳥と、白鳥を見物している人々の心をかき乱す。湖岸の街道を行くクルマの運転者たちは、慌ててサングラスやバイザーで眼を覆い、はるか上空を飛ぶ孤高の猛禽は、獲物の影を見失って急いで方向を変える。
そして、雪が融けてぬかった丘の道を下ってくる青尽くめの少年は、あたかも湖面全体がひとつの光源であるかのように錯覚している。春の予言者であり、冬を抹殺したがる者であり、余事については一切関知しない者である私は、住民の心を大いに弾ませ、吹雪の夜の円居が後ろ向きの楽しみでしかないことを教え、このところ低迷していた花屋の売り上げを一挙に倍増し、見るのも厭わしい誰かの逝去をも、きらきらと輝かせてしまう。
天井に映った私を見ながら、眠るが如く寂滅してゆくのは、早年において財をなし、晩年は沈淪の身となった町の名士だ。彼はやおら床の上に起きあがって湖の方へ顔を向け、開きかけている瞳孔いっぱいに私を取りこみ、それから翻然として己れの非を悟る。すると突然病勢が革まり、友人の受けがよかった彼の七十八年は私に跳ねとばされ、少年世一の願ってもないことだという声に包まれる。
(3・3・金)
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