『千日の瑠璃』138日目——私は鷗だ。(丸山健二小説連載)
私は鷗だ。
大吹雪の晩に海岸線を見失い、混乱した勢いで大飛行をやってのけ、その挙句に山国へ迷いこんでしまった鷗だ。雪がやみ、風がおさまってようやく水の気配に包まれ、ひと息ついたものの、そこは海ではなくて、ちっぽけな湖だった。そして、仲間に思えた相手は近づいてみると白鳥や鴨だった。かれらは間抜けな私を笑い物にした。さんざん笑ってから、「果たしてここで生きてゆけるのかな」と皮肉な調子で言い、人間にもらった餌をこれ見よがしにぱくついてみせ、私には何ひとつ分けてくれなかった。
魚は氷に閉じこめられていた。岸に沿って一周してみたが、死んだ小魚さえ発見できなかった。いよいよ天運が尽きたと思った私は、むしろさばさばした気分で、雪に押し漬されそうな長い桟橋の突端にとまって、翼を休めた。すると、烏どもが私を殺そうと集まってきた。連中に喰いちぎられる覚悟を決めたとき、松林の奥から、人間にしては些か様子がおかしい、しかし人間以外の何者でもない、不思議な少年が現われた。
少年は烏を追い払ってから手招きをした。いつもなら絶対にしないことだが、餌をもらいたい一心で、私はふらふらと飛んで行き、少年の近くに舞い降りた。ところが、彼は何もくれなかった。むかっ腹を立てた私は、あしざまに言った。「海も知らない田舎者が」と。少年は私に訊いた。「うみって何?」
(2・15・水)
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