プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希(後編)

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希(後編)

この記事は『LinkedIn navi』の『プロフェッショナルインタビュー』から寄稿いただきました。

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https://getnews.jp/archives/251362

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希(後編)

広告業界に新しい概念「コミュニケーション・デザイン」を提唱し、業界内外からもその動向が注目され続ける岸さん。いわば革命者であり開拓者でもある彼が手がける仕事は、企業広告はもとより、商品開発や事業デザイン、アーティストのプロデュースなど多岐にわたります。旧来の“広告”に対する考え方に一石を投じた“コミュニケーションをデザインする”という発想の源泉や、異端児とも称される所以を探ります。

プロフィール

岸 勇希(きし ゆうき)
1977年 名古屋生まれ。東海大学海洋学部水産学科卒業。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了。中央大学研究開発機構(専任研究員)を経て2004年電通に入社。中部支社雑誌部、メディア・マーケティング部を経て、2006年より東京本社インタラクティブ・コミュニケーション局クリエーティブ室勤務。2008年から、新設されたコミュニケーション・デザイン・センターにて現職。同年に執筆した電通刊『コミュニーケションをデザインするための本』が話題を呼ぶ。国際的な評価も高く、2010年にはカンヌ国際広告祭審査員を務めた。また開発した『PhoneBook』はMOMAの収蔵作品となる。近年は東京大学の講師なども兼任。

ウェブサイト「メモ帳ブログ」: http://yukix.com/memo/[リンク]
近日刊行予定『こころを動かす。の見つけ方』特設サイト:http://kokorougokasu.jp/[リンク]
Twitter: @yukixcom[リンク]

第3章
メディア論を学び、自分では考えもしなかった電通へ。
既存のルールやシステムと戦う日々の幕開け。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―情報通信の大学院から、どうして電通への就職に至ったのですか?

大学院でメディア論を学んだことがきっかけだと思います。この頃、世の中的には森首相のもとでIT革命が叫ばれ、地域情報化が急速に進んでいた時代でした。ただ実際には、情報のハード整備ばかりが先行する、いわゆるハコモノ行政でした。「ハードではなくソフトを提供しなければ地域は活性化しない」ということが僕の仮説であり、修士論文でした。

実施には、沖縄県の嘉手納町に造られたマルチメディアセンター、最新の情報設備を備えながら、あまり使われていないこの施設を使って、小学生や中学生と一緒に、地域をテーマにしたドキュメンタリー映像を制作。この活動が参加した子供たちや地域にどのような効果をもたらすのかについて研究を行いました。

ここで判明したのは、地域を題材にしたドキュメンタリー制作をすることで、ITリテラシーやメディアリテラシー、そして地域への愛着までもが格段に上がるということでした。子供たちが制作したドキュメンタリーの上映会には、なんと800人もの地元の方々が集まったのです。「ハードでなくソフト」が、はじめて情報化の価値を開花させた瞬間だったと思います。

この実践で修士論文を書き上げ、もっと研究を続けたいと思うようになりました。そこでこの嘉手納町プロジェクトにドキュメンタリーの制作指導でご協力を頂いていた松野 良一※1先生(当時TBS)が、中央大学へ移籍されるのをきっかけに、自分も専任研究員として中央大学研究開発機構へお世話になることになりました。結果的にはわずか半年でしたが精力的に研究をさせてもらいました。

※1
松野 良一…
中央大学総合政策学部教授。朝日新聞社記者、TBS報道局ディレクターなどを務め、マルチメディア・プロデューサーから研究者へ。専門はメディア論、ジャーナリズム論、メディア表現教育。

この頃、松野先生から、「メディア論をやっている人は日本ではまだまだ少ない、でも、学術の人はメディアを見られないから、本当にこの分野を極めたいならメディアの現場に出てみるのがいいと思うよ」とアドバイスをされたのです。

―でも確かに、至極まっとうなご意見ですよね。

正直、当時はあまりピンとこなかったんです。松野先生は、NHKか電通はどう? とすすめてくださったのですが、NHKは知っていても、電通は「広告?興味ないなぁ」。くらいにしか思っていませんでした。それでも、先生を信頼していたので、そこまで言ってくださるなら受けてみようと。

あとは、人生で一度くらいサラリーマンというものもいいかもしれないと思っていました。生意気な話ですが、自分で仕事をしていたこともあって「給料は払うもので、もらうものではない!」などと言ってる学生でしたが、大学院で一緒だった社会人の同級生、みんな年は10以上上でしたけど、その人たちの考え方や仕事がとても大きく、魅力的に感じられたことも影響していたと思います。

―結果的に電通に縁ができたのですね。

特別知識もなかったので、NHK行くならドキュメンタリーがやりたい。NHKスペシャルを手がけたい、と思いました。ただ実際に調べてみると「最低でも10数年はかかるよ」と言われたりで早くも心が折れました。一方電通では、松野先生の友人でもあり、今の上司である細金 正隆※2さんに「ネット系なら、電通にとってもこれからの分野だし、早い段階から現場で活躍できるはずだ」と言われ、それなら電通だ! と一気にテンションが上がり、ネットの会社くらいの認識でそのまま入社してしまいました。

※2
細金 正隆…
ネット黎明期から電通の第一線で企業広告などを担当。現在、コミュニケーション・デザイン・センター エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター兼モバイルコミュニケーション開発部長。

ところがここでまた、人生の不条理にぶつかるわけです。

インターネットを専門に仕事をすると思い込んでいた僕に告げられた配属は、名古屋支社の雑誌部という場所でした。

言うまでもなくそこは全くインターネットと関係ない世界。今もしっかり覚えていますが、新入社員研修中の面接で、「インターネットが得意なんだ、じゃぁしばらくやらなくていいね」と……ホントなんて無茶苦茶なロジックだと憤りました。実は一度辞表を出したほどで、ここでも怒りと絶望を味わっています。とはいえ暴走しそうだった僕を止めてくれた人もいて、メディアのことがやりたいなら、とりあえず行って見てくればいいじゃないかと助言してくれました。加えて両親と同居して親孝行ができるのもこれが最後かも、という想いもあり、結局しぶしぶ6年ぶりに名古屋に戻ることになったんです。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―またまた、自分で司ることができないシステムに翻弄されたんですか!

そうですよねぇ。本当にクサりました。なんでこうも人生の節目で思い通りにならなのか……。でも実はこの時はそれまでの挫折とは少し違いました。劣等感も敗北感も凄まじかったですが、大学受験の失敗と同じだとすれば、努力すれば必ずまた浮上できると、不思議と自分を信じていました。

そして、この逆境を楽しもうと決めた瞬間、名古屋での雑誌部の仕事が面白くなりはじめまたのです。

―初年でも、企画提案ができたのですか?

今でも、東京配属だった方が自分には合っていたし、活躍できていたと思っています。会社は判断ミスをして損をしたと確信しています(笑)。でも名古屋でよかったかも、と思うこともいくつかありました。一番は自由度が高かったということです。実際1年目からかなり好き放題仕事をやらせてもらいました。日本で最初にQRコードがついた雑誌を作ったり、雑誌の映画予告企画からQRコードで映像の予告編が見られるようにしたりと、雑誌部でありながら、自分の得意な領域の企画を勝手に提案、いくつも実現させてもらいました。ちなみにもし初期配属が東京本社だったら、組織が細かく分業されているうえに人数も多く、新人ができることなんて限られていたと思います。圧倒的に人数が少ない名古屋だからこそできたことだったのかもしれません。こうして空いた時間に自主的に書いた企画書は1年目に100本を超えます。今も思い出として大事にデータで保存してあります(笑)。

―100本はすごい! そのバイタリティには感服します。

もう十分伝わっていると思いますが、僕の人生は敗北の歴史です。名古屋配属が決まったときにもずっと同期に対する “敗北感”がありました。何度味わってもまた訪れる、敗北感と劣等感。自分の図り知らぬところで自分の運命が決められていくことの不条理さ。それを飲み込む悲しさ。本当にうまくいかないことばかりでしたが、それでもこういう経験を重ねるうちに自ずとタフになっていったんだと思います。

こうして僕が手に入れた才能が、どんな環境でも腐らず、楽しみ方を見つける能力でした。今この力は常に僕を支えてくれています。この才能に本当に感謝しています。少なくとも今はそう思えるようになったんだと思います。大学時代も名古屋時代も、ダークサイドではあったけれど、最初の重苦しい時期をなんとか切り抜けたあとは、すごく充実し、楽しかったこともまた事実でしたから。

―逆境をも楽しむ力で、道を切り拓いてきたのですね。名古屋では約3年間、雑誌部から東京での研修をはさんでフルメディアの担当になり、いよいよ東京に戻られた。

名古屋で面白いことをやっているやつがいると話題になったことは確かです。『マリエール』という結婚式場のキャンペーンは、当時としては珍しいテレビCMとウェブを組み合わせたもので、高い評価をいただきました。

ようやく東京に戻り、最初は、さとなお※3さんの下で仕事をさせてもらいました。とにかくがむしゃらに仕事をしました。その後のステップは、自分がやった事例で次の事例を作る、という形です。この会社は、面白いことをしているやつのまわりには必然的に人が集まってきます。自ずと面白い案件も集まってきます。ただ僕の場合は、「好きな物を作ってほしい」と言われるのはとても苦手でした。今も苦手です。解決すべき課題がないと、パニックになります(笑)。別に自分が作りたいものなんてないんです。僕は課題を解決する仕事が好きなんです。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

※3
さとなお(佐藤 尚之)…
ツナグ代表、公益社団法人「助けあいジャパン」会長。電通を経て、次世代ソリューションを扱うコミュニケーション・ディレクターとして活躍。1995年から「www.さとなお.com」を立ち上げ、エッセイストとしても著名。

―2008年に『コミュニケーションをデザインするための本』を執筆することになった経緯を教えてください。

ありがたい話ですが、この頃から宣伝会議のセミナーや大学での講演が非常に評判になりました。自分の事例や考え方が評価されることが本当に幸せでした。そこでもう少し自分でやってきたことを理論的にまとめなおしたいと思うようになりました。実際いくつかの出版社から執筆のお誘いなんかも頂いていて、そのことを会社に相談したところ、じゃぁ他じゃなくてウチで出版して、という話になったんです。悲しいことに、印税、執筆料、原稿料、もちろん全てなしでという条件まで課せられてですが(苦笑)。

執筆を決意した理由は他にもありました。まずは、自分の考え方がなかなか理解されなかったということ。事例は積み上げてきましたが、所詮事例としか見てもらえず、僕個人の特有なやり方としか評価してもらえませんでした。

僕にとってコミュニケーション・デザインは、自分だけのものではなく、誰もが応用可能な、普遍的なものでした。だからこそちゃんと体系化して、①ロジカル、②複眼的に、そして③効果的にプレゼンテーションしたくなったというのが本音でした。

また、少し話しがずれますが、電通でクリエーティブになるためには通常は試験を受ける必要があります。ただ何故か僕はたまたま試験なしでクリエーティブの組織に異動することになりました。その時点では極めて珍しいことで、非難を受けうることも少なくありませんでした。個人的には非難を受けること以上に、自分自身が違和感を感じていました。そもそも自分の領域を“クリエーティブ”とカテゴライズしていいのだろうかと。そもそもコミュニケーション・デザインとは、あらゆるコミュニケーションを一元的かつ統合的に考えます。広告でさえも、人を動かすためのひとつの手段でしかないと考えます。ですから従来型の細分化された組織に自分が属すことにとても抵抗がありました。本質的で創造的、でも決してこれまでと同じカテゴリーでは割り切れない、新しい“クライアントファースト”の考え方を自分の事例のみでピュアに示したかったのです。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―反響はどうでしたか?

おかげさまで、広告の専門書としては異例の3万部を突破しました。しつこいですが印税は全て会社です(笑)。そしてこのころから風向きが変わりはじめました。多くの人たちが応援してくれるようになりました。変な話ですが、電通の外部の人が、当時の電通に対する不安や不満を解決してくれていると言って、応援してくれました。

電通という会社は面白い会社で、よくも悪くも統一した考え方がありません。個々に理念やら信念やらをもって動いているので、強い個が出て主張をすると、誰かしら耳を傾けてくれます。いつしか「この考え方もありかもしれない」とコミュニケーション・デザインはようやく市民権を得られるようになったのです。

ただ、業界以外にも広まった現在では、本質的なことを理解しないでわかった気になった人も多いですし、むやみやたらに言葉が一人歩きすることは危惧しています。それでさえも、発信しなかったよりはしてよかったと思えるのは、今の広告にまつわる色々な意味での既得権益や、既存のやり方にメスを入れられたことではないかと思っています。

―岸さんはずっと、既存のシステムや、不条理について戦いを挑んでいるように見えます。

フェアじゃないのがすごく嫌で、既得権益構造になっている状態は改革しなきゃと思うんです。自分の見えないところに“神の手”があるようなことも嫌です。きっとセンター試験の恨みだと思います(笑)。もちろん人によっては僕が受けてきた不条理なんて、大したことじゃないと思うんでしょうが、それでも僕にはどれも大きなものでした。正直性格にも影響を与えています。そんな不条理に付きまとわれながら生きてきたことで、いつのまにか、挑むこと、環境に屈せず自分を進化させていくこと、破壊と再生を繰り返していくことを無意識でやるようになったのだと思います。「泳いでいないと死ぬ」サメみたいなもんだと思います(笑)。戦っていないと死んでしまう。いいとか悪いとかじゃなくて、そういう設計になっているのだと思います。

第4章
“モチベーション”までをデザインし、
携わる人のハッピーの総和を高めることが僕の仕事。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―お話を伺っていてコミュニケーション・デザインは、今後もっと重要になっていくように思えます。

そう思いますし、僕は一生コミュニケーション・デザインと共に生きていくので、そうあってほしいです。

もう少し具体的にお話すると、今後コミュニケーション・デザインの本質は、人に意欲をもたせるための動機付け=モチベーションをどう設計するのかという点により絞られていくと思っています。社会、企業、スタッフ……それぞれの立場に、それぞれのモチベーションが存在していて、その関係性をコミュケーションの力で豊かにしていくこと。それが様々な課題を解決へと導いていく本質解だと予感しているからです。当然僕もそれを目指したいと。ですからコミュニケーション・デザインの守備範囲も、企業から社会とか、僕らと企業の関係とかに留まらず、時にクライアント社長と、その社員とのコミュニケーションや、社員とその家族とか、これまでの広告では関係のなかったところまでその可能性が広がっていくのだと思います。携わった人全ての”幸せ”をどうつくるか?それに向かうための”やる気”をどうつくるか。あらゆる課題に対して、最高の解を用意するために、モチベーションのデザインが重要になってくるはずです。

―なぜ、モチベーション・デザインに考えが及んだのですか?

急に変な話をしますが、アニメやゲームのキャラクターでどんな奴が一番強いと思います? 火を支配する奴とか、死を司る奴、もしくは天気を自在に操る奴? 僕は現実社会において一番強い奴は、モチベーションを操る奴だと思っています。火を操ろうが、死を操ろうが、そいつ本人のやる気がなければ楽勝ですよね(笑)。まぁ“操る”という表現は少しよくありませんが、モチベーションをデザインすることができれば、もちろんそれをいい方へ使うことができるのであれば、様々なことを課題解決できると思います。誰かが誰かのために頑張る。自分のためでも人のためでも、そこにはモチベーションが必要ですから。

―なるほど。マクロ的な視点だけではなく、全体を支える源泉のあり方までをつねに思考されている。コミュニケーション・デザインの領域はさらに深く、広がりそうですね。

企業にとって、純粋に「いい商品を作って“広告”すればよい」という時代は終わりました。コミュニケーションによる役割と価値を知り、課題解決のための本質を見抜いて現状を変えることが大事です。この考え方は企業経営そのものにも関わります。スティーブ・ジョブズは、こういった点でも優れていたわけです。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―納得です。岸さんは、すでにコンサルティング的な分野にも関わっているのですね。

そうですね。企業のブランディングや事業計画にも多く携わっています。さらに言えば、「どうやって人の心を動かすのか」という本質は、企業だけではなく、地域社会や都市計画、行政の施策にも用いることができます。実際、ソーシャル的な領域の案件も増えてきました。

僕は課題を解決するために、あらゆる手段を用意します。広告は手段の一つにすぎず、それ以外のものを多く見つけることが重要です。ソリューションニュートラルと称しますが、このソリューションの幅を、コミュニケーションにおいて考えているんです。

“コミュニケーション”を武器にすることは、広告の領域以外でも非常に有効であることを、目の前の案件を解決していくことで証明していきたいです。また理論的には『コミュニケーションをデザインする本』で記しましたが、もっとも大切な「人の心を動かすこと」の意味を感覚的にわかりやすく伝えたくて、次の本を進めているところです。

―それが、近日刊行予定の対談集『こころを動かす。の見つけ方』ですね。

僕の怠惰で出版が遅れています。ごめんなさい。でも必ずいい本になります。広告業界に限らず、今の僕にとって、もの凄く魅力的な仕事や考え方をしている方々が今、「何を考え、どう動き、人や世の中の気持ちをつかんでいるのか」を明らかにし、読者に本質的なものを発見してほしいという想いからつくっている本です。前回の本はコミュケーション・デザインの方法論でしたから、とことん科学的かつ理論的にまとめましたが、今回はあえてまとめすぎず“ごろっと”素材としてあるものをそのままで見せたいと考えています。

分解したり解説したりしすぎないことはとても大事だと思っています。例えば、ものすごく美味しい卵焼きの構成要素を徹底的に分解したところで、同じ味の卵焼きは作れないですよね?

分解しすぎないで「ものすごく美味しい」という感覚的状態で扱うことも時に大切だと思うわけです。今回、あえて分析はしていません。それでも、業界を超えて通じ合う想いや共通項が浮かび上がってくるはずです。

登場いただいたのは、生物学者の福岡 伸一※4先生、さかなクン※5さんなど、考え方や生き方が大好きな教育者の方々。建築家の中村 拓志※6さんやコミュニティー・デザイナーの山崎 亮※7さんなどの同世代で活躍されているクリエイター。そして若手である僕らが決して忘れてはならない偉大な道を築いて下っさった大先輩方です。たとえば吉本興業社長の大﨑 洋※8さんからは「人の心なんて動かない」との名言を頂戴しました(笑)。ほかにもビームスの設楽 洋※9さん、フジテレビの大多 亮※10さんなど、業界を超えて、こころを動かし続けてきた方々と対談をさせて頂きました。

※4
福岡 伸一…
生物学者、青山学院教授。サントリー学芸賞受賞のベストセラー『生物と無生物のあいだ』のほか、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著作を数多く著す。

※5
さかなクン…
魚類学者、タレント、東京海洋大学客員准教授。魚の生態について豊富な知識をもって、講演や著作活動など幅広く活躍している。

※6
中村 拓志…
NAP建築設計事務所代表、建築家。建築を「コミュニケーションのデザイン」と捉え、独自の手法で新たな建築の可能性を切り開いている。

※7
山崎 亮…
studio-L代表、京都造形芸術大学教授、コミュニティデザイナー。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトを多く手がける。

※8
大﨑 洋…
吉本興業代表取締役社長。ダウンタウンなどのマネージャーを担当したのち、プロデューサーとして「心斎橋筋2丁目劇場」を設立。その後もデジタルコンテンツ事業など数多の新規事業を立ち上げる。

※9
設楽 洋…
ビームス代表取締役。電通のプロモーションディレクター、イベントプロデューサーであった1976年から「BEAMS」設立に参加。”セレクトショップ”、”コラボレーション”の先駆者。

※10
大多 亮…
フジテレビジョン常務取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役。トレンディドラマの名プロデューサーとして、『東京ラブスートーリー』『ひとつ屋根の下』などをヒットさせる。

今回は方法論の解説ではありませんし、まとめることをあまり重要視していません。ありのまま、だからこそ伝わるリアルがあると思うのです。発売日は、対談内容の一部を公開しているサイトでもお知らせするので、ぜひ手にとってみてください。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―刊行が楽しみです。本からのメッセージ以外に、たとえばまだ若い社会人に、岸さんからアドバイスいただけることはあるでしょうか。

僕も自分ではまだ若いと思っているので、そんな偉そうなことは言えないのですが、あえて言うなら「やりたくない仕事をさせられるときこそ、自分の真価を問われる」ということでしょうか。

好きなことをやっているときの力と、逆境の中で追い込まれて出てくる力は、同じではないと思っています。思ってもみなかったことを強いられているときにこそ、その人がもつ本来の力や才能、アドレナリンが出ているのではないかと。やりたくない仕事をやっている時間を無駄だとか辛抱だと呼ぶ人もいますが、僕はむしろそれが当たり前だと思ったほうが幸せだと思っています。そもそも、やりたいことをいいタイミングでやれている人なんてほとんどいないんじゃないかと。

逆に自分の力が発揮でいないことを環境のせいにする人いますよね? 自分もそういう腐った時期がありました。正直環境のせいにするのは簡単です。でも結局、何の解決にもならない。誰かが救ってくれるのを待ってるなんて嫌です。救われないかもしれないし。僕は、自分が不幸な環境におかれたときの方が、結果的には成長できたと思っています。無理矢理でもワクワクし、ポジティブになります。正確にはポジティブでい続けられるように心をもっていきました。理想の環境についてこそ発揮できる力よりも、どんな環境であっても腐ることなく、楽しめる力こそが強いと思います。

―これから、さらに岸さんが挑んでいきたいことを教えてください。

僕は、もちろんこれからもコミュニケーション・デザインをベースに、携わった人のハッピーの総和をより考えていきます。いいこと言ってるみたいで恥ずかしいけど、本心そう思っています。ハッピーの総数が高くなる仕事であれば、もはやジャンルは何でもいいんです。

ちなみに僕が言うハッピーとは、人から感謝されること、そして人に感謝することです。いい仕事は終わったらほめ合うでしょう? ほめられることがモチベーションにつながります。だからほめられることは本当にうれしい。だからほめてあげたい。結局人は、他人から自分の存在を認識されることでしか幸せを感じられないんだと思います。世の中には、どんなにいい仕事をしても誉められない職業だってたくさんあります。比較的感謝されやすい仕事に就けていることにもっと感謝しなくちゃですね(笑)。そういう意味では、日頃ほめられない人に「ありがとう」を伝えられるような仕事もしてみたいですね。

プロフェッショナルインタビュー:岸 勇希

―具体的な分野などありますか?

現段階では、最終的には教育分野にチャレンジしたいと思っています。

もちろん、そこにもコミュニケーションが介在しますし、今の領域にも近いと思っています。一番違うのは、僕が苦手な、答えを得るのに時間がかかるということですね。大学生に教えることは今もありますが、彼らがその後どうなっていくのか、教えたことが彼らの役になっているのか否かは正直わかりません。全力で教えたんだから、何かしら与えたに違いない、何らかの成長や成功する姿を見たいという欲は常にあります。でもその答えは数年、数十年先、もしかしたら一生わからないかもしれない。

常に自分の振る舞いに対して、反応が速いものを好んできた僕にとって、教育というものが要する時間、それでいても十分に余りあるであろう人を育てるという価値の大きさ。いつかどっぷり取り組んで見たいと思っています。

とはいえ今は、解決を望まれる課題がある以上、その課題に対して全力で対峙していきたい。そしてコミュニケーション・デザインの可能性を証明していきたい。これだけ不況と言われる中でも、「岸に頼めば物が動く」「予想以上の結果を得られる」と言われたい。何より、期待して下さる人に応えたい。すべきことも、そして出来ることも、まだまだ無限にあると信じていますから。これからもポジティブですよ僕は(笑)。

※この記事は『LinkedIn navi』の『プロフェッショナルインタビュー』から寄稿いただきました。

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