70歳差のかけがえのない友情物語〜アリ・スミス『秋』

70歳差のかけがえのない友情物語〜アリ・スミス『秋』

 EUを離脱するしないの国民投票でイギリスが大騒ぎになっていたのは、もう4年も前のことなのか。結局今年の初めに正式離脱となったのはみなさんもご存じだろう。当事者でなければ「あの騒動はなんだったんだ」ですまされるけれども、イギリス国民にとっては重大事件である。国民投票から1週間ほどたった頃、主要人物のひとりであるエリサベスが離れて暮らしている母親のウェンディーを訪ねたときに、「最近、村の人の半分は、残り半分の人に話し掛けなくなった」と打ち明けるエピソードが印象的だった(ウェンディーは「でも、村の人は誰もあたしとは口をきかないから、あたしとは関係ない」とも語ったのだが)。

 こういうタイプの物語に触れるのって久しぶりだったなと思った。他のアーティストに例えられることを著者が喜ぶものかどうかわからないけれど、エリック・ロメールの映画を観た後の感じに近い気がする。哲学的でありながら、エモーショナルでもある。また、観る者を近づけさせないような距離感なのかと思えば、親密でもあるような。

 主要人物はふたり。32歳のエリサベス(エリ「ザ」ベスではない)は、大学で美術史を教えている非常勤講師だ。ウェンディーはそれを”夢のような人生”と言うが、エリサベスに言わせれば、「いつ首を切られてもおかしくない職場で働き、何をするにも物価が驚くほど高くて、十年以上前の学生時代に暮らしていたのと同じアパートを借りている生活」だと自嘲ぎみである。もうひとりは101歳のダニエル。現在は、ウェンディーが住む村の近くにある介護施設に入っている。一日のほとんどを眠って過ごす。エリサベスがこのところ見舞いに訪れるようになってからまだ一度も、起きているダニエルの姿を見たことがない。

 年齢差はほぼ70歳。黙っていれば祖父(あるいは曾祖父)と孫(あるいは曾孫)に見えるふたりに、血のつながりはない。彼らが知り合ったのはエリサベスがまだ8歳の頃。エリサベスたち母子がダニエルの隣に引っ越してきたことがきっかけだった。ウェンディーは不在の間、ダニエルに娘の面倒をみていてもらうようになる。彼はエリサベスに芸術を愛する心を、とりわけ本を読むことの大切さを伝えた。エリサベスはダニエルの幅広い知識と鋭敏なセンスに憧れを抱き、ダニエルはエリサベスの聡明さを愛おしみ「かわいい私の弟子」と読んだ。

 果たしてふたりの間にあったものは愛情か。もちろんある種の愛情であったことは間違いないだろう。それが男女間の愛情に通じる類いのものであったのかははっきりとはわからないが、もちろんどっちだっていい。大切なのは、ふたりがお互いにとってかけがえのない存在だったこと。しかし、ダニエルみたいな存在に8歳で出会ってしまったら、その先どんな相手を見ても彼に対する以上の愛情を持つことはできなくなってしまうかもしれないなとは思う。それは結婚したいとか関係を持ちたいとかいうことではなく、「生涯の友」と言ってもらえたらもうそれ以上何も望むことはないと思えるような純粋な気持ちというか。

 そう、ダニエルはエリサベスについて「死ぬ前になってようやく、生涯の友に出会うこともある」と喜んでいた。妹との別れ、アーティストとの成就しなかった恋など、さまざまなつらい経験をしてきたダニエルが人生の終わり近くに出会ったエリサベスという安らぎ。国民投票は人々を分断し、肉親であってもしばしば理解し合えない。そんな人生において、真の友情がどれだけ人を支えることだろう。友情と本がかけがえのないものであることを教えてくれる、美しい物語であった。

 著者のアリ・スミスはスコットランド出身の作家。『両方になる』は話題になってたのに未読だった。読まなきゃ!

(松井ゆかり)

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