〈ホテル・アルカディア〉の芸術家たち、その他の物語
「吉田同名」で第七回創元SF短編賞を受賞してデビュー、同作を含む短篇集『半分世界』で第三十九回日本SF大賞の候補となった俊英作家の初長篇。ジャンルSFの枠組みに収まらない奇想性(マジックリアリズムの感覚とコラージュ的なテクスト性がせめぎあうとでも言えばよいか)が石川さんの持ち味だが、それが大規模に展開されている。
いちおう長篇の体裁を取っているが、直線的な筋立てがあるわけではない。夥しいエピソードで構成され、それぞれは独立しているものの細部でごく緩やかにつながっているところもあって、全体として謎めいたモザイクが描きだされる。
起点となるのは、愛らしい小山に囲まれたスペイン建築風の宏大な〈ホテル・アルカディア〉。このホテルの支配人のひとり娘プルデンシアが、憂いを募らせ声を失って閉じこもるようになった。その話を聞きつけ、投宿していた七人の芸術家が憂いの理由をあれこれと推測し、彼女をモチーフにした作品を制作する。
憂いに沈む娘と七人の芸術家。この構図だけみると非常にロマンチックだが、そこは石川作品、ちょっとした企みを潜ませている。七人の芸術家はプルデンシア本人を知らず、「この前見かけた、木の下で本を読んでいた女の子かもしれないな」「あたしも見た気がする。ホテルの食堂よ」などと自分たちのあいだであやふやな噂を交換して、勝手に想像をふくらませているのだ。
〈ホテル・アルカディア〉のエピソードはこの作品全体にとって枠物語にあたるのだが、『千夜一夜物語』のシェヘラザードとシャフリヤール王のやりとりのように、はっきりとした「枠」ではない。つまり、ほかのエピソードの「外」にあるとは断定できず、あるいは増殖的に広がるテクストのひとつの網目にすぎないのかもしれない。
その後につづく多くのエピソードには、〈ホテル・アルカディア〉もプルデンシアも七人の芸術家も登場せず(ただし、まったく無関係とも言い切れない)、ひとつひとつが独立した短篇として読める。
「タイピスト〈I〉」と題されたエピソードでは、現在進行形でタイプされた文学作品を仮想空間で体験できる「タイピング・マシン」なるアイデアが登場する。これはバーチャルリアリティではなく、タイピングのリズムや強度、タイプされた個々のアルファベットや記号が、物理刺激となって体験者に打ちこまれ、それが作品内容として感得される仕組みだ。大幅に拡張された共感覚とでも言えばよいか。タイピストはプロフェッショナルであり、同じ文学作品を打ちこむのでもタイピストによって現出する印象は違ってくる。そこは音楽の演奏と同様だが、タイピングはタイピストと被験者の一対一でおこなわれる。その点ではマッサージやヒーリングに近い。
また、タイピングそのものを純粋に味わうために、被験者は「タイピング・コクーン」という密閉空間に入り、外にいるタイピストがどのような人物なのかを知ることはできない。これがストーリー展開で重要な意味を持つ。ちょうど〈ホテル・アルカディア〉のエピソードで、プルデンシアの実体がわからないのに似ている。
ほかのエピソードもそれぞれに趣向が凝らされ、内容もスタイルも異なっているが、全体を通して読むと文字・物語・記述・地誌・記憶などのモチーフが頻出していることに気づかされる。また、文学作品への言及も多い。
終章「アトラス・プルデンシア」では、また〈ホテル・アルカディア〉と七人の芸術家の物語へ戻る。そこで物語が収束するのではなく、さらに開いていくところが絶妙。その開いていく過程に、それまで語られたいくつものエピソードが、プロット上のつながり(つまり辻褄や因果)ではなく印象として重なってくる。
(牧眞司)
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