浪漫の帝都と大陸の新興都市が舞台、波瀾のスチームパンク
和製スチームパンクの第三作。設定は第一作、第二作からつづいているが、物語としては独立しているので、この巻だけ読んでも支障はない。ただし細かいくすぐり—-たとえばヒロインの伊武(イヴ)が長須鯨の描かれた箱を大切にしていて、誰かが腰掛けようとすると「椅子じゃない」と怒るくだりなど—-は、シリーズを追いかけているファンへのサービスだ。そのあたりも含め、大森望さんが「解説」でシリーズ全体の概要をまとめてくれている。本書から読む場合は、まず「解説」からどうぞ。
舞台となるのはもうひとつの世界線にある日本で、日下國(くさかのくに)と呼ばれている。《機巧のイヴ》シリーズ第一作は江戸時代後期、天才技術者である釘宮久蔵と、その屋敷に住む謎めいた美女、伊武をめぐって物語が展開する。伊武というネーミングは言うまでもなくヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』に因む。つまり、彼女は精巧なアンドロイドなのだ。
伊武を構成するテクノロジーは秘儀であり、その起源は詳らかにされていない。本書のなかで、機巧人形に魅せられ、自ら開発にも取り組んだ発明家マルグリット・フェルは、次のような感慨を抱く。
伊武は、ある種の『永久機関(パーペチュアル・モーション・マシーン)』なのではないかと思うことがある。この世に存在してはいけない不滅の機械。(略)
ふと、伊武はそのクロノス[時間神]に会ったことがあるだろうかとフェルは思った。伊武の過ごしてきた深淵なる時間は、フェルが想像できる範疇を超えている。伊武を造った原初の人とは、いったい何者なのだろう。伊武が生まれた時に、そこには一体、何があったのだろうか。
さて、本書『機巧のイヴ 帝都浪漫篇』は釘宮久蔵のころから時代がずっと下り、1918年の天府市(こちらの世界線でいえば大正時代の東京)で開幕する。伊武は大実業家、轟八十吉の養女として女学校に通う身だ。養女といっても形だけで伊武と轟は対等である。ちなみに轟は護身術バリツの師範でもある。ご存知のように、バリツはシャーロック・ホームズが得意とする架空の武術。こうしたほかのフィクションへの参照が、このシリーズをより楽しいものにしている。
本書の物語は大きく「前編」と「後編」に分かれる。
「前編」のメインプロットは、伊武の女学校の同級生ナオミ・フェル(先述の発明家マルグリットの娘)と、売文で稼いだ金で無政府主義の雑誌に注ぎこんでいる林田馨との奇妙な恋愛だ。大正ロマン的な風情のもと、紫色の女袴を履いた純情な令嬢と無頼で飄然とした自由人の取り合わせはなんとも少女マンガ的で、実際、トキメキやコメディの要素もしっかり盛りこまれている。
しかし、林田は妻子持ちで、そのあたりが少女マンガの規範から大きくハミ出す。また、たんに無政府主義者だというだけにとどまらず、本人があずかり知らぬところで日下國の軍事機密に関わる疑いをかけられていた。林田を執拗につけ回すのは、いわくありげな憲兵大尉、遊佐泰三だ。おりしも大震災が発生し、その混乱に乗じ、遊佐はおぞましい事件を起こす。
林田に本人の知らない事情があったように、ナオミにも彼女自身が気づいていない秘密があり、それらが「後編」に入って大きなドラマとして動きだす。「後編」は「前編」から10年後の1928年、舞台となるのは新興国、如洲だ(こちらの世界線での満洲国に相当)。なんと遊佐が国策映画会社、如洲電影の理事長におさまっている。
憲兵隊で陰惨な事件を起こし、大陸に渡って映画会社の理事長に就任……とくれば、モデルは「夜の帝王」の異名をとった甘粕正彦である。甘粕が穏やかな文化人と冷酷非情さの両面を備えていたように、遊佐も一筋縄ではいかない。そもそも如洲電影で目論んでいること、また憲兵時代に林田を追及していた事情とのつながりなど、謎が多い。
「前編」でメインキャストだった面々も、「後編」ではそれぞれ立場や姿を変えて登場。複雑にもつれあった人物関係のなか、SFとしてのテーマである機巧人形にとっての意識や愛のありようが浮上する。また、クライマックスのアクションでは、シリーズを通しての主役、伊武が大活躍。轟八十吉のバリツも冴える。
(牧眞司)
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