「やっぱり諦めきれないから、ひっそりと自分の女に……」もしや死んだあの人では? 変わっていく彼女のこころ、変わらない肉体~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

周囲の落胆をよそに…少し余裕が生まれた胸の内

一念発起し、ついに出家を遂げた浮舟。周囲の混乱をよそに、彼女の心は平穏に満たされます。「これで良かった」。しかし、初瀬から戻った母代わりの尼君は、変わり果てた浮舟の姿にひどく驚き、嘆きます。

「私は老い先短い身ですから、あなたの今後のことだけをあれやこれやと観音様にお願いしてきましたのに、まあ、どうして……」。

浮舟は返事もせずに背を向けているだけですが、心のうちでは(ああ、お母様もこんなふうに激しく悲しまれただろう。亡骸もなく突然に死んだと言われ、どれほど嘆かれたことか……)

年寄りばかりの山荘に、ぱっと差し込んだ光のような存在だった浮舟。彼女の今後を楽しみにしていた尼女房たちも、若く美しい彼女に暗い色調の尼装束を着せる無念さや、出家を許可した僧都への恨み節をグチグチ繰り返すばかりです。

孤独な浮舟の話し相手は紙だけ。心に浮かんだあれこれを書き付けていると、またあの中将から手紙が来ました。彼は経緯を聞いて(なるほど、だから頑なに返事をしたがらなかったのだろう。それにしても惜しいことだ、あの黒髪を何とかまた見せてもらいたいと思っていたが……)

「なんとも申し上げようがありませんが……岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に 乗り遅れじと急がるるかな」。出家したいしたいと繰り返していた源氏が、朧月夜に内緒で出家された後に送った和歌に似ています。

いつもは読みもしない中将の手紙を、浮舟は珍しく手に取り、何を思ったか紙切れの端にこうかきつけます。「心こそうき世の岸を離るれど 行くへも知らぬ海人の浮木を」

心はこの世を離れたけれど、先のことは何もわからない浮木のような私。匂宮と愛の川下りをしながら詠んだ和歌にも「この浮舟ぞ行方知らなむ」と詠んだ彼女でしたが、出家したところで未来の保証などあるわけがない。ただ、出家したことで心にゆとりができ、俗世のことを振り返る余裕が出てきた感じです。

浮舟は「書き直して」と少将の尼にいいましたが、彼女は直筆を中将に届けます。でも、あれほど欲しかった返事も、出家した今となっては虚しいばかり。中将もまたがっくりと肩を落とすしかありません。

「もしやあの方では?」思い当たるフシのある奇妙な話

さて、僧都は宮中での祈祷に成功し、女一の宮の容態はみるみる快復。彼の評判はいよいよ高まります。「でもまだ心配だから」という中宮の言葉もあり、祈祷が延長されたため、7日の後も僧都は宮中にとどまっていました。

雨がしとしとと降るある夜、僧都は女一の宮の夜居(高貴な人のそばで夜間の祈祷をする)を勤めていました。看病疲れが出た女房たちはそれぞれ自室に下がっており、宮のそばには母中宮と、わずかな女房が控えているだけでした。

「昔からあなたのお力は存じ上げておりましたが、今回も本当にありがとうございました。あなたさえ居てくだされば、来世だって安心ですね。実に頼もしいこと。この物の怪も本当に執念深く、あれこれと語るのが恐ろしくて……」

中宮の言葉に、僧都は「そういえば、このように雨の降る夜でございました。私は病気の母のため、宇治の院で宿を取ることにしたのですが……」

その怪談調の語り口に、さすがの中宮も恐ろしくなり、そばで寝ていた女房たちを揺り起こします。途中から話を聞いた女房たちはなんのことかわかりませんでしたが、中宮とともに頭から話を聞いていた、小宰相の君はあることが気になりました。

「でも、鬼はどうしてそのお姫様をさらったのでしょうか。どこの姫君だったか、さすがにわかりましたでしょう?」

「それがわからないのです。いや、妹には打ち明けたかも知れませんが……でも本当に由緒正しきご令嬢であれば、とっくに大騒ぎになっているでしょう。田舎娘が姫君らしい衣装をつけさせられていただけなのかもしれません。

身分が低くても、尊く生まれる人もなくはない。それにしても、普通の人としては前世の罪の軽い、良い因果のある方だと思われます。

その人はとにかく、この世に生きているのを知られたくないと、まるでおろそしい敵でもいるかのように警戒して、ひたすらに身を隠しています。その様子がどうにも不可解でして、このように申し上げたのです」。

宇治、高貴そうな美しい娘、でもどこの誰かはっきりしない、自分の存在を知られるのをひたすら恐れている……。中宮と小宰相の脳裏に浮かんだのは薫の顔です。彼があれほど引きずっている女性は、もしやこの人なのではないか?

でも、確証もないし、薫にどう切り出していいものかわからない。もし本当にその人なら、薫に教えてあげたいけれど、すでに僧都の手で尼になったと言うし……。

結局、中宮と小宰相は顔を見合わせ、この件を保留にします。

やましい下心に駆られ……心と体の理想と現実

女一の宮の容態はすっかりよくなったので、僧都はようやく山へ帰ります。途中、小野の庵に顔を出すと、早速妹に責められますが、今更どうにもなりません。そして浮舟に対してはこう言います。

私が生きている限り、あなたのことはお世話しましょう。何も心配することはありません。この世に生まれ、俗世の栄耀栄華を願っている間、心は執着に囚われて世を捨てることはできません。

でもこのような林の中でお勤めをする以上、何に不満や恨みがあるでしょう。若さは花のように、そして命は葉のように儚い。松門暁到月徘徊……」。

僧都は最後の方に白楽天の詩を引用して、浮舟にわかりやすくレクチャーをしてくれます。話し上手で風流なところもあるこの僧都の話を、浮舟は(本当にありがたい先生だわ。こういうお話を聞きたかった!)と感激しながら聞き入ります。

すっかり秋が深まった風の日、またまた中将がやってきました。何を言っても仕方がないとは思いつつ、どうしても未練が断ち切れない。紅葉狩りのついでを装い、挨拶の後こっそりと「尼になったあの方の姿を見せろ」と少将の尼に迫ります。

浮舟は部屋の奥で一心にお経を読んでいました。繊細な美しい顔立ちはお化粧をしたかのように明るく輝き、短くなった髪は5重の扇を広げたように華やか。小柄な体には萱草色(カンゾウ色・明るい橙色だが喪服中の女性の袴などに用いられる)色や薄鈍色(ブルーグレー)などの透明感のある法衣を重ねていて、わざわざ絵に描いて見せたいような美しさです。

少将は(まさかこれほどとは思わなかった! 何という美女を出家させてしまったのだろう)。逃した魚は大きすぎた。もう悔しいやら悲しいやらで、激情のままにうっかり音を立ててしまいそうだったので、慌てて身を引きます。

(それにしてもおかしい。こんな美しい人を失って、探さないということがあるだろうか? 高貴な人の行方などは自然と噂になるものだが……。ああでもこんな美人なら尼でもいい! やっぱり諦めきれないから、ひっそりと自分の女にしてしまおう!!

今までは、何はともあれ出家してしまえば「もう恋愛沙汰はご法度」と、諦めるのがセオリーでした。父の妻から義理の娘まで言い寄っていた源氏でさえ、尼さんとは関係していません。ところが、ここでついに(もう出家してても構わん!)と思う不埒な輩が登場。あーあ。

当然ながら、髪が短くなった所で、浮舟が若く美しい娘であることには変わりありません。それを押し止めるのは理性の力。でも実際にはこういう例がいっぱいあったんだろうな、と思わせる中将の心の内です。

劣情にかられた中将は、義母の尼君に「出家された今はかえって気楽にお付き合い頂けると思います。私の寿命はわかりませんが、将来のご後見も致しますよ。でも本当に、この方を探しに来る人はいないんですか?」

「さあ、もう出家した以上は俗世とのご縁は切れてしまいましたからね。ご自身もそう思っていらっしゃるご様子ですから」

邪魔者が入り込むことはなさそうだと踏んだ中将は、「どうか僕をお兄さんだと思って、もっと打ち解けてください。いつまでも私を厭うていらっしゃるのが辛いです」。何がお兄さんだよ!

「難しいお話はわかりかねまして」とだけいい、浮舟は和歌への返事もしません。(もうこんなことは本当に嫌。もう枯れ木のように、何も感じたくない、人からもどうこう言われたりすることのない存在になりたい)

この気持ちは以前から変わらないものの、出家後の浮舟は少しずつ変わり始めました。尼としてのお勤めはもちろん、いろいろなお経を読んでみたり、時々は尼君と冗談を言ったり、碁を打ったり。嫌な気分になることもあるけれど、浮舟は以前よりも随分と意欲的、積極的になり、周囲とのコミュニケーションもし始めています。

次第に静寂に満ちていく浮舟の内面と、少しばかり髪が短くなった所で、肉体を持った若い女であることは変えられない現実。聖と俗、男と女、老いと若きの生々しい心情がいよいよリアリティを増す中、浮舟は小野の里で新年を迎えます。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

(執筆者: 相澤マイコ)

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