亡くなった母から届いたノート〜小手鞠るい『窓』
本書では、ウガンダの内情をはじめとした海外の複数の国における問題について、多くの紙幅が割かれている。楽しい話題とはかけ離れた要素を含むこの作品を、エンタメ小説として本欄で紹介していいものかどうか迷った。しかし、『窓』はノンフィクションでもルポルタージュでもない。ここで取り上げなければ、レビューなどがアップされる場が限られてしまうのではないかと思い(自分のTwitterという手もなくはないけど、零細アカウントなので…)、やはりご紹介させていただくことにした。
主人公は、中学2年生の森田窓香。物語の序盤で母親はすでに亡くなっていることが明かされる。また、彼女の死後に窓香のもとへ1冊のノートが届いたことも。
母・マミー(本名は「真美子」)と父・佑樹と3人で、窓香は5歳の頃から3年ほどアメリカとカナダの国境近くの町で暮らしていた。自分を大切に育て慈しんでくれる母の存在は、窓香にとってどれだけ大きかったことだろう。しかし、マミーとの別れは突然にやってきた。アメリカでの生活は佑樹の仕事に関する留学のためで、あらかじめ決まっていた滞在期間が3年間。再び日本へ戻る直前に、マミーは夫にこう告げた。「私、日本へはもどりません。アメリカに残ります、マドといっしょに」と。
マミーの夢。それはアメリカでジャーナリストになることだった。マミーはアメリカに渡るときに、佑樹と同じ会社を辞めてきた。やりがいのある仕事をあきらめたのだった。今度こそ夢を追うと決意して、マミーはひとりだけアメリカに残ったのである(さすがに窓香を引き取ることはかなわなかった)。窓香への愛情や、新たな仕事への情熱が書き留められたノートを通して、マミーは窓香に語りかける。年月を超えて、書いた本人が亡くなった後であったけれども。アメリカ帰りの英語力がかえっていじめの原因となった過去があったり、父や祖母にはなかなかほんとうの気持ちを言えなかったりする窓香。彼女にとって、自分を捨てたともいえるのにやっぱり大好きだった母からの手紙(ノート)がどれほどかけがえのないものだったろう。
もうひとつ、ノートに切々と書かれていたのは、世界の真実。児童の誘拐や拉致が多発する国。拘束した子どもたちに兵士になることを強要する武装集団。クーデターの後にやって来る独裁政治。マミーが窓香に伝える事実の数々は、私自身もまったく知らないか、聞いたことはあっても詳細までは把握していなかったことばかりだった。
世界には確かに想像を絶する境遇に置かれた人々がいる。けれど、だからといって安全な地域で暮らす私たちが幸せになってはいけないということではない。逆に、私たちの幸せに影を落とすような暗いできごとは知らずにすませればいいとも思わない。マミーは現実を伝えるために家族とは離れて暮らすことになったけれど、それは窓香への愛情がなくなったこととは違う。真実を知ることの大切さ、男性にくらべるとまだまだ家庭を優先させられがちな女性ももちろん自分の生きがいを追求してよいのだという考え方、一つ屋根の下で生活をともにすることだけが愛情を示す方法ではないこと、などなど。これらはすべて必要なことであり、必ずしも幸福と矛盾するものではない。いや、矛盾させてはいけないのである。
世界には悲しいことやつらいことがあふれている。でも、しあわせなことやうれしいことだってたくさん存在するのだ。すべての人々が、「生きていてよかった」と思える時代が来てほしいと願う。そのための第一歩として、私たちはこの世に絶望的な状況が存在する事実から目を背けてはならないのだと、この小説は教えてくれる。
本書では、窓香の淡い恋心も描かれる。母と子の(だけではなく、父と子の、祖母と孫の)愛情も描かれる。ひとりの少女が広い世界へと目を向けるようになっていく成長の軌跡も描かれる。心配することなんてなかった、まぎれもないエンタメ小説だった。さらには、心を打つ「松山千春小説」でもあった。
(松井ゆかり)
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