戦争体験を語り継ぐ〜古内一絵『鐘を鳴らす子供たち』
昭和42年生まれの私は、子どもの頃「戦争を知らない子供たち」という歌をよく耳にした。人口全体の割合としては、まだ戦後生まれが珍しかった時代かと思う。現代の日本においては、いかに高齢者社会が進んだとはいえ、戦争を知る世代の人々はもはや圧倒的少数派に違いない。「戦争を知らない子供たち」が当たり前になった社会は、平和のありがたみが実感されにくい社会でもある。
『鐘を鳴らす子供たち』は、「NHKで制作された連続放送劇「鐘の鳴る丘」をモチーフとしたフィクション」。Wikipediaその他で確認したところでは、主要人物の名前などは変更されているようだ。本書の主人公・良仁が回想するのは、峰玉第二小学校に通う小学6年生の自分。戦争が終わってそろそろ2年になるがまだ物資は不足ぎみで、食べ盛りの子どもたちもほとんどがおなかをすかせていた。農家である家の手伝いをときどきさぼって親友の祐介と遊んだり、感じの悪い勝や世津子とは衝突するときもあったりと、ごくふつうの小学生らしい生活を送っていた。そんな暮らしにある日大きな変化が訪れる。隣の組の担任である菅原先生が良仁の家を訪ねてきて、「良仁君に、ぜひともラジオ放送劇に出ていただけないか」と告げたのだ。戸惑いながらも良仁は、祐介や勝たちとともに劇に出演すると決めた。
ラジオ放送劇「鐘の鳴る丘」は、「生き別れになった兄と弟の物語」だ。復員した兄の修平が、弟がいるはずの感化院を訪れる。しかし、弟の修吉は仲間と脱走して浮浪児になっていた。修平は弟を捜す過程で他の浮浪児たちと心を通わせるようになり、彼らのために「少年の家」を建設しようと決意する…というのがあらすじだ。連続放送の「鐘の鳴る丘」の人気は回を追うごとに高まっていった。自分の演技力が向上していく手応えや仲間同士の絆が強くなっていく喜び、さらには”新しい時代”への期待感もまた、彼らの力となっていく。しかし「鐘の鳴る丘」への出演経験は、決して楽しいだけのものではなかった。
戦争が終わり、新しい憲法が制定された。これまでとは違う世の中になると待望した人々も多かっただろう。しかし実際にはこの時代の日本はまだまだ貧しさから抜け出せず、浮浪児や傷痍軍人があちこちに存在し、戦勝国のアメリカに逆らったりはできない状況にあった。戦争の爪痕は、人々の生活からまだ消え去ってはいなかった。
とりわけ印象的だったのは、脚本家の菊井先生とともに、出演者一同が戦災孤児たちが暮らす少年保護団体へ慰問に行ったときのエピソードだ。歓迎してくれたかに見えた施設の少年少女たちに、心からの笑顔はなかった。出演者たちが帰りのバスに乗り込もうとしたとき、施設にいた少年・光彦が近づいてくる。彼は「鐘の鳴る丘」が真実とあまりにも違うと、きれいごとに過ぎないと、嘘ばっかりだと主張した。
確かにそうなのかもしれない。良仁たちにしても、浮浪児たちの現実を十分には理解していなかった。それ以上、戦時中の過酷な状況など何ひとつ実感できない私のような人間こそが、光彦に糾弾されるべきなのだろう。だけど、嘘のないフィクションなどあるだろうか? 架空の物語に理想を求めるのは間違いなのか? 戦後生まれの作家は実際の戦争体験なしに作品を書き、同じく戦後生まれの読者はやはり戦争を知らずに作品を読む。私は、それが意味のない行為だとは思わない。知ろうとしなければ、現実と創作物の距離は埋まらないままだ。
良仁たちも、自分たちのやっていることに疑問がなかったわけではない。”気持ちがわかれば台詞が入ってくる”といつも語っていた実秋が慰問の後、演技に精彩を欠くようになってしまったことはその顕著な例といえよう。それでも、悩み傷つきながら成長していく彼らの姿には救われる思いがした。一方で、大人になるにつれて良仁たちもあきらめや妥協や心変わりと無縁ではいられなくなった様子が描かれてもいる。しかし、一度心に芽吹いた輝きは完全に消えてしまうことはないと思いたい。高らかに鳴る鐘の音を確かに耳にした昔の自分に、恥じないように生きていくことはきっと可能なのだ。
私の両親が生きていたら、「鐘の鳴る丘」について聞いてみたかったなと思う。ラジオドラマに関してだけでなく、ふたりの戦争体験についてももっと聞いておけばよかった。戦争を記憶している人々はどんどん減っていく。私たちやもっと下の世代にできるのはもはや、戦争を知る人々に学び、それらを語り継いだり記憶に留めたりする(例えば、本書のような作品を書いたり読んだりするような)ことしかないと思う。私たち「戦争を知らない子供たち」は、「戦争を知らない」ままであり続けるための努力を決して怠ってはならない。
(松井ゆかり)
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