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「自立」とは、社会の中に「依存」先を増やすこと ――逆説から生まれた「当事者研究」が導くダイバーシティーの未来(Mugendai(無限大))

同時に、当事者研究の中で新たに創出された言葉や知識を、健常者が知る機会も必要ですね。自助グループと当事者研究は、類似した困難を抱える当事者が、互いの経験を語り合う中で言葉を生み出していくという点で共通していますが、当事者研究は自助グループと違って、非当事者に向けた「公開性」を前提にしている点が異なります。

――当事者研究により、コミュニケーションのギャップは埋まってきていますが、課題はありますか?

熊谷 精神医療の分野では、当事者研究的な活動は非常に重要なトピックになってきています。
米国では、90年代にリカバリー・アプローチと呼ばれる大きな精神医療の変革がありました。回復を定義するのは誰かというものです。かつて、精神疾患からの回復を定義するのは、専門家でした。

すでにお話した「社会モデル」にあてはめてみましょう。エレベーターを設置して、足に障害がある人も、行きたいところに行けるようになるのが今日的な回復です。しかし、かつては階段を昇れるようになることが回復だとみなされていました。回復は、その時代の価値観によってその定義が変わります。ちょうどそれと同じことが精神医療の場でも起きています。当事者が回復を定義するのです。その結果、症状の消失ではなく、他者や地域とのつながり、未来への希望、肯定的なアイデンティティ、人生の意味の発見、強みと責任の自覚などが、多くの当事者にとっての回復の最大公約数である事が見えてきました。

残念ながら日本では、上記の意味での本人の回復を、地域社会からの隔離という形で阻害してしまう現状や、本人に否定的なアイデンティティを付与する精神障害に対する社会の偏見がまだあります。これをスティグマと呼んでいます。スティグマとは、当事者に差別や偏見で劣等感を植え付けてしまうものです。
これに対する特効薬は、とってもシンプルです。地域社会が包摂的になる事です。社会にはいろいろな人がいる。統合失調症の人もいれば、身体障がい者もいる。分離されずに一緒にいることが重要なのです。そして互いに、自分の認識は妄想かもしれず、にもかかわらず言葉を交わすことで、異なった妄想に共感でき、同時に合意できる現実を見出すことができると実感することです。

「自立」とは「依存」先を増やすこと

――先生は、障がい者が自立することは、依存先を増やすことだとおっしゃっていますが、これはどのようなことからそうお考えになったのでしょうか。

熊谷 以前、薬物依存者グループの当事者研究に参画したことがありました。この研究で教わったことがあります。すでに疫学的にも確認されている事ですが、特に女性の薬物依存者に多いのが、小さい頃に、身近な養育者から虐待を受けているという事実です。虐待されると、身近な人への依存ができなくなります。そもそも、すべての赤ちゃんや子どもは、困った時に身近な大人に依存しなくては生きていけません。ところが虐待を受けた子は、ぶたれたり、締め出されたり、食事を与えられなかったりするので、身近な人に依存できないと誤って学習します。そうなると消去法で、身近にある物質に依存するか、あるいは人に頼らなくても生きていけるくらい自分の能力を高める(自己依存)のどちらかになります。身近にある物質が何になるかは人それぞれですが、依存症の根本は、依存できなくなることにあるのです。

これを障がい者にあてはめると、障がい者も依存先がとても少ない。ありとあらゆるものが健常者向けにできていて、建物にも地域社会にも依存できません。必然、近親者などに依存先が集中してしまいます。自立とは、その逆で依存先が広がっている状態です。つまり、障がい者の自立には、多くの依存先が必要なのです。

例えば、手足が不自由な障がい者にとって、トイレは非常に大きな問題です。私も子どもの頃から、外出先のトイレがうまく利用できない場合、どうしても間に合わずおもらししてしまうことも多々ありました。このため、教室でおもらしをすると待機している母親が自分をトイレに連れて行ってくれ、身体を洗い着替えさせて教室に戻してくれました。周囲はそれほど気にも留めないかもしれませんが、私は、母親に常時大きく依存しており、それ故、社会への独り立ちは将来の大きな不安となったのです。近親者への依存の集中は、自立を遠ざけてしまうものです。

健常者に依存先が必要ないかというとそうではありません。健常者はすでに自身に見合った依存先が複数あり、自分では意識せず当然のようにそれを利用しているだけです。
いつでも利用できるトイレがたくさんある、地震などでエレベーターやエスカレーターが止まっても、避難できる非常階段がある、疲れたら腰掛けられるベンチがあるなど、社会は健常者にとって多くの依存先にあふれています。健常者が何もせずとも得られている恩恵を、障がい者は、享受できていません。
ただ、これはしばしば誤解されるのですが、「依存先を増やそう」というメッセージの宛先は、障害を持つ当事者ではありません。依存先は、障がい者本人が自助努力で増やすことのできないものです。自助努力だと勘違いすると、医学モデル的なメッセージになってしまう。「依存先を増やそう」というのは、あくまでも社会へのメッセージです。社会に依存先という選択肢をたくさん提供してもらわねばならないのです。そして社会は、私たち全員のことです。一部の障がい者のことでもなければ、健常者だけでもありません。
これはもちろん高齢者にもあてはまります。「年を取る」ということは、個人差はあるにせよ誰もが徐々に身体が不自由になり、心身ともに障害が生じていくという現実でもあります。世界で最初に超高齢社会に突入した日本だからこそ、社会がすべての人に対して依存先をどう提供できるか、皆さんと一緒に考えていければ幸いです。

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