嘘で戦争に勝利にした嘘みたいな話(歴ログ -世界史専門ブログ-)
今回はtamam010yuheiさんのブログ『歴ログ -世界史専門ブログ-』からご寄稿いただきました。
嘘で戦争に勝利にした嘘みたいな話(歴ログ -世界史専門ブログ-)
戦いに勝つためにはたまには方便も必要
狼少年の話を待つまでなく、嘘はいつもついていたら全く効果がありませんが、たまにつくことで有効な場合があります。
つかないに越したことはありませんが、仕事でも私生活でも、たまには嘘を使ったほうが色々なことがうまくいきます。
戦争では嘘と本当の情報が入り乱れ、嘘の情報が戦いを勝利に導くことがよくあります。
1. わずか6人の兵でベオグラード市を降伏させた嘘(ドイツ軍)
Attirbution:Bundesarchiv, Bild 101III-Weyer-024-05A / Weyer / CC-BY-SA 3.0
26歳のフリッツ・クリンゲンバーグは、ユーゴスラビアに侵攻したナチス親衛隊の将校で、ベオグラードを直ちに陥としギリシャに向かうべし、という本国からの指令を受け取っていました。
しかし、クリンゲンバーグと6人の部下がベオグラードに上陸した途端、ベオグラード攻略の兵や武器を運搬していた船が沈没してしまいます。通常だとここで一時作戦を中止するところですが、クリンゲンバーグはこの6人でベオグラードを陥とすことを決意します。なぜなら、すぐにギリシャに行かなければならなかったから!
クリンゲンバーグと6人の兵は、何食わぬ顔でベオグラードに入り、いつもやっているかのようにパトロールを始めました。クリンゲンバーグは部下たちに、何か怪しげな奴がいたら直ちに射殺するように命じました。
そうして彼らはベオグラード市の庁舎に到着。そうして何も言わずユーゴスラビア国旗を引きずり下ろし、ナチス・ドイツの旗を掲げました。
驚いたのはベオグラード市長。一体何事だとクリンゲンバーグの元に駆けつけます。
クリンゲンバーグはこう言い放ちました。
「我々は大規模な攻撃が始まる前に市内をパトロールしているのだ。ベオグラード市が降伏したと今ここで私がラジオ無線で伝えない限り、しばらく後に爆撃機による大規模な攻撃が始まる予定だ」
もちろんこれは方便。大規模な爆撃の予定などなく、そもそもクリンゲンバーグはラジオ無線すら持っていませんでした。
しかしこの脅しに震えあがったベオグラード市長は直ちに降伏を決定。
クリンゲンバーグはわずか6人の兵で1,300の兵を捕虜にすることに成功し「騎士鉄十字章」を授与されました。
2. 廃材で作られたハリボテで戦艦の救出に向かう(アメリカ軍)
USSインディアノラは南北戦争中に活躍した北軍の河川戦艦で、3インチの鋼鉄で覆われた当時最強クラスの砲艦でした。ミシシッピ川艦隊の一員として南軍の要塞に対し攻撃を加えますが、1863年2月24日に南軍の攻撃によって損傷を受け、南軍に拿捕されてしまいます。
インディアノラ拿捕は北軍にとってダメージが大きく、奪回作戦が考えられますがさほど予算がかけられない。そこで軍人のディクソン・ポーターという男は、現在のお金で170ドルほどを使って古樽や廃材をかき集め、わずか12時間ほどで偽の戦艦を構築。
ディクソン・ポーターはこのハリボテの船にのってインディアノラ救出に向かいました。南軍は突然現れた戦艦にパニックになって逃亡。無事にインディアノラの救出に成功したのでした。
インディアノラはミシシッピ艦隊に復帰し、南北戦争を戦い抜きました。
3. 従軍記者が敵の電話にテキトーに答えて侵攻を防ぐ(アメリカ軍)
マイケル・チニゴはアルバニア系アメリカ人で、第3歩兵連隊所属の従軍記者でした。
彼は複数の言語に精通しており、連合軍のシチリア島上陸でもその言語の能力は大いに活かされました。
ハスキー作戦が開始され連合軍がシチリア島に上陸を敢行し始めたまさにその時、水陸両用車で海岸に上陸したチニゴはイタリア軍が残した塹壕の中の電話が鳴っているのに気づきました。受話器を取ってみると、相手はイタリア軍の将軍。向こうはパニック状態でした。
「おい、何がどうなっているんだ!?アメリカ軍が上陸したというのは本当か?」
チニゴは流暢なイタリア語でこう返信しました。
「ご安心ください将軍、そのような事実は一切ありません」
この嘘がどの程度連合軍の作戦に有利に働いたかわかりませんが、少なくとも数時間程度はイタリア軍の司令部は安心して過ごすことができたのではないでしょうか。
現場がいかに酷いことになっていたかは置いておいて。
4. 偽の煙突を1つ追加して英国船6隻を撃沈(ドイツ軍)
Attribution: Bundesarchiv, Bild 137-001329 / CC-BY-SA 3.0
第一次世界大戦中、インド洋戦線ではカール・フォン・ミューラー少佐率いるドイツ海軍の軽巡洋艦エムデンが、主にイギリス商船を狙った通商破壊攻撃で大きな成果を出していました。
エムデンはコロンボ沖・カルカッタ沖でイギリスの輸送船や石炭船を破壊して回り、次いで南インドのマドラスの港を破壊することを目指しました。この時ミューラー少佐は、3本ある船の煙突に、偽の1本を追加するよう部下に命じます。
当時はドイツ船は3本の煙突があるのが基本でしたが、イギリス船は4つあったのです。
当時エムデンの噂はインド洋中に広がっており、3本の煙突を見た船はたちまち逃げてしまいました。そこでミューラー少佐はイギリス船が仲間の船と間違えて安心して近づいたところを仕留めようとしたのです。果たして作戦は大成功。9日間で6隻の船を沈没させました。
その後エムデンはペナンを攻撃して大ダメージを与えますが、ココス諸島沖でオーストラリア海軍の戦艦シドニーとの砲撃戦の末、大破して降伏しました。
5. 捕虜のナチス将校を使った「おびき寄せ」作戦(ソ連軍)
ソ連軍は1944年5月から1945年5月まで、ドイツ軍の戦闘員と物資の効率的な捕獲を目的とする「シャーホーン作戦」を開始しました。
この作戦は、ドイツ軍の司令部に「ソ連軍と奮闘中で助けが必要な部隊がある」と錯覚させ、戦闘員と物資をおびき寄せたところをそっくりそのままいただくというもの。
出汁に使われたのは実際にソ連軍の捕虜となっていたハインリッヒ・シャーホーン大佐。ソ連軍に命令されたシャーホーン大佐は、無線で司令部に対し、何千ものドイツ兵がソ連の奥地で奮闘中であり、武器や物資が必要だと訴えました。
普通に考えたら、孤立無援状態で大軍がソ連領内で長い間戦い続けるなんて絶対無理なはずで、このような情報はまず疑ってかかるべきところです。
しかし劣勢が続き戦いの趨勢がほぼ決まりつつあった1944年のドイツ軍は、「そうあってほしい」「そうに違いない」という願望からか、この怪しすぎる情報を信じてしまったのです。
ドイツ軍は「シャーホーン隊」への支援のために39回も航空機による物資供給を行い、それらは全てソ連軍により接収されました。
シャーホーンはさらに司令部に部隊の応援を乞い、本国から熟練兵から成る2,000もの部隊が派遣されました。これらの兵は直ちにソ連軍により捕獲されますが、シャーホーンは「支援部隊のおかげで攻撃は成功した」とまた嘘の情報を報告しました。
この功により、シャーホーン大佐は「騎士鉄十字章」を授与されました。
ソ連軍がベルリンに迫ってもまだシャーホーン大佐は連絡を撮り続けており、次第に司令部も余裕がなくなり支援は徐々に減っていきましたが、敗戦までシャーホーン大佐とのコンタクトは続きました。
まとめ
戦争中は正しい情報と誤った情報が錯綜し、何が正しいかをすぐに見極めて適した判断を下さなくてはいけないため、情報の正しさの感覚に敏感になっておく必要があります。
ただし、極度の緊張状態でもたらされる情報は、平時は馬鹿馬鹿しいものでも、本当かどうか冷静な判断ができなくなるものなのかもしれません。
別に戦場に限らず、職場や家庭などでも「冷静な判断」が求めらる状況は多いものです。「いや、これはおかしい」と冷静に言えるようになっておきたいものです。
参考サイト
「5 Stupid Lies That Changed The Outcome Of Historical Battles」2018年6月5日『Cracked.com』
https://www.cracked.com/article_25645_5-stupid-lies-that-changed-outcome-historical-battles.html
執筆: この記事はtamam010yuheiさんのブログ『歴ログ -世界史専門ブログ-』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2019年7月8日時点のものです。
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