「古典は本当に必要なのか」討論会へ行ってきた(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)

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 これはもったいない。価値観の違う人が、わざわざ憎まれ役を買って出て、面と向かって言ってくれるのだから。議論を、しよう。

 議論とは、議題について異なる立場の人が話し合い、互いに妥協できる場所を探すこと。妥協点が見出せないなら、それぞれが主張する問題点を明確にし、それを解決するための課題が何かについて合意を得よう。問題点すら明確にならないなら、それを記述している言葉や事実を確かめよう。定義や認識、エビデンスの違いまでさかのぼれば、抽象度を上げることで問題点を重ねることができる。そして、重なったところでこれらの対話を繰り返そう。

 これが、議論だ。結果、妥協点を見いだせなくても、互いに何を問題視しているかを理解したり、事実認識や定義が違っていることを確かめることができる。その上で、「あれかこれか」ではなく、両論併記することで(抽象度の上げた)ゴールの可能性も考えられる。

むりやり議論を噛み合わせる(キーワード:幸せ)

 噛み合わない「議論」を、むりやり嚙み合わせるなら、「幸せ」がキーワードになるだろうか。不要派の「生涯年収」と必要派の「幸せに生きるための知恵」で、問題点・定義・認識を重ねることはできないだろうか。ほぼ思いつきに近いアイデアを、質問という形で、パネリストたちに投げてみた。

 ……残念ながら、有益な話を引き出せたとはいえなかった。

 古典を学ぶことが生涯年収UPに直結するかなんて、検証しようがない。それでも、日本で使われている言葉のうち、大和言葉や故事成語の割合を調べることはできる。仮に「古典の重要度」を数値化するなら、この割合が参考になるかもしれぬ。

 そして、こうした言葉が文字通り血肉となって自然に出てくることを示すことはできる。不要派のハンズアウトに、「餅は餅屋」「~すべき(強調の意味で)」という言葉があるのは、部分的とはいえ古典教育の証左だろう。「短い言葉で的確に伝えたい」という動機が、自ずとレトリックを選ぶのであり、その引き出しは教育如何による。

 しかし、当のパネリストから、「語彙が豊富だからといって幸せとする尺度は同意できない」という反論や、「アメリカは語彙を減らし簡略化することで移民受け入れが上手く行った」という事例が出され、議論はそこで尽きてしまった。そこから、「アメリカの母語簡略化に倣って漢字教育を廃止した韓国ではどうなっているか」という検証や、「簡体字にしたことで中国の古典伝承への影響はあったか(台湾と比較して)」というサブテーマに膨らませたら面白かったかも。

古典不要派の言葉を使って考える(国際競争力と国力)

 他にも、噛み合わせるポイントはある。

 このテの議論をするには、相手の言葉で語ることが重要だ。相手が使う言葉を掘り下げてみると、実は互いにつながりあっていたことが分かる場合もある。「古典は本当に必要なのか?(いや必要でない)」という言葉尻だけ捉えて、やれ焚書坑儒だ、華氏451だと批判するのではなく、テーマの範囲内で、相手の言葉をどうやったら建設的に使えるか? と考えるのだ。

 たとえば、不要派が重視する”国際競争力”の変遷を、古典からたどるアプローチはどうか。不要派が紹介したスライドで、20年前と今の大企業の一覧があった。GAFAに席巻されたグローバル経済を示し、変化に対応できる”国際競争力”が必要だという。

 これ、スケールが20年だから目まぐるしいが、200年、2000年ならどうだろう。その必要な技能は、「今だけ」なのか、200年来必要なのか。国力、経済力、軍事力、文化的影響、社会制度といった観点で、数百~数千年を振り返る歴史家の仕事になるが、その根拠となっている古典をカウントすることで、古典の影響力を測ることはできないだろうか。あるいは、他の発想が埋まっていないか、掘り起こしが可能だろうか。

 もっと生々しく”国力”への訴求性を求めるなら、歴史問題に踏み込むこともできる。たとえば領土問題として焦点の当たっている島嶼で、その歴史的根拠を探すなら、昔の文書を参照することになる。その有効度は状況によるが、「たしかにその場所について日本と由縁があった」証拠の一つとして挙げることができる。

 そして、その文書はただ一つ、単独で存在するのではなく、文書の存在を示す別の文書、その文書から引き出された(引用や言及、随想など)別の文書として、確実なものとなるということだ。その当時のネットワーク全体で、その文書が示す「確からしさ」が検証できる(ここ重要)。

 なぜ重要かと言うと、争っている相手から、「こちらの方が古いから有効だ」と出所不明・ネットワーク不在の文書が出されてくる可能性があるから。あるいは、相手が時間をかけて「ここは私の領土だ」と繰り返したり、詭弁や武力にモノを言わせて事実化する場合があるから。相手には相手の理屈があり、ストーリーがあるのだから、数十年から百年かけても、国策としてその主張を通そうとするだろう。

 詭弁や武力ではなく、エビデンスに基づいて問題を解決するのなら、文書ほど重要なものはないだろう。歴史問題についてエビデンスとなっている一次文書と、それを参照・言及している文書(相手が提示してくる「文書」も含む)、さらにその解読に携わる人をカウント・比較することで、古典の有用性を可視化することが可能だ。

 一例をあげるなら、[『沖縄は中国の属国だ』という主張が今更な感じがするのですが、どういうことなんでしょうか?]*4 がある。この回答を支えている事実関係を示す一次資料は、それを参照・言及する文書のネットワークの中にある。これらを伝えていかない限り、時間をかけて辛抱強く繰り返される「沖縄は中国の属国である」主張へのエビデンスを手放すことになる。さらに、いま懸案となっている課題だけでなく、将来現れる新たな歴史問題を議論する準備として、古典を解析して維持していくことは、日本の「国力」につながる―――こうしたアプローチだと、古典不要派の「国力」と同じ視線で考えることができるかもしれない。

*4:「沖縄は琉球王国だった頃、中国の属国だったそうですが」『Yahoo!知恵袋』
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13110283043

「認可的ワクチン」としての古典

 上記の例は、読書際さんの「認知的ワクチン」に関する一連のツイートから学んだ。

 「認知的ワクチン」とは、デマをウイルスになぞらえ、知識を教え学ぶことでその流行を防ぐことを指す。たとえば、化学を学ぶことで「水素水」や「コラーゲン配合」の流行を防ぐことになる。

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