大阪外国語大学が大阪大学に統合されて感じる喪失感について(ぐわぐわ団)
今回はまけもけさんのブログ『ぐわぐわ団』よりガジェット通信掲載用に加筆修正いただいたものをご寄稿いただきました。
大阪外国語大学が大阪大学に統合されて感じる喪失感について(ぐわぐわ団)
2007年10月に大阪外国語大学が大阪大学に統合され、大阪大学外国語学部になりました。もう10年以上も前のことです。やたらと関西外大と間違われることが多かったのですが、今はもう、それすらも懐かしい話です。
それはそうと、大阪外国語大学が大阪大学に統合されたことに対して「大阪外大の卒業生は、大阪大学出身と言えるようになって、むしろ嬉しいのではないか。」という意見を耳にすることがあります。
そこで、知り合いに心境をたずねたところ「在学中に大阪大学になった人はわからないけれど、自分自身は阪大出身なんて言えるわけもなく、むしろ大学がなくなってしまったという喪失感がすごい」んだそうです。
このことを私のブログにつらつらっと書いたところ、「阪大になっても嬉しくない」「一生大阪外大出身と言います」「大阪外大に入学して大阪大学を卒業したけれど、全く嬉しいとは思わなかった」「むしろ、アイデンティティの喪失とすら感じる」といったコメントが続々と。東京外大出身の方からも「ちょっとモヤっとしています。」というコメントも頂きました。
みなさんが一様に感じているのが喪失感。
大阪外国語大学と大阪大学は全くの別物で、大阪大学は東大、京大に次ぐ大学だからええやんというもんでもないようです。みなさんの帰属意識はあくまでも大阪外国語大学にあり、大阪大学にはないのでしょう。せっかく大阪外国語大学に入ったのに「なんで大阪大学になるねん」 というのが本音のようです。
自分の居場所がなくなるというのは、ものすごくものすごい喪失感を感じるものです。私も祖国であるソビエト連邦が崩壊したとき、ものすごくものすごい喪失感を感じたものです。決してソ連の生活がよかったというわけでもないのですが、ロシアになったあとも、なんでロシアやねんという気持ちがどこかにありました。フルシチョフの時代が懐かしいなぁとか、なんとなくぼんやりと考えたりするのです。ちなみに、フルシチョフとは日本人にとってとても影の薄い書記長です。一応、エラいさんですが影が薄かったので早々新聞に載るようなこともありませんでした。ところが、ロシアになったのち、大スポの一面に「エリツィン、アル中!」とデカデカとすっぱ抜かれたりすると、なんとも情けなくて涙が出たものです。ソ連ならこんなことにはならなかった。そんな思いにあふれるのです。
話を大阪外大に戻しますが、間谷祭の語劇に夏まつりの盆踊り、延々と続く墓石階段、行くだけで疲れるD大講、木曜日のアセンブリー、喫茶サティア(サティアンではない)、キャンパスから出て坂道を下っていくと一時停止の標識があって、そこに箕面警察がこっそり見張っていて新入生がわらわらと捕まってしまったりするのも風物詩ではあったのですが、そんな粟生間谷東の箕面キャンパスも近々移転により、大阪外国語大学が名実ともになくなってしまいます。知り合いも残念がっています。
それはそうと、私はソ連人だったようです。よろしくお願い申し上げます。グーテンモーゲン。合掌。
執筆: この記事はまけもけさんのブログ『ぐわぐわ団』よりガジェット通信掲載用に加筆いただいたものをご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2018年09月07日時点のものです。
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