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【橘川放談 vol.4】インターネットは出版空間だ! そこに新しい言葉の文化を作りたいんだよ

橘川放談vol.4 インターネットは出版空間だ! そこに新しい言葉の文化を作りたいんだよ

ひさしぶりに、橘川さんからメールが来た。「以前開発した『メタチャット』という手法がとてもうまくいっている。テストしないか?」。橘川さんは基本的にロッカーだから、「『メタチャット』とは何か?」という説明はない(笑)。答えは「ノるか、ノらないか」の二者択一なのだ。なんだかわからなくても受けて立つしかない。「やりましょう」と返信したら、約30分後にそれははじまったのである。

いつもは、どこかで会ったときにインタビューをしていたけれど、今回の『橘川放談』は謎の『メタチャット』を使った対談形式で作成。話は『ロッキング・オン』初期、そしてインターネット以前の時代にさかのぼることから始まった。(聴き手、というか“受け”の書き手:杉本恭子)

『ロッキング・オン』の名物企画『渋松対談』誕生秘話

橘川:恭子ちゃん、お久しぶり。今日は、僕が開発した「メタチャット」について話してみよう。ていっても極めてアナログなんだけど。

杉本:チャットなのに“極めてアナログ”なんですか?

橘川:これは、そもそも1970年代に僕がロッキングオンを出すために写植屋になったというところから始まる。写植というのは、パソコンがなかった時代に、写植機という大きな機械でガラス版に焼き付けた文字フォントをカメラのように印画紙に露光して版下用の文字を焼きこむ装置。これを使ってガチャンガチャンとロッキングオンの原稿を打ってたんだ。

杉本:写植機って見たことないですねえ。つまり、写植って印刷用の版下データを作る、今のDTPオペレーターの作業に当てはまるでしょうか。

橘川:コンピュータが普及して滅亡した前時代の最新技術。写植オペレーターが活版オペレーターを放逐したのだから時代は繰り返す。僕はパソコンがはじまる前から写植やってたから、依頼原稿を写植打ちおろしで渡したり、手紙を写植で送ったりしたことがあったなあ。

杉本:まさに職人さんですね。ときどき橘川さんに感じる職人気質な部分は、写植時代に由来するのかも? 新しい思いつきを実行に移すときに、着々と手を動かしていくことをいとわない感じとか。

橘川:江戸の職人でぇ。それである時、渋谷陽一と松村雄策の対談をやろうということになった。普通なら対談して音声テープに録音して原稿に起こすわけだが、そういう行為がとても面倒に思った。こちらは写植に打つ原稿が欲しいわけだから、渋谷と松村を並ばせて原稿用紙を渡して、それぞれに発言内容を交互に書いてもらった。要するに筆談みたいな対談をした。すると、そのまま対談原稿が出来て、僕はそれをどんどん写植に打てばよかった。

杉本:なるほど。新しいものを発明する人って、実は「めんどくさがり屋さん」が多いんじゃないかと思うんですけど、橘川さんもそのクチですね。

渋松対談赤盤・青盤

橘川:だから新しいものを開発するためには、生々しい現場にいなければいけないんだよ。現場の中にしか未来はない。それで、その時にやってた「渋松対談」が、40年近くなった今でもロッキングオンで続く名物企画になった。最近では、単行本が2冊同時に出て、結構売れてるみたいだ。普通の対談をテープ起こししたら、ああは面白くならないんだよ(笑)

杉本:たしかに。話し言葉は耳で聴くためのもの。それを文字にする対談よりも、最初から書き言葉でつくられた対談のほうが「読む」ことには適しているのかもしれません。書くほうが思考の時間が長いし、練られた言葉が出てくるのでしょうね。しかも、お二人とも書くことに長けた人ですから。
「渋松対談」はずっとこの方法で続けられたんですか?

橘川:それは業務秘密です(笑)。
 

『Twitter』を予見した? パソ通時代の『メタ日記』

橘川:「渋松対談」からだいぶ経って、1980年代後半からパソコン通信というのが始まった。僕も自分の事務所にナツメ社のBIG-Modelを使って「CB-NET」というBBSを立ち上げた。そこには、僕の友人の編集者やマーケッターが数百人アクセスするようになった。

杉本:パソコン通信黎明期に、感度の高い人が集まるBBS。今のインターネット上のコミュニティとはちょっと質の違うコミュニティだったのでは? と想像します。通信そのものにお金もかかるし、「つながっている時間」に対する緊張感も違っていたでしょうし、また「ネットで書く」ことがもっと「紙で書く」感覚に近かったのではないでしょうか。

橘川:集まったメンバーがライターとかマーケッターとかミニコミ発行者とか、文章書くのに慣れてる人が集まったので、テキストのクォリティは高かった。当時、いがらしみきおさんが、日本三大コンセプチュアルBBSとして、IMOSと、CB-NETと松岡裕典くんがやってたWe-Netをあげていた。CB-NETを解散した後は、1994年ぐらいに、ニフティサーブの中に「FMEDIA」(メディアマン・フォーラム)を作って僕がシスオペやったが、その流れだった。そこで、深水英一郎や田口ランディをサブシスに任命したわけだ(笑)

杉本:初期インターネット文化を創った人たちのゆりかご的存在だったんですね。

橘川:CB-NETでは、そこでいろいろ新しい手法の開発に取り組んだ。自分での自信作は「メタ日記」と「メタチャット」なんだ。

杉本:自信作(笑)。

橘川:他人に自慢しない自信作(笑)。「メタ日記」というのは、一つの掲示板に複数の人間が、実感・体験を短いフレーズで共同日記のように書くもので、Twitterが出た時に、当時のメンバーが「ああ、橘川さんのやりたいことがようやく分かった」と言ってた。1988年から開始したんだよ。自慢してるか(笑)

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記者:

京都在住の編集・ライター。ガジェット通信では、GoogleとSNS、新製品などを担当していましたが、今は「書店・ブックカフェが選ぶ一冊」京都編を取材執筆中。

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