「良いチームを作るには、“叱る”ことが正義だと思っていた」 結果、25名のメンバーが4名に~株式会社スパイラルアップ・原 邦雄氏の原体験
会社に属している中では、部下や後輩の育成に悩みを抱えているという話をよく聞きます。正解がないのはわかっていながらも、効果のある指導方法を模索している方も多いのではないでしょうか。
今回は、のべ100万人、国内外200社に導入されている「ほめる人材育成」(通称「ほめ育」)を創った原代表の経歴に迫るとともに、「ほめ育」で実践される人材育成ノウハウまでうかがいました。
プロフィール
原 邦雄(はら・くにお)氏
株式会社スパイラルアップ、一般財団法人ほめ育財団 代表。昭和48年生まれ。兵庫県出身。二児の父。大阪工業大学卒業後、平成8年 日本食研に営業マンとして入社。その後、船井総研コンサルタントからラーメン店洗い場に転職し、4年間住み込みで働く。平成23年に独立し、アメリカに会社設立。現在1年の4分の1程度は海外。アメリカ、インド、中国、オーストラリア、シンガポールなど世界10か国以上に広がる教育メソッド“ほめ育”の創始者。TV出演多数。ハーバード大学でのセミナーを始め、年間200回以上行う。「ほめ育マネジメント」(PHP研究所)など著書も多い。カンボジアの孤児院に寄付するなどボランティア活動も積極的に行っている。
日本食研の営業マンから船井総研コンサルタントに
大学卒業後は、食品メーカーの日本食研に営業マンとして入社し、約5年半働きました。商品である焼肉のタレを配達したり、スーパーの食品売り場に立ったり、ホットプレートで肉を焼いてタレをかけて売る、試食販売まで行っていましたね。
転機となったのは、入社して3年目。大手コンビニエンスストアを担当することになり、船井総合研究所(以下、船井総研)が開催していたマーケティング講座を受講することにした時でした。
当時、会社での営業成績は同期でTOP。「俺に勝てるヤツいないだろ」と調子にのっていました。しかし、船井総研では自分と同じ年くらいの若いコンサルタントが経営者に向けてセミナーをしていたんですよ。そこで「まだ上には上がいるんだな」と、ショックを受けたんです。また、受講しているうちに、コンサルタントという仕事に対して、「かっこいい!」「いいなぁ」という思いも芽生えてきました。そこで、船井総研への転職を決意。中途採用に応募し、約30倍の倍率をくぐり抜け、入社しました。
入社後は、「住宅リフォーム、外食・小売業」のコンサルティングをしているチームに配属。それまでは、コンサルタントの仕事ってかっこよくて、働く時間も短いと思っていたのですが、とんでもなかった(笑) 与えられたのは、大量のコピー取りの仕事や、「DMを3,000通、明朝までに作ってください」という、到底無理な指示までありました。難関を突破して入社していたので、みんなプライドが高くて、天狗になっている。会社としては、その鼻をへし折る必要があったんですね。そうして、やっと一人前のコンサルタントになってからも徹夜仕事はたびたび。朝は給湯室のシンクで髪を洗っていたくらいです(笑)
そこまで一生懸命仕事をし、クライアントである中小企業経営者の「顧客満足を追求」するために頑張っていました。
そこから2年ほど勤めていましたが、なかなかコンサルタントとしての花が咲かないんです。おそらく、まだ自我があったんでしょうね。「僕はデキるのに…なぜ…」と伸び悩んでいました。アイディアは沢山あったし、コンサルタントとして1番になりたかったけど、全く先が見えない。
そこで当時の上司に相談したところ、「今後インターネットの普及で、無料で経営ノウハウの情報が経営者に入る。その半面、現場にいるスタッフと経営者とのかい離が今まで以上に広がり、意思疎通ができなくなる。そこに新しいマーケットができるはずだ」とお話しいただいたんです。「現場で、まずは繁盛店を作ってみるといい。そしたら、またコンサルタントに戻ってこい!そうすると1番になれるよ」と。
このままだと「机上の空論のコンサルタント」になってしまう。まずは、現場に行かなければいけなかったんだと考えたんです。そこで、ラーメンが好きだったので、知り合いの社長が経営する人気豚骨ラーメンチェーン店に入りました。社会人7年目、29歳の時でした。
29歳、ラーメン屋でのリスタート。飛び込んだ「現場」で感じたこと
入社した日のことをよく覚えています。ラーメン屋のドアノブって、触ると豚骨の脂で、ニュルッとするんですよね。今まではスーツを着た仕事だったけど、「あぁ、僕はここで頑張るのか」と改めて実感したんです。
初日は18歳のアルバイトの女性から仕事を教えてもらうことに。最初は洗い場からのスタートでした。
女性「今日は初日なのでレジからやってもらいます。原さん、当然メニューを覚えてきましたよね?」
原「何言ってるんですか?僕、今日初日ですよ」
女性「でも入社が決まったのは、もう1週間以上は前ですよね?みんな、普通メニュー覚えてきますよ。原さん、その年でダメだなぁ。考え方甘いと思いますよ。」
と、まさに洗礼を受けたんです。
その後も、勝手が違う現場のルールに戸惑い続けることになります。日本食研や船井総研時代の元部下や同僚が偶然食べに来て、私が店長から怒鳴られてボロカス言われてるのを見て、いたたまれなくなってコソッと帰っていったりしたことも。
洗い場からスタートした仕事は、「餃子担当⇒炒飯⇒スープ⇒副店長⇒店長」と順番に上がっていくんですが、しばらくは洗い場さえ満足にできませんでした。当時は、「コイツいつまで続くんやろう」とほかのスタッフから言われてましたね。
「ほめる」マネジメントに出会うまで
それでも半年洗い場を続け、ほぼ住み込みで働き、精一杯努力したことで、特進もあり、1年半で店長になることができました。
自分が愚直ながらも仕事と向き合い続けたことで、周りが支えてくれたのが大きかったです。そんなこともあり、当時は大変気合が入っていていました。
最初は、店舗のスタッフを指導する時、徹底的に「叱る」ようにしてたんです。
僕自身は、現場の人間として、厳しく育ててくれたことに恩義も感じていましたし、それが現場のやり方なのだと信じていたんですね。良いお店を作るには「叱ることが正義」と思い込んでいました。 1人1日10回以上。ある自分よりも年上の男性社員は、ラーメン作るのは遅いし、声も小さかったので、裏に呼び出して、怒鳴りつけるなどしていました。ほかのスタッフの前で泣くまで叱り、泣いてる最中も叱り続けました。泣いても、ダメなものはダメと。そうすると、急に何の連絡もなく、どんどんスタッフが辞めてしまうんです。最初は25名いたのに、私と副店長とアルバイト2名のみになったこともありました。
そこで悩んだ末に読んだ本が、松下幸之助さんの「主体変容」だったのです。
周りを変えようと思ってもなにも変わらない、自分を変えて初めて環境が変わるとありました。
またそのころ、あるアルバイトから「原さん、今月のMVP誰ですか?」と言われたことがあったのです。当時の私は、ここの現場のスタッフは全員ダメで、理想のスタッフではない、と思っていたので衝撃でした。そのとき、「はっ」と気づいたのです。ダメ出しされていても、スタッフは嬉しいはずがないと。もともと、両親より赤ちゃんのころからずっとほめて育てられた私は、体中にプラスのエネルギーが入る感じがし、「これだ!」と思ったんです。そして、「叱る」から「ほめる」へチェンジマネジメントしようと思い始めました。
そこでまずは、スタッフに愛を伝えようと、毎月1回全スタッフを集めて「ほめる会議」を始めたんです。
例えば、忙しい土日のシフトを自主的に埋めてくれた人や、お客様へ飲み物を勧めるタイミングが良く、結果お客様の滞在時間が10分減り、店の売り上げに貢献した人など。それをズバリ言ってあげたら、みんなが生まれ変わったようにイキイキと働き始めたんです。自分の行動がお客様に届いたことで、スタッフの自信につながる。結果、その後1年間スタッフが誰も辞めずに済んだんです。売り上げも上げられるようになり、繁盛店とは「スタッフの良い行動の集まり」なのだと実感しました。
ある程度スタッフが育ち始めたあとは、「ほめる」だけでなく「叱る」ことも行いました。叱り方のコツは、もちろん1対1がいいですが、なにより躊躇せず叱るということです。叱ることを遠慮せずできたのは、普段その人に対する愛情を注ぎ、信頼関係があったから。思い切りほめて育てることで、叱ることができるようになったんです。
こうして「型」となるものを、ラーメン屋という現場で学び、再びコンサルタント業に戻りました。
業績が上がる教育方法として「ほめ育」を掲げる
今は、現場が教えくれたことを活かし、「ほめる」マネジメント、「ほめ育」をもっと広げていきたいと日々まい進しています。
これまでの時代は、「あうんの呼吸」や「俺の背中を見ろ」など、基準なきマネジメントでした。特に今の50代60代は、ほめられることに慣れていません。ボロッカス言われてきているので、部下をほめることに慣れてないんです。
しかし、ほめる基準や叱る基準を目に見えるようにしっかりと作って実行する。
スタッフにも「何をするとほめられるのか」を先に公表する。例えば、「お客様の喜びにつながること」をしたら評価するよと。それを週報や日報にして、共通言語にして話し合う。結果、お客様にほめられ、数字も上がるんです。
最も効果が上がったのが、私が開発した「ほめシート」です。
書くことは3つだけ。①「ありがとう」 ②「成長したなぁ。すごいなぁ。好感が持てる」 ③「期待していること」 です。
そして、この「ほめシート」を使い、朝礼や会議などみんなが集まる場所で発表します。書くこともやることもとてもシンプルですが、多くの人の前でほめられた方が、嬉しさが何倍にもなり本人の続きにつながるからです。
これからも「当たって砕けろ」で、全世界に「ほめ育」を広げていきたい
私の座右の銘は「当たって砕けろ」(Go for broke!)
これは小学校卒業式で担任の先生が私に向けて送った言葉。子どものころは、まだ引っ込み思案なところもあったんです。さらに、ラーメン屋を卒業して、再びコンサルティング業界に戻り、アメリカに行って変わった価値観もあります。
「意志があるところに道がある」(Where there is a will, there is a way.)…あなたは何がしたいの? 言わないと、表現しないと道はないよ。という言葉も大切しています。
人は、「ほめ合うために生まれてきた」と思うんです。
せっかく同じ職場で出会って、同じ使命の中で働いている。「ほめる」が表現のひとつとして、しっかり根付くことで、コミュニケーションを潤滑にすると、マネジメントをする一人ひとりが気づき、実践してくれる。「ほめ育」を通してそんな社会を目指したいと思っています。 インタビュー・文:倉島 麻帆 撮影:平山 諭
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