川本三郎はサブカルチュアの世界を生き抜いてきたクリント・イーストウッドである(『映画の中にある如く』発売記念対談ロングヴァージョン<前篇>)
“現役最長不倒ランナー”
——映画雑誌『キネマ旬報』の長期連載「映画を見ればわかること」をまとめた川本三郎著『映画の中にある如く』が2月に刊行されました。今回は、長年“川本三郎本”を愛読されてきた北沢夏音氏と渡部幻氏に川本三郎さんの文章を“読むことの楽しみと驚き”について伺ってみたいと思います。
北沢 川本三郎さんのご著書は、最近出たものだけでも、すごい数がありますよね(単著だけで17年2冊、16年1冊、15年6冊……さらに共著が多数……)。 “現役最長不倒ランナー”のような持久力で、最初の単行本『朝日のようにさわやかに 映画ランダム・ノート』(77年、筑摩書房)以後ずっと新刊を出し続けていらっしゃいます。
渡部 ちょっとクリント・イーストウッドみたいですね。イーストウッドは映画監督として、1971年から毎年のように多彩なジャンルの作品を発表してきました。一見すると、あまりにも難なく撮れているように思えるので、つい当然のことのように受け取りそうになるのですが、実際には圧倒的な仕事量で、他の追随を許さない。川本さんもまた長期間に渡って、映画、文学、漫画などジャンルを越えた批評活動を継続されてきましたが、これはとてつもないことですよね。
北沢 まさに。川本さんは、日本のサブカルチュアの世界を生き抜いてきたクリント・イーストウッドである。しかも、作品のクオリティが“高止まり”したまま驚異的な打率を残しているところも共通している。最近は“ノスタルジックな和モノ“の紹介者としての印象が強いかもしれませんが、実際の川本さんはアメリカ文化をはじめ、多彩なテーマについて論評されています。川本さんは、“サブカルチュアの最良の水先案内人”といっても過言ではない書き手のひとりなんです。
渡部 サブカルチュアといっても、ジャンルを横断するだけでなく、その森の奥に分け入り、作品の作者や登場人物の人生に触れながら書かれているので、文章が古びないですね。
北沢 川本さんの文章は時代に寄りすぎない。媚びも売らない。だから時代が変わっても鮮度が落ちないんです。また、僕が物書きの端くれとして思うのは、川本さんの文章はその巧みさがさりげなく提出されていて、あまりにもスムーズに読めるので、「川本三郎さんの凄さが多くの読者に本当に伝わっているんだろうか?」と心配になるくらいです。
渡部 そうですね。
北沢 「上手な文章」をこれみよがしに差し出すのではなく、ものすごく中身が詰まっているのにリーダブルだから、読者はその「重み」に圧倒されることなく安らかに読み進むことができる。だけど読後、確実に残るものがあるはずなんですよ。僕は文章家として、川本さんをすごく尊敬しているんです。
渡部 ぼくは川本さんの文章を通じて、一本の映画のなかに込められたディテールの豊かさに気づかされました。たとえば、新刊の『映画の中にある如く』には「映画の中の文学」という章がありますが、ここでダグラス・サーク監督の「翼に賭ける命」(57年)が取り上げられています。主演のドロシー・マローンが、2010年に翻訳されたウィラ・キャザーの小説『マイ・アントニーア』を読んでいる場面があり、それはマローン扮する女性が「アメリカ中西部のスモールタウンの出身だということをあらわしている」(253頁)と指摘する。これを読んだあと、DVDでその場面を観直しましたが、知らないで観ていたときとはひと味もふた味もちがって見えてくる。ここに、川本さんの横断的な批評文の醍醐味があります。ひとつの文章のなかにいくつものディテールがちりばめられていて、一度読んだだけではとても受けとめきれない分量ですが、言葉に心地よいリズム感があって、二度、三度と読み返したくなる。「翼に賭ける命」と同様、そこであらためて気づかされることがたくさんあるんです。
北沢 ディテールに注目する、という観点から“現役最長不倒ランナー”としてのキャリアを振り返ってみると、川本さんは“走路”を時代に合わせて選んだわけではないのに、時代が求めるものと元来の資質が図らずも一致して“追い風”が吹いた、という仮説が立てられるのではないかと思うんです。川本さんの旺盛な執筆活動の端緒となった70年代は、60年代に燃え盛った反体制運動や若者たちの“叛乱”が下火になっていく“後退戦”の時代。それを戦っていた同時代の書き手のひとりとして、僕は『幻覚の共和国』(晶文社、71年)『俺たちのアメリカ』(講談社、76年)などの著者、金坂健二さんを想起します。
渡部 北沢さんは雑誌『スペクテイター』(エディトリアル・デパートメント)で、金坂さんの評伝を書かれていましたね。
北沢 川本さんより10歳年上の金坂さんは、松竹映画国際部で城戸四郎社長付きの通訳を務めた後、61年に渡米してアンダーグラウンド・シネマの勃興に触れたのを機に、自ら実験映画を製作する傍ら、『映画評論』(映画出版社)編集長の佐藤重臣さんと共に日本における“アングラの伝道師”的な役割を担い、“アングラ・サイケ”全盛の60年代後半には時代の寵児というべき活躍ぶりで注目を集めます。70年代以降は、“地下のアメリカ”を至近距離からレポートする写真家/ジャーナリストとしてディープな取材活動を続けていきます。
渡部 金坂さんは『キネマ旬報』にもスリリングな現地報告や映画評を度々寄稿していました。つんのめるような独特の文体に異様な迫力があって、年少のキネ旬読者だったぼくの目にも刺激的な存在でした。面白かったなあ。
北沢 しかし金坂さんは、カウンターカルチュアに肩入れするあまり、80年代以降の時代の激変に自分を合わせることができず、シーンから退場しなければならなかった。80年代は、消費社会が前景化して70年代の時代色をガラっと塗り替えてしまいます。「70年代」と一口にいっても前半と後半では時代の空気がまったく違う。映画、文学、漫画、音楽などの享受者=消費者は、作品の意味や情念から離れて皮膚感覚的にディテールを楽しむようになっていく。そうした時代の要求に合った文章を提供できる資質を持っていた〈ポスト・カウンターカルチュア〉の書き手として、70年代半ばから次第に頭角を現していったのが片岡義男さんであり、川本さんであったといえるのではないでしょうか。
渡部 70年代後半といえば、79年に『風の歌を聴け』(講談社)でデビューした村上春樹さんもそのお一人でしょうね。
北沢 役者が揃った感があります。そして、いわゆる“カタログ文化”の嚆矢となった『Made In U.S.A Catarog 1975』とその続篇『Made In U.S.A-2 Scrapbook of America 1976』(企画・編集:木滑良久、石川次郎、読売新聞社)、1976年に同じスタッフの手で創刊された雑誌『POPEYE』(平凡出版)が大ヒット、アメリカ的なライフスタイルへの関心が若者文化の主流になっていく。
渡部 個人消費の時代ですね。80年代にはビデオデッキとレンタルソフトの普及があり、映画を、家で個人的に楽しむ時代がはじまり、作品ひとつの捉え方、楽しみ方にも変化が起こります。劇場での映画鑑賞は身体全体の記憶であり集団的な体験ですが、ビデオ鑑賞は、個人が自分の脳に映画を直接注入する感じですね。川本さんや村上さんの世代は、2つの時代に足が掛かっている。双方の〈豊かさ〉とその〈違い〉を知っているので、その前提に立った上で、85年に共著で『映画をめぐる冒険』(講談社、85年)という“ビデオで観れる映画”に絞ったカタログ的な楽しい映画本を出されていますね。
北沢 川本さんは、『都市の感受性』(筑摩書房、84年)に収録された評論「一九八〇年のノー・ジェネレーション――村上春樹の世界Ⅰ」のなかで、〈小さな個人であることを、空虚であることを楽しんでさえいる(中略)すでにニヒリズムを観念としてではなく肉体として持ってしまっている(中略)「ノー・ジェネレーション」とでも呼びたい新しい都市生活者の文学として私は村上春樹の作品(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『中国行きのスロー・ボート』)を愛読している一人だ〉と、五歳年下の村上さんへのシンパシーを表明します。
そのうえで、川本さんは同じ79年に登場した『風の歌を聴け』とウディ・アレンの映画『マンハッタン』に一種の共時性を見出します。どちらも作家、映画俳優、音楽家などの「名前」が大量にちりばめられた“引用の織物”であるという共通点を挙げ、〈消費されては消えてしまう“商品のラベル”によってでしか自己を語れないという意味で『風の歌を聴け』の「僕」は『マンハッタン』のウディ・アレンと同じ、小さな都市生活者である〉と評する一方、記号が喚起する「気分」のなかにフィクション(虚構)を楽しむ村上さんの姿勢を積極的に肯定します。
川本さんは、前掲書に収められた評論「『羊をめぐる冒険』を読む――村上春樹の世界Ⅱ」のなかで、こう指摘しています。〈現代社会は一見、より自由になった「個人」がはしゃいで「趣味」や「遊び」を喋々しているように見えるが、その裏には恐ろしいほどの喪失感がひそんでいる〉。
そして79年春には、〈モノ〉を切り口とするアプローチを採らず、現代のアメリカを象徴する〈人物〉のカタログを企図した『ヘビー・ピープル123 ヴェトナム以後のアメリカ』(編集委員:常盤新平,川本三郎,青山南、ニューミュージック・マガジン社)の出版をきっかけに、この本に寄稿したメンバーが集まり、『ハッピーエンド通信』(ハッピーエンド通信社)というリトルマガジンが創刊されます。わずか1年という短命に終わった幻の雑誌ですが、デビュー間もない村上さんがフィッツジェラルドの最重要エッセイのひとつ「マイ・ロスト・シティー」の翻訳を寄稿したり、ひとつのムーヴメントと呼べるような画期的な内容でした。
川本さんは、そこでは主にアメリカ映画の記事を書かれていますが、その後、85年に創刊された『SWITCH』(編集長:新井敏紀、発行:株式会社スイッチ・コーポレイション、発売:扶桑社、現在はスイッチ・パブリッシングより発行)という、やはり現代アメリカの映画・音楽・文学などのキーパーソンを掘り下げて特集する新雑誌のレギュラー寄稿者になります。そこで初めて、それまで川本さんが黙して語らなかった、ご自身の運命を大きく変えてしまうことになる事件について、その顛末と当時の心境を赤裸々に綴り、のちに『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』(河出書房新社、88年)として書籍化、2011年に映画化(監督:山下敦弘、主演:妻夫木聡)される回顧録を連載(1986~87年)、積年の思いを吐露されたあと、長年温めてきたさまざまなテーマを精力的に探究されて、現在に至ります。
(中篇へつづく)
【PROFILE】
きたざわ・なつを/1962年生まれ、東京都出身。ライター、編集者。92年雑誌『バァフアウト!』を創刊。著書に『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』(本の雑誌社)。共著に『青春狂走曲』(スタンド・ブックス)ほか。
わたべ・げん/1970年生まれ、東京都出身。映画評論家、編集者。『アメリカ映画100シリーズ』(芸術新聞社)を企画・編集・執筆。現在『キネマ旬報』にて「ぼくのアメリカ映画時評」を連載中。
『映画の中にある如く』
著者:川本三郎
定価:本体2,500円+税
発行:キネマ旬報社
(構成・寺岡裕治)
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(執筆者: キネ旬の中の人) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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