現代の“モダンガール”と“モダンボーイ”が建てた、大正末期~昭和初期の薫り漂う文化住宅 テーマのある暮らし[4]
「日本モダンガール協會」を立ち上げ、自らモダンガール(=モガ)を追いかける淺井カヨ(あさい・かよ)さんと、音楽史研究家の郡修彦(こおり・はるひこ)さん。大正末期から昭和初期にかけての文化やライフスタイルに惚れ込んだご夫婦がつくり上げた「新文化住宅」とは? 完成に至るまでの苦労話、個性的な暮らしぶり、そのすべてをご紹介します。【連載】
ひとつのテーマで住まいをつくりあげた方たちにインタビュー。自分らしい空間をつくることになったきっかけやそのライフスタイル、日々豊かに過ごすためのヒントをお伺いします。
1920~30年代に流行した「文化住宅」をゼロから建てる、という挑戦
細い通りが入り組み、時折子どもたちの元気な声が響く東京都小平市の住宅街。一般的な住宅が立ち並ぶ中、和風の木造建築に青緑色の三角屋根の洋館が付いた一戸建てが異彩を放っています。表札は「小平新文化住宅」。淺井カヨさんと郡修彦さんが、2016年の秋に建てたご自宅です。古い建築物への造詣が深い2人が熱望したのは、1920年代から30年代にかけて流行した和洋折衷の「文化住宅」でした。現在は、当時の文化を伝えるため、随時見学会を開催していらっしゃいます。レトロな自転車とともに自宅の前に立つ淺井さん。このドレスは1920年代のアメリカのドレスを再現したもの。「ドレスは、古着を見本として仕立屋さんに持ち込んで、同じものをつくってもらうことが多いですね」(写真撮影/内海明啓)
この家を建てるにあたって一番苦労したのは、工務店を見つけることだったそう。
現在の住宅とは資材も工法もまったく違うため、引き受けられる工務店が都内では見つからなかったのです。
半年間あちこちで断られ続け、最終的にはハウスメーカーや工務店とユーザーのマッチングサービスを提供しているザ・ハウスを通して、あきる野市の来住野(きしの)工務店と奇跡的な出会いを果たすことができました。
「妥協は絶対にしたくありませんでした。希望通りの家ができないのなら何もいらない、という気持ちでしたからね」淺井さんは、そう振り返ります。工務店探しに奔走していた時期、設計図を見せてもなかなか理解してもらえないことに困った郡さんがつくった1/40の模型。「計画は細部まで決まっていたので、あとは実現してくれる工務店を見つけるのみでした」と郡さん(写真撮影/内海明啓)
伝統的な素材と工法にこだわり尽くしたエクステリア
壁面に板を少しずつ重ねて取り付ける工法は「下見板張り」といって、昭和初期の木造建築では一般的なものだったそう。こうした古い工法で仕上げるためには、工務店と何度も打ち合わせを重ねなければなりませんでした。
玄関の引き戸の格子は「横に5本、縦に9本」という、当時からある形のひとつを参考にしたもの。寸法もすべて細かくオーダーしたそうです。 2階の面積を小さくしたり、屋根瓦の代わりに金属製のスレートを使用したりしているのは地震対策。かつての文化住宅に最新の耐震技術を盛り込むことも、テーマのひとつでした(写真撮影/内海明啓) 表札を固定する2本のマイナスねじは、よく見ると縦方向に止められています。これは、雨が降ったときに水がたまらないので、さびを防げるという昔ながらの知恵なのだとか(写真撮影/内海明啓)小さくかわいらしい庭には、立派な3本の和棕櫚(わじゅろ)が植えられています。「昔の洋館には棕櫚(しゅろ)が付きものだから、絶対に欲しかったんですよ」と淺井さん。クレーンでつり、前もって掘っておいた穴に植え付けてもらったのだそうです(写真撮影/内海明啓)
庭の片隅には、パクチー、パセリ、バジルなどが青々と葉を茂らせていました。「今は雑草防止のために庭全体に小石を敷いているのですが、いずれは取り除いて畑にする予定です。できる限り食べるものをいろいろつくって、生活道具は自然素材のものにしたいですね」玄関脇には、ピンク色の可憐なバラが咲いていました。モダンガールが帽子をかぶっている様子に似ていることから、品種名は「モガ」。「この家の完成と同じ、2016年の新種なんです」と淺井さん(写真撮影/内海明啓)
居間、台所、お風呂も、当時のライフスタイルを取り入れて
では、家の中にお邪魔しましょう。まず目につくのは、現役で使っているという黒電話。以前は昭和38(1963)年製のものを使っていましたが、その後、昭和8(1933)年製という、より古いものに“機種変更”したそうです。「見学に来る若い人のなかには、黒電話のダイヤルの回し方が分からない人もいますよ」という淺井さん。ちなみに携帯電話は持っていません(写真撮影/内海明啓)
四畳半の居間では、2人の祖父母の家財道具が日常的に使われています。淺井さんの実家からやって来たのは、立派なちゃぶ台と柱時計。柱時計は裏に「昭和四年」と記されています。長い間眠っていたのですが、つい最近時計修理の職人さんに見せたところ、動くように直してくれたのだそうです。
郡さんの実家に眠っていたのは、火鉢。祖父母の結婚記念品だったという1930年代の桐たんすは、削り直したというだけあってとてもきれいです。 障子にはめ込まれた、付け書院(明かり取りの装飾は)古い木造建築が解体されるときに譲ってもらったもの。「襖(ふすま)を切り抜いてこの装飾を入れてあるので、夜は奥の部屋から漏れる光でほんのりと明るいんです」(写真撮影/内海明啓) 火鉢は大正時代のもの。四畳半くらいだと、これですぐに暖まるのだそうです(写真撮影/内海明啓)鏡台と衣紋掛け(着物を掛ける用具)も、あるお屋敷が解体されたときに譲ってもらったそう。「だんだんと人とのつながりができてきて、いろいろなものをお譲りいただけたことはうれしいですね」と笑う淺井さん(写真撮影/内海明啓)
キッチンには、昔ながらの形をしたガス七輪が。本当はかまどを使いたかったのですが、住宅が密接しているので煙を出すことができず、断念したのだそう。
「冬は火鉢のために炭をおこさなければならないのですが、自動消火機能が付いたコンロだと、途中で消えてしまうんですよ。そこで昔ながらの鋳物(いもの)コンロを使っています」と淺井さん。昔のものと今のもの、それぞれの短所と長所を理解した上で、ライフスタイルに合うものをていねいに選んでいます。
シンクは、職人さんが手作業でつくり上げた「人造研ぎ出し」。種石(天然石を細かく砕いたもの)とセメントを塗りつけて、固まったところを研磨するという昔ながらの技法です。これを手がける職人さんも、もう少ないのだそう。炊飯器や電子レンジはありません。「現代の料理本はそういった調理器具がある前提で書かれていることが多いです。大正~昭和初期の献立で昔ながらの調理器具を使って料理をしています」
冷蔵庫は電動ではなく、大きな板氷で冷やす氷冷式です。「新居に合わせて特注でつくってもらいました。近所に氷屋さんがあるので、時々、買いに行きます。氷を自転車で運ぶのは大変です」と淺井さん。
しかし、決して無理をして昔風の暮らしをしているのではなく、この生活が一番自分たちにしっくりくるのだそうです。「何でも使い捨てにするような慣習も、だんだん見直されつつありますね? 昔の生活を見直すきっかけになれたらと思っています」と2人は言います。生ものは買ってくるとすぐに調理、果物などは外に出して水につけておく……など、電気冷蔵庫に頼らない暮らしを楽しむ2人。「冷凍保存もできないから、あるもので料理をするようになります。無駄がなくていいですよ」と郡さん(写真撮影/内海明啓)
光沢のあるタイル張りの浴室も、文化住宅を再現したもの。現在の建築業界では、滑るので危険だという理由から、原則として浴室の床に光沢のあるタイルは張らない決まりになっているのだそう。「何かあったら自己責任で、ということで、なんとか張ってもらえたんです」と淺井さん。当時の文化住宅では、浴室の木枠を白く塗るのが一般的でした。明るく見えることと、水気を弾いて湿気を防ぐことがその理由だったそう(写真撮影/内海明啓)
洋風建築の魅力を最大限に活かした応接室と2階
こちらは、こだわりの応接室です。漆喰(しっくい)の壁、高い天井、出窓の木枠。どれもこれも、大正末期から昭和初期の洋館がもっていた特徴です。「窓枠は特注なんです。ひとつひとつの寸法を細かく指定して、職人さんにつくってもらいました」と淺井さん。細部へのこだわりが、統一感を生み出しています。 後ろに積んである箱には、郡さんのレコードが詰まっています。郡さんは古いレコードなどの音源をCDに復刻するお仕事をされているのです。「この部屋には約2000枚、博物館に寄託したものは約5000枚あります。内容は、ほとんどが昭和の流行歌とクラシックですね」(写真撮影/内海明啓) 郡さんの祖父母が、昭和5(1930)年に結婚記念として購入した蓄音機「ビクトローラ4-40」。昭和4(1929)年にアメリカで製造されたもので、電気ではなく、ぜんまいの力でターンテーブルを回します(写真撮影/内海明啓)洋風の応接室にぴったりのシャンデリアは、1920年代のフランスのもの。骨董屋さんで見つけたそうです(写真撮影/内海明啓)
最後に2階を見せていただきましょう。思わず歓声をあげたくなるようなこの部屋は、淺井さんの私室。「和洋折衷」というのが大正末期から昭和初期の文化住宅の特色ですが、2階はまさに洋風です。所狭しと並ぶコレクションは、淺井さんが子どものころから集めてきたもの。貴重な資料が並ぶ本棚は一見の価値あり。『主婦之友』シリーズや、昨年復刻された『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の初版本なども並んでいました(写真撮影/内海明啓)
この部屋の主役は、旧高田義一郎邸が解体されるときに譲ってもらったという、昭和初期の窓だそう。木枠の塗料をはがして塗り直し、割れていたガラスのみ新品に入れ換えました。「この窓をどうしても使いたかったので、2階は窓に合わせて設計したんです」と淺井さん。新しく再現したものと、実際に当時使われていたものがあちこちでミックスされているデザインからも、2人らしさが伝わってきました。窓の持ち主だった高田義一郎さんは医学博士であり、文筆家でもあった方。以前から著書の『らく我記』を愛読していた淺井さんにとって、窓との出会いは思わぬ幸運でした(写真撮影/内海明啓)
「1920年代~30年代の普遍的なかっこよさも、ものを無駄にせず、自然を大切にする生活も、もっともっと発信していきたいですね。ここは生きた博物館のようにしたいと思っています」と語る2人は、当時の文化に憧れるだけなく、実際に生活に取り入れて楽しんでいます。「一生遊べる家が出来上がりましたね。2人だったからできたことです」と語る淺井さんの晴れ晴れとした笑顔が印象的でした。淺井さんの著書『モダンガールのスヽメ』(2016年/原書房)。大正末期から昭和初期の文化に興味をもった理由から、当時のライフスタイルについての歴史的考察に至るまで、読み応え満点の1冊です(写真撮影/内海明啓)●取材協力
・淺井カヨさん
昭和51(1976)年名古屋生まれ。平成19(2007)年に、大正末期から昭和初期とモダンガールを愛好する「日本モダンガール協會」を設立。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)、共著に『東京府のマボロシ』(社会評論社)など。
・郡修彦さん
東京生まれ。作曲家・音楽評論家の故・森一也先生に師事。SPレコード時代の音楽史を、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表している。「山田耕筰の遺産」「古賀政男大全集」「古賀政男黄金時代の集大成」「復刻盤軍歌・愛国歌撰集」等を手がけ、企画・構成・復刻の「SP音源復刻盤信時潔作品集成」は平成20年度(第63回)文化庁芸術祭大賞を受賞。元・昭和館音響専門委員、平成15(2003)年5月から翌年4月まで月1回、NHK「ラジオ深夜便」に出演し、選曲・録音・解説を担当。平成19(2007)年11月よりライブハウスにてSP盤鑑賞会を定期開催中。
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