21世紀の「ゴルディアスの結び目」、イーガン経由でアップデートされた『神狩り』
コウモリの群れがブラックホールにアタックを仕掛けている。
すべてを。
ブラックホールの深深深部(トリプル・ディープ)に。
狂気の深淵に。
飢えた漏斗(じょうご)に。
地獄の竈(かまど)に。
投げ込む。
歌え!
踊れ!
突入せよ!
突入せよ!
圧倒的なイメージ。山田正紀のSFについて語るうえで、斬新なアイデア、くっきりとしたテーマ、巧みなストーリーテリングにふれないわけにいかないが、それらはすべて事後的なことで、元にあるのは「見たことのない光景」ではないか。この作品集の表題作「バットランド」を読みながら、そう思った。山田さんは一枚の絵を成立させるため、アタリ線となる物語を組み立て、素材としてアイデアを盛りこみ、それがテーマを惹起する。そんな順番で作品ができているのかもしれない。
そして山田正紀が山田正紀たるのは、最終的に完成する絵とは、似ても似つかない地点から描きはじめるところだ。
この作品は、「おれ」の一人称で語られる。冒頭で、おれは聞き手(それは読者でもあるのだが)に、優しそうな女の写真を見せる。しかし、その女がだれなのかはしらない。それどころか、おれは自分がだれかもわからないのだ。物語が進むにつれ、おれは認知症を患った老人だということがわかる。いまは、なぜかクリーニング屋にいかなければならないと思っている。そこで二人連れの男に呼びとめられ、わけのわからないうちに暴力的な事態に巻きこまれる。
作中にコウモリの描写がときおり挿入され、その部分だけ取りだしてみると客観描写のようだが、それがいつしか男の記憶につながっていく。コウモリの種類はパストリアス・オオコウモリ。これはジャズ・ミュージシャンに由来する。はるか昔に、ジャコ・パストリアスの曲を、伝説のジャズ・クラブ「バードランド」で聞いた。……といった具合だ。
事件に巻きこまれたおれが行きつくのは、ニュートリノ検出施設だ。古い廃坑を利用して建造され、もとの坑道にコウモリが棲みついていたことから「バットランド」と異名をとる。この施設に異変が起きている。きっかけは、宇宙の彼方のブラックホールに由来する未知の素粒子ヴィシュヌだ。あくまで仮説だが、ヴィシュヌは遺伝子に変異をもたらす。また、脳のニューロンにも作用する。
ブラックホールはホーキング放射をしながら蒸発する。ならば、ブラックホールに閉じこめられた情報はどうなるのだろう? この疑問が、この作品のアイデアの中核をなす。かつて小松左京は「ゴルディアスの結び目」でブラックホールと人間の精神を重ねあわせてみせた。「バットランド」はブラックホールの蒸発と記憶の機構を結びつけ、それを宇宙の運命という大きな背景のなかで描きだす。その紐帯となるのがヴィシュヌだ。コウモリの行動も、ヴィシュヌが引きがねである。
伝統的なSFの辻褄で考えると、よくわからない(あえて説明されていない)箇所はあるが、そういうところを求めると、おそらくこの作品は勢いを失う。山田正紀に躊躇はない。
躊躇なくアクセルを踏みきった点では、巻末の「雪のなかの悪魔」も凄い。この宇宙よりもさらに次元が高い、汎・泡宇宙(オール・バブルス)を支配する「万物理論知性体」に、おそらく人類由来—-つまりたかだかひとつの泡宇宙の辺境生命にすぎない—-少女・李兎(リーユイ)が挑む。
超越的な支配者に、一介の人間が反逆を企てる。この構図は見覚えがないだろうか?
そう、これは、グレッグ・イーガンを経由してアップデートされた『神狩り』というべき物語だ。
とにかく設定がすさまじい。万物理論知性体は重力知性体を介して、電磁力知性体を支配している。電磁力知性体は物理法則の桎梏によって、自分の泡宇宙内の外へ出られないし、他の泡宇宙とも交信できない。重力知性体は泡宇宙間の往き来はできるが、電磁気テクノロジーを持ちえぬため泡宇宙内での通信はできない。八つの泡宇宙が四次元的に交叉する接点に流刑地〈深遠(ディープ)〉があり、電磁知性体の政治犯たちはそこで量子鉱山労働を強いられている。掘りだすのは結晶化した知性だ。
なんたるメタフィジカル。このメタフィジカルは哲学の領域ではなく、現代物理をメタファー(?)に用いて構成されたテキスト宇宙だ。もっとも、上の次元へと繰りあがっていくにつれ、『神狩り』の漲っていた情念が薄れていくのはしかたない。
以上に紹介した二篇のほか、手に感光細胞(光に反応して視覚をもたらす)を移植された男のハードボイルド「コンセスター」、「アルジャーノンに花束を」を悪意方向へと反転させたような「別の世界は可能かもしれない。」、豊臣秀吉の中国大返し(本能寺の変を受け高松から山崎へと短期で引き返した)に、時を操る一族が協力するSF伝奇ロマン「お悔やみなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」。つごう五篇を収録。いずれも読み応えのある作品だ。
(牧眞司)
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