奥深い対局世界のアンソロジー『謎々 将棋・囲碁』
藤井六段の大躍進、羽生永世七冠と井山七冠の国民栄誉賞ダブル受賞、AIとの対戦など、まれに見る活況を呈している将棋・囲碁界である。駒の動かし方・碁石の打ち方すら理解できていない私のような人間をも魅了させるのは、やはり天才だったり努力の人だったりという、棋士たちの魅力に負うところが大きいのではないだろうか。本書は、将棋・囲碁それぞれにまつわる3編ずつの計6編が収められたアンソロジー。いずれの作品にも盤上の勝負に心を引かれる者たちが登場する(人間でない場合もある)。個人的に特に印象に残ったのは、人工知能と密接に関係した内容の2編である。
まずひとつめは、宮内悠介氏による「十九路の地図」。こちらは囲碁にまつわる短編で、かつて本因坊のタイトルを保持していた祖父と孫娘・愛衣の心の交流を描いた作品。といっても、交通事故で植物状態となった祖父と、一般的な意味で意思疎通する手段はない。コンピュータ囲碁を研究していて祖父の世話になったこともある大学の准教授が考案した特別なリハビリ方法によって、愛衣と祖父は心を通わせている。それは、「脳と機械をつなぐブレイン・マシン・インタフェース」を使った、「電極を介して祖父の視覚野に十九かける十九の画素を接続し、さらに祖父がイメージする画像を機械的に読み取る手法」を採用である(サンドウィッチマンなら、いや、ほとんどの人々が「ちょっと何言ってるかわかんない」と言うに違いない)。要するに、コンピュータに囲碁の手を入力すると祖父がそれに対して自分の手を打ってくるという、直接言葉を交わすことはできないが対局という形でのコミュニケーションだ。祖父のことは大切に思っている愛衣だが、現実の生活はうまくいっていない。両親は離婚し、母親に引き取られたが関係はぎくしゃくしている。小学生の頃になかよくなった囲碁の得意な晴瑠と同じ学校に行きたくて受験をしたが、無理して入学した中学ではまわりに追いつくことができずに1年生の2学期から不登校になった。囲碁は”手談”、すなわち手を介した立派な会話であるという。「十九路の地図」は、祖父とのやり取りを通して愛衣自身が成長していく物語でもある。人目を引く明るい色の髪、鋭い切れ味の作風という著者ご本人に対するイメージがあったため、物語の結末は意外な気がした。いやしかし、とてもいい。本書の中で最も好きな作品でもある。
もうひとつは、瀬名秀明氏の「負ける」。将棋棋士とAIとの間で行われた戦いで、「人工知能が永世名人に恥を掻かせた」という批判が噴出した春のこと。将棋に限らないかと思うが、勝負に臨んでいるのが人間であれば、「もう勝ち目はない」と思ったらそこで負けを認めて対局を終了させることが常識とされている。しかしその戦いの中で、AIは序盤において盤面を荒らしているようにしか見えない手を繰り出し、その後意表を衝く絶妙手で相手を追い詰めたかと思いきや、形勢を逆転されてからも人間なら投了する場面を過ぎてもずるずると指し続けたということが非難の的となったのだ。来年も予定されている対局ではそのような失態を見せることのないよう、将棋AI《舵星》と駒を動かすアーム《片腕》の開発を進めるための研究チームに、工学研究科の博士課程に在籍する久保田が抜擢されることとなった。「負けるときにはちゃんと負ける人工知能」「潔く投了するAI」を作るべく発足したチームの顔合わせの会議でひとりの学生が、将棋とは相手の首を討ち取った時点で終了するもので王の首がはねられる前に降伏することで尊厳が保たれるのだと述べ、「死の概念を持たないAIは、どこまでも投了しないのが自然ではありませんか。それでも投了するAIを先生方はおつくりになるというのですか」と問う。その学生の名は国吉、《舵星》の開発を牽引しながら急逝してしまった研究者を兄に、二段の腕前を持ち《片腕》のためのデータ採集にも協力した女流棋士・香里を姉に持つ。国吉や香里との交流を深める中で久保田は、人工知能との共存共栄を、本当の未来を、”見たい”と思うようになっていく。将棋や人工知能やロボットなどの無機的なものを題材に描いているが、限りなく美しい一編。
この文章の冒頭にも書いたように、結局のところ人間というものの存在が大きいのだと思う。至高の対局を実現させるのも人間、科学を発展させるのも人間。それは生き物の中で人類だけが偉いといった話ではなく、人の思いがたくさんの事象を動かす力となっているということである。対局や研究における謙虚な姿勢や、さまざまなものによって支えられていることへの感謝の気持ちは、いまのところはまだ人間だけが持てるものだろう。本書を読んで、囲碁や将棋の世界はほんとうに奥深いものと感じた。そろそろルールを覚えるべきかなあ…。
余談ですが、これは今年2月に行われた東京創元社新刊ラインナップ発表会でのできごと。会終了後のサイン会でお目にかかった宮内悠介先生は、ふつうに好青年でいらっしゃいました(デビュー作の『盤上の夜』にサインをいただきました)。「松井ゆかり様」と為書きを入れてくださる際に「すみません、お名前の書き順を間違えてしまいました」と謝られたことや、サインを終えられた後参加者ひとりひとりに対し立ち上がってしっかりとおじぎされる様子に、「こんなに素敵な方だったとは!」と感激しきり。「今後また将棋や囲碁についての作品を書かれるご予定はおありですか?」と質問させていただいたところ、「はい、まだまだ書きたいこともたくさんあるので」とのお返事が! 将棋・囲碁ファンならびに宮内先生ファンのみなさま、楽しみに待ちましょうね。
(松井ゆかり)
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