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盆暗にして繊細、くだらないからこそ輝く、宮内悠介の短篇集

盆暗にして繊細、くだらないからこそ輝く、宮内悠介の短篇集

 宮内悠介の短篇集。純文学作品ではすでに『カブールの園』『ディレイ・エフェクト』という二冊の短篇集があるが、SFもしくはミステリの短篇集としてはこれが最初の一冊となる。厳密に言うと、『盤上の夜』『ヨハネスブルグの天使たち』『彼女がエスパーだったころ』『スペース金融道』『月と太陽の盤』は短篇連作を一冊にまとめているので、書誌的には短篇集なのだけど、現在の出版慣習では長篇とほぼ同等の扱いだし、読者もそのように受容している。

 独立して書かれた短篇は、限られた枚数で設定やキャラクターを読者に伝え、物語を完結させなければならない。長篇や連作とはまた違った技量が要求される。しかも、『超動く家にて』は、宮内さん本人があとがきで「ネタに偏った作を集めたもの」と明言し、解説で酉島伝法が「盆暗純度の高い」と賞賛(!)しているのだ。読者としてはいやおうなく期待が高まり、またいっぽうで不安も募ろうというものである。盆暗純度! 

 収録十六篇を読みおわっての印象は、「宮内悠介はこういうのもイケるのか!」という意外性と、「いかにも宮内悠介らしい‥‥」というナットク感が相半ばするものだった。

 たとえば、巻末に収められた「星間野球」は、宇宙ステーションから地球帰還権を賭けて、野球盤ゲームで勝負する杉村とマイケルの話だ。ご存知のとおり、宮内悠介は囲碁を題材とした「盤上の夜」でデビューし、これを表題作とする連作で日本SF大賞を受賞し、直木賞候補にもなった。ゲームというくくりでは共通するが、完全情報ゲームである囲碁と、フィジカルと偶然の要素が大きく介入する野球盤とでは、戦略の立てかたと競技者の行動が大きく異なる。「星間野球」は、ふたりのあいだでまずルールを決め、お互いにそのルールの隙をついて相手を出し抜こうとする。これが非常にバカバカしく、また論理的である。なかには宇宙ステーションだからこそ可能な荒技もあり、そこがSFといえばSFともいえる。

 知略とセコさがぶつかりあって次々に局面が変わる展開が面白いのだが、よく考えてみれば、このステーションは杉村とマイケルだけなので、野球盤ゲームもレフェリーや観客がいない。つまり、ゲームをゲームとして成立させているのは、ルールから逸脱しないという互いの信頼なのだ。信頼しつつ、相手の裏をかこうとしている。その妙な関係を、読者が違和感を持たないように描いてみせる。その技量なしでは、この作品は失速してしまうだろう。

 つまり、ネタやアイデアそのものは、長篇を書いているときの宮内悠介と異なる「盆暗純度」なのだが、それを作品化する手つきはまぎれもなく宮内悠介なのだ。

 題材の盆暗度と文章の繊細さが奇跡的に融合した作品が、「今日泥棒」だ。小松左京の『明日泥棒』とはまったく関係のない日常ミステリなのだが、「あの日めくりを破ったのは誰だ」と急に怒り出す父親、それをいなしてぜんぜん別な方向へと話を逸していく兄妹、ごちゃごちゃになった家族のやりとりを「ごはん美味しいですか」のひとことで鎮めてしまう母親‥‥それら微妙な間合いを、さらりと表現しているのが凄い。そして、膝の力が思わず抜けてしまうオチがつく。

「クローム再襲撃」は、ウィリアム・ギブスンのネタを、村上春樹のタッチで描くという、まさに文”芸”の試みだが、考えてみるとギブスンと春樹は水と油とほど混ざりにくいわけではなく、レイモンド・チャンドラーを中間項におけばすんなりとつながる。この作品でも、ハードボイルドのほのかな抒情性、汚れた都邑のかすかなロマンチシズムがスパイスのように利いている。

「ゲーマーズ・ゴースト」は、駆け落ち中の恋人たち(語り手の俺とナナさん)のクルマに、いわくありげな外国人ヒッチハイカー(レイモンド)と正体不明のチェロ奏者(アキオ)が同乗するはめになり、珍道中を繰り広げる。

 駆け落ち感、ってやつが盛りあがってこない。要するにいまいち色っぽくない。ましてやボニー・アンド・クライドにはほど遠い。でも、ちょっと目を離したスキに、ナナさんが誰かしら拾っちまうんだ。「やめようよ」と言ってはみたけどマジギレされた。それ以来、俺はこの件については触れていない。そういえば、犬とか猫とかよく拾ってたよ、この人。

 ボニー・アンド・クライドが引きあいにだされているのは、彼らのクルマを追跡してくるライトバンがあるからで、これをどう躱すかが物語のひとつの焦点なのだけど、そのわりにサスペンスが募らないのは、乗っている四人のやりとりがちぐはぐで、どうにもシマらないからだ。それにしても後のライトバン、俺はナナさんの父親がさしむけた追っ手とばかり思っているのだが、物語が進むうちにレイモンドはレイモンドなりの事情で、アキオはアキオなりの事情で、人から追われる理由があるらしい。

 彼らの事情は血なまぐさい犯罪絡みのなのだが、作品そのものに重苦しさはまったくなく、あっけらかんとしている。そして結末では、追ってくるライトバンの意外な正体が明らかになるのだが、そこで四人のドライブが終わるのではなく、むしろ新しくはじまるのだ。この余韻がなんとも軽やかで楽しい。トボケた感じが、大友克洋の初期作品にちょっと似ている。

 一ページにひとつ叙述トリックを仕込んだ「超動く家にて」、ヴァン・ダイン二十則が物理原理のように働く世界の犯罪を扱った「法則」、アカデミックな評論やミステリ界の論争をパロディ化した「エラリー・クイーン数」の三作は、宮内悠介のミステリ・マニアぶりがうかがえて楽しい。コアなファンが悪ノリして話すようなネタを、どこまで小説に仕上げられるかの挑戦でもある。とくに「エラリー・クイーン数」は、作者本人が「魔がさしたというか、若気の至りで書いた」と白状しているほどだ。

 そのほか、鯨との交感能力を持つ少女への寄せる少年の憧憬をしっとりと綴った「弥生の鯨」、雑誌から広告だけ抜き取って製本しなおすスピードを争う競技を大マジメに描く「トランジスタ技術の圧縮」、煙状異星人とのファースト・コンタクトを市井の視点で扱った「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、AIと人間との会話だけで人類が行きついたアイロニカルな状況をあらわす「夜間飛行」、清水義範と円城塔が共作したような「かぎ括弧のようなもの」など、さまざまな趣向の作品が収録されている。どれも面白い。

(牧眞司)

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