事故で兄を奪われた弟の自伝的小説〜アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』

事故で兄を奪われた弟の自伝的小説〜アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』

 良きにつけ悪しきにつけ注目を集める人物の兄弟姉妹が、昔から気になる存在だった。例えばメダリストを妹に持つ人、例えば人気アイドルを妹に持つ人、例えば凶悪犯人を兄に持つ人。待ち望んで、あるいは驚きをもってだったとしても、自ら産もうと決めた子の人生に対して親は責任がある。しかし、兄弟姉妹となると少々話は違ってくる。下の子であれば生まれたときにはすでに存在していた、もしくは上の子であれば少し遅れてやって来た、自分と同じ立場に位置する家族。仲のよい兄弟姉妹がいくらでもいることは承知しているけれども、きょうだいばかりが賞賛を浴びているのに自分は見向きもされなかったり、逆に犯罪者となったきょうだいのせいで後ろ指を指されるようになったりしたら、その心中の複雑さは親以上のものがあるような気がするのだ。

 本書のタイトルは『ファミリー・ライフ』。もちろん家族の物語であり、また兄・ビルジュとその弟で主人公であるアジェのふたり兄弟の物語である。彼らはインドのデリーからアメリカへ渡った移民の一家だ。先にニューヨークで政府機関の職員として働いていた父から家族を呼び寄せるための航空券が届いたとき、アジェは8歳、ビルジュは12歳だった。後の方でビルジュの生年月日が1968年10月7日と書かれていることから、彼は私とほぼ同年代ということがわかる。また訳者あとがきによれば、この小説は著者のアキール・シャルマ氏の自伝に近い内容となっているそうだ。シャルマもデリーで育ち、8歳のときに家族でアメリカに移住し、そして兄の身に悲劇的な災難が降りかかった。

 プールに飛び込んだときに底のセメントで頭を打ち、沈んだまま三分間気を失ったことによって、肺が胸から剥離し脳が損傷した。それが、ビルジュの身に起こった事故だった。一命は取り留めたものの、目は開いているのに何も見えず口もきけず意識も戻らない。ひたすらベッドに横たわるだけになる前のビルジュは、名門のブロンクス理科高校の入学試験に合格するほど頭がよく、英語が上手で、アメリカではすぐに友だちができた。そんな彼がどうしてこのような目に遭わなければならなかったのか。いくら問いかけても答えの出ない疑問を胸に抱えたまま、家族は次第に疲弊していく。

 彼らはビルジュを愛していたから、当然全員がつらい。しかし両親であれば、ふだん意識していないとしても子どもに何があったら支え続けようとする覚悟は持っていると思う。しかし兄弟姉妹はどうだろうか。きょうだいにことが起きれば、親の注目はそちらに向く。子どもがメダルを取ったり芸能界で活躍したりすれば誇らしさで胸をいっぱいにし、犯罪に手を染めれば半狂乱になる。他の子どものことは二の次になってしまうケースがあったとしても不思議ではない。アジェもそうだった。母が看病に通うため放課後は自分もまっすぐ病院へ向かう、一家が見舞われた悲劇ゆえに優しさからさもなくば興味本位でよその家を訪問したり家に押しかけられたりしなければならない、両親に心配をかけないよう自分の悩みは押さえ込みがちになる。それでも。父が酒を飲み、母が怒りをくすぶらせ、弟が孤独を感じるようになるというぎりぎりの状態ではあっても、彼らは家族だった。事故そのものはつらいとしか言いようのないできごとだったが、それでも最終的には愛情で結びついた家庭の一員であったことは、ビルジュの、アジェの、そして父母のせめてもの救いであったと思う。

 インド人という出自でありながらアメリカで育ち豊かさを享受する生活を送ることは、自分がどちらにも完全には属していないと思い知らされる人生なのかもしれない。兄と同じく優秀な学生となったアジェは、物語の終盤で社会に出る。ラストの一行は不穏なものではあるが、アジェが投資銀行を辞して作家となった著者自身の投影と考えるならば、この一文は恩寵ととらえることができるだろう(偉そうにわかったようなことを書いているが、裏表紙に書かれていた作家の小川洋子氏の推薦文を読んでなるほどそういうことなのかと初めて腑に落ちた次第である)。本書が日本に紹介されたのは、シャルマ氏と訳者であり芥川賞作家の小野正嗣氏がイギリスで開催された文芸シンポジウムで出会ったことがきっかけだそうだ。ふたりはとあるセッションで初めて顔を合わせたが、翌日シャルマ氏のほうから小野氏に話しかけてきたとのこと。ノリッチの街をふたりで散歩しながら語り合ううちに、ふたりとも似たような経験をしていることがわかったという。小野氏にもまた、脳腫瘍で余命宣告を受け寝たきりの生活を送る兄がいたのだ。著者と訳者の幸福な出会いによって、私たちはこの心に響く物語を読むことができた。傷つきやすく、それでも懸命に生きるアジェたちの姿に勇気づけられる読者は多いだろう。もしその中にきょうだいの陰に隠れて周りから省みられることの少ない人がいたとしても、胸を張ってほしい。あなたという存在に家族は支えられているのだと。そして実感できるといい。あなたもやはり、家族に支えられているのだと。

(松井ゆかり)

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