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全ポピュラー音楽のライヴ盤の中で最高の一枚に数えられるダニー・ハサウェイの『ライヴ』

50歳以上の洋楽好きにとって忘れられないライヴ盤と言えば、グランド・ファンク・レイルロードの『ライヴ・アルバム』(‘70)、オールマンブラザーズの『ライヴ・アット・フィルモア・イースト』(‘71)、ザ・バンドの『ロック・オブ・エイジズ』(’72)、アレサ・フランクリンの『ライヴ・アット・フィルモア・ウエスト』(‘71)、タワー・オブ・パワーの『ライヴ・アンド・イン・リビング・カラー』(‘76)などがあるが、今回紹介するダニー・ハサウェイの『ライヴ』(’72)もその中に確実に入る名盤中の名盤だ。
これだけはおさえたい洋楽名盤列伝! (okmusic UP's)
70年代初期の音楽事情

60年代の終わりにベトナム戦争は激化し、公民権運動や学生運動などもあってアメリカ国民は疲弊しきっていた。それを受けてか、ポピュラー音楽もハードロックやファンクから、キャロル・キングやジェームス・テイラーなどの内省的なシンガーソングライター(以下SSW)に注目が集まっていた。70sのSSWたちは、60sに登場したボブ・ディランやジョーン・バエズらのような政治的(反体制)なスタンスは持たず、極めて私的な内容を歌にしていた。そして、日本でも似たような現象が起こった。高度成長による労働者の疲弊や、学生運動、安保反対、公害など大きな問題が重なり、「狭い日本、そんなに急いでどこへいく」「のんびりいこうよ」など、ゆとりある生活への渇望がテーマになっていったのだ。高田渡や岡林信康に代表されるプロテストフォークから、吉田拓郎や井上陽水らの身近な題材をもとにしたSSW的な歌へと移り変わっていったその背景には、良くも悪くも日本がそこそこ豊かな国になったことが挙げられるだろう。
シンガーソングライター化する 70s 黒人ソウル

60年代、アメリカでは公民権運動を背景に、ソウル音楽も黒人が黒人らしくあるべきだという理由で、政治利用されることが少なくなかった。それまでの黒人音楽の中心にあったブルースが、黒人が白人から抑圧されることを耐え忍ぶ意味合いを持っていたのに対し、ソウルは黒人のアイデンティティーを肯定したり、人権を獲得するための武器として演じられることもあった。特にジェイムス・ブラウンに代表されるファンクは、黒人の怒りを音楽にしたものであったかもしれない。彼の代表曲のひとつ「Say It Loud, I’m Black And I’m Proud」(‘68)は、まさに黒人の誇りと怒りが炸裂したこの時代ならではのナンバーである。
70年代に入ると、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドらはそのアプローチをシンガーソングライター的なスタンスへとシフトチェンジしていく。以前、このコーナーで紹介したマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』(‘71)は、その代表的なものであるが、この作品と前後して正規の音楽教育を受けた大学卒の黒人アーティストたちが活躍し始めている。69年に1stアルバムをリリースしたロバータ・フラックは人種問題を歌った曲なども発表してはいるが、基本的には裕福な家庭に育った大卒女子だ。要するに、田舎出身で文字すら読めないブルースマンではなく、都会出身の知的で正規の音楽教育を受けた新時代の黒人アーティストなのである。
ダニー・ハサウェイの音楽

ダニー・ハサウェイはロバータ・フラックと同じハワード大学でクラシック音楽を学んでいる。大学卒業後はカーティス・メイフィールドのもとで勉強を重ね、ソングライティング、アレンジ、プロデュースなど、レコード制作全般に関わっている。その後、彼はそれまでの黒人アーティストでは考えられないまったく新しいスタイル(白人アーティストの曲をカバーしたり、オーケストラをバックに起用するなど)で、70年にデビュー作となる『新しきソウルの光と道(原題:Everything Is Everything)』をリリースした。翌71年にはロバータ・フラックとデュエットしたキャロル・キングの「きみの友だち(原題:You’ve Got A Friend)」が大ヒットし(全米チャート29位)、全世界にその名が知られることになる。この曲はキャロル・キングの『つづれおり』(‘71)に収録されていて、ダニー&ロバータはカバー曲をオリジナルと同じ年にリリースしている。彼らは人種を気にすることなく、さまざまな音楽を聴き、良いものは何でも吸収するという考え方であったようだ。当時にしてみれば、このこと自体が新しい形態であり、彼らの音楽がニューソウルと呼ばれた所以なのである。
同年、2ndアルバム『ダニー・ハサウェイ』をリリースしたのだが、全9曲中8曲がポップス、カントリー、R&Bのカバーであるにもかかわらず、知的かつ品の良いアレンジの才能が生かされ、ダニー・ハサウェイというひとりのアーティストの個性がにじみ出た優れた仕上がりとなっている。
本作『ライヴ』について

そして、71年8月のトルバドール(ウエストハリウッド)と10月のビターエンド(ニューヨーク)で行なった公演の模様を収録したのが本作『ライヴ』である。そもそもトルバドールもビターエンドも白人フォークシンガーや白人シンガーソングライターの登竜門的な小さな店であり、黒人アーティストが出演することは当時珍しかった。あえて、そこで勝負しようとしたダニー・ハサウェイの心意気は素晴らしいと思う。
収録曲は全部で8曲。LP発売当時はA面4曲がトルバドール、B面4曲がビターエンドでのものだ。本作の出来は文句の付けどころがなく、個人的にはこの40年間に何度聴いたか分からない。数百回か数千回にはなっているだろう。それでも、未だに引き込まれるのだから、“モンスターアルバム”と言うしかない。
彼のヴォーカルは上手いし、知的にコントロールされていて実に味わい深い。それは彼のキーボード演奏も同様で、弾きすぎずツボを押さえたいぶし銀のようなプレイである。そして、この言葉はバックを務める最高のミュージシャンたちにも当てはまり、楽器を演奏する者にとっては本作の演奏全てが歌伴のサンプルとして最高のものが味わえる。キーボードはダニー・ハサウェイ、ドラムは、EW&Fのモーリス・ホワイトやヴァーダイン・ホワイトの兄弟であるフレッド・ホワイト。ベースは偉大なるセッションベーシストのウィリー・ウィークス。パーカッションにアール・デルーエン、リズムギターにマイク・ハワードという布陣が務めている。なお、前半4曲のギターはフィル・アップチャーチで、後半4曲はコーネル・デュプリーが担当しており、どちらも歌心が感じられる名演だと言えるだろう。個人的には、コーネル・デュプリーのプレイが大好きだが(特に「ジェラス・ガイ」のバッキングは彼らしいフレーズが満載だ)。
1曲目はマーヴィン・ゲイがリリースしたばかりの「愛のゆくえ(原題:What’s Going On)」で、特にヘッドフォンで聴くとライヴの臨場感が伝わってきて、まるで自分も会場にいるような気になる。この臨場感(およびギャラリーとの一体感)はアルバムを通して味わえるのだが、演奏に重きを置いた最後のメンバー紹介を兼ねた「エヴリシング・イズ・エヴリシング(原題:Voice Inside(Everything Is Everything))」で最高潮に達する。観客の声援をフェイドアウトしているのが残念なぐらい。この曲で聴けるウィリー・ウィークスの3分にも及ぶ重いベースソロは圧巻で、本作を機にセッションの仕事が一気に増えたそうだ。ウィークスは黒人だがソウル、ロックをはじめ、カントリーに至るまでの幅広いレコーディングに参加している。
本作以降の動き

本作『ライヴ』は、全米R&Bチャート4位まで上昇し大ヒット、次作のロバータ・フラックとの共作『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』(‘72)もR&Bチャートで2位となる。次作の『愛と自由を求めて(原題:Extension Of A Man)』(’73)は、チャート的にはふるわなかったが大きなスケールの名作であった。その後、統合失調症に苦しみ、活動を縮小せざるを得なくなった。そして、79年に滞在中のホテルから飛び降り、33歳の短い生涯を閉じた。
彼の活動期間は短かったが、ソウルの新しい形態を生み出した天才アーティストであることは間違いない。少なくとも、この傑作中の傑作である本作『ライヴ』1枚を残しただけで、その存在は永遠に忘れられることはないだろう。

もし、ダニー・ハサウェイを聴いたことがないのなら、ぜひこの機会に聴いてみてください。きっと新しい発見ができると思うよ♪
TEXT:河崎直人
アルバム『Live』
1972年作品
 (okmusic UP's)

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